【異世界ファンタジー/魔術師見習い】その涙さえ命の色 最終話

「前は『透明薬』が課題だったんだよな?」


 逆立った羽を足で整えているディック。うなずくあたしに、「だったらそっちのほうが難しいだろう。材料だけじゃなく、作り手の魔力で効力が決まるんだ。今回は材料さえ手順通りに混ぜたら完成する、効き目に差はあるだろうけどな」と不思議そうな目を向けてくる。


「わかってないのね、ディック。他の人にとっては難しくても、あたしにとってはそっちのほうが簡単なの。寝てても最上級の『透明薬』を完成させる自信がある。でも、今回は材料入手が課題みたいなものじゃない。『色付きの涙』なんて、あたしに意地悪すぎるわ」


 憂鬱さにあたしは頭を抱えて作業台にドボン。ディックのいうように、今回の昇級試験は楽勝だって多くの見習い魔術師たちは喜んでいた。複雑な呪文を舌を噛まずに発音する必要もないし、手順も短くて簡単。それなのにあたしったら涙ひとつ手に入れられないなんて……


 吐く息もどよんと湿っぽいあたしに、いつもは軽口ばかりのディックもちょっとは心が揺れたみたい。トテトテと体を左右に振って近づいて来ると、ツンと優しく肩をつついてくる。


「まだ時間はあるじゃないか、ニニ。おれがまた探しに行ってくるよ。小ビンをくれたら、そいつに涙を入れて運んできてやる。知らせに戻ったときには、もう涙は干上がってましたじゃ、無駄骨だからな」


 つっぷす腕の隙間から盗み見たディックの目は、心から同情しているように潤んでいた。生意気なカラスだけど、こういうところがあるから憎めない。


「そうね……、じゃあこのビンを」


 あたしはのっそりと体を起こすと振り向き、薬草が入る瓶が並ぶマホガニーの棚の引き出しから、コルクの栓がしてある小ビンを取り出した。赤い紐がついているそれを、あたしはディックの黒くて細い首にかけた。


「飛ぶのに邪魔にならない?」


 ディックは左右に首を回して、数回軽く羽ばたいた。


「うん、ま。これくらい大丈夫さ。さて、もうひとっ飛びして乙女の涙を見つけてくるか。深夜のほうが魔力があがるんだろう?」


「そうだけど。でも、もういいわ今日は。試験に嘆く見習い魔術師くらいよ、この時間に起きてるのはさ。涙なら朝でも昼でもいいの。その子がどうして泣いているのか、なにを悲しんでいるのか、または喜んでいるのか。そのほうが大事」


「ストーリー、だろ? わかってる」


 カラスなりのウインクをするディックの背をあたしは感謝を込めてなでた。ビリビリ魔法のなごりで指先がピリっとしたけど、感嘆するほど彼の羽は艶があって美しい。この羽を使って魔法薬が作れるあたしは恵まれている。


 材料は一級品、作り手であるあたしの腕も国宝級なのに、涙スプーン一杯で苦境に立たされてしまう。あたしだってディックに任せっぱなしじゃないの、自分でも涙を手に入れようと西へ東へ大奮闘したのよ。


 でもサバト公園で泣いている子に「涙をわけて」って頼んでも、目をぱちくりさせるか、不気味そうに顔をゆがめて逃げていくだけ。大好きな人形が汚れたって号泣していた女の子の涙は群青色で、喉から手が出るほど最高だったけど、近づいたあたしにママっぽい女性が警戒心をギラギラ見せて、さっさと連れて行ってしまった。


 箒で一時間飛んだところにあるパール岬の浜辺では、ウミガメが産卵中って情報を得て駆け付けたんだけど(ウミガメって卵産むとき泣くらしいのよ、知ってた?)浜辺の入り口で『ウミガメを守る会』の偉そうな人たちに野良猫のように追い払われてしまったの。


 まったく、魔術師の薬はありがたがって買うくせに、材料集めには抵抗ばかりしていやになるわ。歴史に名を刻む(予定)のあたしに、自分の涙を使ってもらえるなんて、それこそ感激の涙で作ったワインボトルを木箱ひと箱分寄付してきてもいいくらいなのに。だから一般人は嫌いなのよ。


