わらべであった

「……謝る」


「……ん。なんか言ったか?」


 ぼそっと言った俺の言葉を、帝国科学者は、聞き取れなかったようだった。

 真っ白な白衣の背中をこちらに向け、箱を、いじり続ける。

 ……機械というのだろう。機械。人間でないのに、人間のやる仕事ができる、手足みたいな道具。

 科学というのはなるほどそういうことができる。


 ……だから、だよ。


 こちらに背中を向けている帝国科学者は悪しき帝国の悪しき科学者であっても、会ってみればこんなにも――、


 わらべ歌を口ずらむただのわらべのようなのだ。


「だ、から、」


 背中は、小さくて、ちょっと丸まっていて。


「あやまっ、るって……」

「謝る? なににだ? 私の静謐な研究室を喧騒で汚したことか?」

「なっ……そ、そのようなことはどうでもいいっ、きさまの研究室など知ることか、このように人の理を超えた帝国主義などおぞましいっ――」


 はっ、と思った。

 俺は。

 ……ちっとも、進歩しない。


『あなたの、だめなところね』


 マリー・ローズが、ふんわりと笑っている、かのようだ。


『でも、あなたの、よいところでもあるのよ?』


 ああ。ああ。……ああ、マリー。

 どうすればいい。俺は。どうすれば。

 おまえという恋人をホルマリン漬けにしてくれなどと敵国の人間に頼んだ俺はやはり大馬鹿であったのか。


 そもそも、どこから、間違っていた?


 戦場で剣をふるいながら、勝てないかも、とちらり頭を不安がかすめたとき。

 負けがほとんど確定して、それでも震える声で聖騎士団に再度の忠義を誓ったとき。

 帝国が攻め入ってきて……誓い通りに聖騎士として最後まで戦うことを選択せず、走るのに邪魔な鎧も兜も脱ぎ捨てて、燃え盛る街のなか、恋人の、恋人だけの手を取って、ただ、ただただ、祖国に背中を向けて逃げ出したとき。

 逃げて。逃げて。逃げて。

 森を、川を、谷を。

 越え続けて。

 当ても、食糧も、なくて。

 林で、疲れ果てて、警戒することさえも疲れて無防備にふたり、木のふもとで肩をよせあい泥のような睡眠をしていた、あのときに。

 ……帝国軍に、見つかって。


 いや、正確には、帝国科学者リンネ・フェスティバルの調査団一行に――見つかって。


 あとで知ったが、あの林はもうすでに帝国の領地で……俺たちはそうとう、近づいていた、のだ。


 ……俺と目が合ったときの、リンネ・フェスティバルの、ただただくるりとつるりとした、ガラスのような黒目。



 ……ああ。歌だ。リンネ・フェスティバル。東方の歌を、うたっているよ。

 おまえは、あるいは、東方の子どもだったのだなあ。

 ……俺が何人も何人も何人も。斬り捨ててきた。やつらの……。



「謝る!」



 こんどは、もはや絶叫であった。

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