「旅に出るといい」

「……私は研究が楽しいだけだ。世間で噂されるほどの嗜虐趣味はないよ。まあ当然のこととして実験者というのは被実験体に対して過剰な同情や研究はしないものだ。だが、礼儀と倫理はだいじにするよ。それが一流の科学者というものだし、……ましてや私は帝国科学者なのだぞ?」

「……なにが言いたい。リンネ・フェスティバル!」


 ははっ、とリンネは笑った。


「もうすぐ夏だなあ。東の国では紅い花が咲くとも聞くよ。あるいは、すでに廃墟かもしれんがね。帝国はあそこにも攻め入ると――おっと、これは言ってはならんことだったな、機密事項だ。忘れておくれな。……しかしそこの紅い花畑はむなしい魂たちの血のごとく真っ赤でじつにうつくしいと聞くよ」

「それが、どうした……それが!」


「旅に出るといい」


 リンネは、はじめて、優しさらしき感情をそのわずか細めた目に宿らせた。


「マリー・ローズは返すよ。……もとよりべつに人体実験にさほど興味があるわけでもない。わが帝国が滅ぼした国の民ともなれば、なおさら、実験する気はないよ。ある程度の金を出せば人体実験に参加したがる人間など帝国にも山のようにいるんだ。私はやはり帝国の人間だ。……滅ぼした敵国の人間よりも、むらがる帝国の貧乏人どもに実験に参加してもらって、金で頬でも叩いて札束くれるほうがよっぽど合理的だ。妥当だ」


「……なにを言っている?」


「はは、わからずともよい。きさまは科学者ではなく、遅れた文化国の騎士……おっと、これも侮辱表現だったな。謝ろう。つまりね聖騎士アレン、私はマリー・ローズにはさほどの興味がないのだよ。……だから、よみがえらせるから、東の国の花畑でも見に行ったらどうかな」

「……なんだよ、それ……」


 ――もともと不可解だったこの、科学者は、俺にとってますます、ますます、



 不可解。



「……なにか企みがあるのか。どうせ騙すくらいなら言ってみろ」

「いまさら弱小国の元騎士ひとり騙してどうするというんだ」

「俺は聖騎士だ! いまも……」

「おまえにとってはあるいは一生そうなのだろうなあ。私が一生科学者であるようになあ」


 うたうようにして語りながら、帝国科学者リンネは、ずる、ずる、と白衣の裾を引きずりながら移動する。

 よくわからない巨大な箱のような道具。金属の箱やら服のボタンやらに似たモノやらカラフルな縄やら、そういったものが組み合わさって、複雑なかたちをしたひとつの箱となっている。

 リンネはこんどは、ほんとうに、なにかをうたっていた。

 鼻歌。


 ……東方のわらべ歌のようだった。

 俺も、東方は、知っている。


 聖騎士としていくつもの村や集落を焼き払ったから。


 ……そういえば、ああ、そうだな。

 黒髪に黒い瞳、小柄で平坦な顔のつくりのこの帝国科学者は――見ためだけで言えば、東方の国で、ひらひらした衣服をまといボールのようなものを蹴り上げていた、あの、庶民の少女たちに似ているな。


 東方の村や集落の人間。

 殺すのは、俺の「仕事」でしかなかったが。

 べつに、なにも考えなかったし。文明圏の隣国の人間のときと違い、祈りもしなかったが。

 東方の人間は「野蛮人」だから。



 ……帝国科学者リンネがあるいは東方の出身であるのなら、ああ、そうか、

 ほんとうに笑うようにして脱力してしまうけど、

 ホルマリン漬けにされた俺の国の人間たち、

 観賞魚のようにされて観賞魚なんかよりずっとグロテスクな、

 冷たく、残酷で、てらてらと光るこの景観が、


 ……これこそが、俺の祖国のなしてきた、真実なんじゃ……ないか。

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