「ディック、あたし最悪間に合いそうになかったら、ジュリアに頼もうと思うの。涙を分けてって。べつに恥ずかしい事じゃないわ。彼女とは親友だもの」


 そうなのよ。何もこんなに苦境だ不運だって悩まなくてもいいの。もっといい材料をと欲をださなければいいだけのことなんだから。ジュリアなら笑顔であたしに涙を分けてくれるはずだ。お礼にディックの羽根をあげてもいい。


 今回は魔術師人生に関わる重要な試験だけど、こういう協力は禁止されてない。材料を融通し合うことは、むしろ推奨されてるもの。


 ただし、魔法薬は自分ひとりで作ること。ジュリアもいまごろは自主練に励んでいるはずだし、あたしもそう、いくら才能があっても油断はしない。完璧に準備して試験にはトップ合格するんですからね。


 ……と、そこでまた『色付きの涙』問題が浮上するのよね。欲張って完璧な材料を使いたいってすぐに思っちゃう。


「ダメダメ、もう妥協しなくちゃ。トップ合格は断念するわ」


 あたしはディックから小ビンを返してもらおうと手を伸ばした。けど、彼はぴょんと後ろに下がって「まだ時間はある」ときっぱり凛々しい顔をする。


「でも」


「ぎりぎりまであきらめるな、ニニ。涙くらい、すぐ見つかる。おれが最上級の涙を持って来てやるから、自主練続けろよな」


 そう言ってぶんとひとっ飛びで窓辺まで行くと、ディックはコツコツと窓を叩いて催促した。あたしはヤレヤレと首を振って、滑りが悪くなっている窓を押し上げる。ディックは黒い体をすきまにねじ込むと、次の瞬間には向かいにあるオークの枝にふわりと着地していた。


「今日は月が綺麗だ。きっといまも眠れずに月を眺めながら涙している乙女は沢山いるぜ。『ああどうしてあの人は振り向いてくれないの?』。そこへ颯爽とバルコニーに舞い降りる華麗なカラス。淑やかな彼女は『キャッ』と小さな悲鳴を上げて驚くだろうよ」


「そうして紳士でずる賢いカラスは、甘い言葉で彼女を誘惑して、色付きの涙をたっぷり頂戴するってわけね?」


 窓辺に腕をついて見上げるあたしに、ディックは「お前さんが泣くのが一番だと思うがね」と低い声でカカカと鳴いた。


「ダメ。あたしの心は……」


「ダイヤモンド、だろ? 残念だね、ニニの涙なら絶対最高級品になるのに。そいつで作った媚薬なら、トップ合格どころか歴代1位の結果で飛び級するぜ」


「そして偉大な魔術師になって将来は銅像が立つのよね」


「その肩にはおれさま、漆黒のディックがいるのさ」


 笑うあたしを見てディックは満足げにうなずくと、オークの枝から急降下するように飛び降り、見事な弧を描いて上昇した。


 満月をバックに黒い大ガラスのシルエットがくっきりと浮かぶ。ディックはあたしの視線を意識するようにくるりと宙返りすると、向かいにある古びた教会の三角屋根を越えていった。


 あたしはしばらくその優美な姿を眺めた余韻に浸ったあと、ほっと息をついて、ガタガタと滑りの悪い窓を上半身の重みを利用して盛大な音を立てて下ろした。


 さて。特訓再開だ。


 ピカピカの真鍮の鍋の底にこびりついた『小さな恋の媚薬』失敗作をヘラでこそげ落とすと、乾いた麻布で新品同様の輝きになるまで磨いた。映った顔はちょっとしょげて眉が下がり気味だけど、にっと歯茎を出して笑ってみる。


「ニニ、あんたは天才よ。超優秀な魔術師だもん」


 もちろんまだ見習いだけど、次の試験に合格すれば正式に魔術師になるんだもの。もう魔術師ってことでちゃんと誇りを持たなくっちゃね。


 あたしは鍋に火をかけ、井戸から汲んで三日間月光を浴びせた水をとくとくと半分の量まで注いだ。ディックの黒々とした羽根をいとつ入れて、西洋ヒイラギの実をひとつかみ、タランチュラの右足、野ウサギの前歯を砕きながら混ぜていく。


 赤トカゲの尻尾の粉末を用意するため、すりこぎを片手に気合を入れる。乾燥したトカゲの尻尾三つに茶色の遮光瓶に入ったローズマリーのオイルをゆっくり滴下する。ごりごりと動かしてすりつぶしていると、独特の匂いが鼻を刺激した。


 ロウソクだけが灯る部屋。あたしはくちゅんとくしゃみをした。

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