帝国科学者リンネ

「どうした、聖騎士せいきしアレンよ。恋人がただのもの言わぬ漬けものと化したのが愉快なのか?」


 振り向くと、マッドサイエンティストは音もなく背後にいた。

 俺は、目を細める。――ほんとに、幼女だ。あれほどのことを成し遂げたというひとは……。

 まだ、子どもでもあるのだな。


「会いたかったぞ。帝国科学者ていこくかがくしゃ、リンネ」

「そういうのは、恋人に言ってやるべきでないかね? おっと失礼。おまえの恋人はもうつけものになっているのだったなあ」


 にやにや、と。

 まるで中年のえらい男のような喋りかた。しかし中性的になるようわざと声のトーンを落としているとわかるその声は、どちらかといえば純朴な少女のように澄んでいて高い声質だった。

 帝国科学者、リンネ。ぼさぼさ頭に白衣、分厚いべっこう眼鏡の奥の目は眠そうで、両手を白衣のポケットに雑に突っ込んでいる。ぱっと見は男か女かわからないほどの装いだが、たしかに女性だと王国の噂で聞いている。よく見れば、こぎれいにすればそれなりにかわいいだろうという、どこか幼女のようなあどけない顔立ちだ。

 と、いうか、そもそもこいつ。若え。ちまいし。まじでもしかして、そんなに歳いってねえんじゃねえのかこいつ……。


 ……敵国、フェーバ帝国の頭脳である科学者、そんな相手にわずかでも温情を覚えてしまえば、聖騎士失格となじられてしまいそうだが。

 まあ、だから、これは温情ってほどの感情じゃねえし、ましてや同情や共感などでもない。たとえ幼い女であろうと、目の前にいるこの帝国科学者、リンネは、わが王国でさえも悪名高いマッドサイエンティストなのだ。

 ひとつの国を簡単に滅ぼす科学技術を生み出したという。王国で緊急会議を開いたとき、俺はまだ、聖騎士見習いにもなっていないただの城下町の子どもだった。そして、いまは大陸を滅ぼす科学技術を。次は全世界を滅ぼす科学技術を……。

 なるほどこいつなら可能かもしれない。

 眼鏡の奥からこちらを見上げる視線にはなにも、人間らしい熱がこもっていない……そしてなにより、こいつはほんとうに、若い。これまでのどのくらいの時間でその技術を開発したのか知らんが……これからの人生があれば、たしかに、天も地も滅ぼす科学技術だって夢ではないのだろう。

 なるほど、なるほど、なるほど。

 たしかにいかにも、邪悪な科学者らしい。

 こいつがひとつの国を滅ぼすなど、容易なことなのだろう。わが王国とて例外では、ない。

 ……俺の、恋人を捕らえてホルマリンに漬けて永久にコレクションすることだって。

 女でも。歳がいくつであっても。

 なにも関係ない、帝国の仕事にプライベートが関係するわけもない。

 優秀な、科学者なのだろうなあと、そんなのはこの部屋見てたってわかるわな。俺にはわからんモノばかりだが、ここまで秩序だって整理整頓なされた研究室は、清潔というよりむしろ潔癖だ。そして、リンネのその、感情の色のない目を見たって。

 優秀な、帝国科学者なのだろう。


 だとしたら……勘弁してくれよな、と思った。



 だってさ。

「そんなの」は、俺だっていっしょなんだよ。



 ……俺は、口をひらく。

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