【異世界ファンタジー/魔術師見習い】その涙さえ命の色 2

「ディック、見つけた? 失恋した乙女の涙」


 あたしは滑りが悪い窓を押し上げながら訊いた。ディックは浴びるように輝く月光を振り払うようにぶるるっと羽を逆立てる。


「いんや。ショックを受けたおばさんはいたけどな」


 ディックはカカカと笑うと窓の隙間から体をねじこんで部屋に入ってきた。タイミングよく強い風が吹いて、ロウソクの灯りが激しく揺れる。あたしは急いで窓を下ろすと腰に手を当ててふり返った。ディックは作業台に滑るように飛んでいくと木の葉が落ちるような軽い音を立てて着地した。それから、ちょこちょこと歩いて泡立つ鍋の中をのぞいている。


「ショックを受けた? 失恋じゃないの?」


 あたしが作業台にどんと手をついて問うと、ディックはちょっとだけよろめいて片足をあげ、ゆらゆらと左右にバランスをとった。


「うーん、失恋ともいうかな。でも年増だぜ?」


 ぺたんと足をおろしてこっちを見てくる目は上目遣い。こっちの反応を試すように嘴の付け根が笑っている。


「おばさんでもいいわ。肝心なのは涙の質だもの」


 あたしはふんぞり返って彼をにらみつけた。本当は純度が高いと噂の『失恋した乙女の涙』を手に入れたかったんだけど、もう試験まで日にちがない。本番で使う材料で一回は練習したいし、誰かを使って効果も試したいもの。


「涙の質ねえ。おれにはわかんねーな」


 ディックは耳のあたりをポリポリと鋭い爪でかいている。


 あたしが手に入れたいのは、とにかく目を引くような濃い色をした魅力たっぷりの涙だ。涙は魔力がないと透明にしか見えないらしいけど、本当は感情によっていろんな色に変化している。悲しみは青、喜びは黄、怒りは赤って具合にね。


 試験では涙の色に指定はなかったけど、恋の媚薬だから、切ない想いがこもった色のほうが上質な媚薬が完成するに決まってる。それに強い感情からあふれ出た涙はそれだけで魔力を秘めているの。涙は命の雫。魔法と似たエネルギーがあるから、実はとっても貴重なの。


「色は? 紺碧? それとも藍色。まさか黒紅とか?」


 あたしは期待半分で訊ねた。黒紅だったら一級品だ。強い失望と悲しみ、それに怨念が入っていると、黒みが強く、ほんのり紅も混ざる。でも予想した通り、ディックはなで肩を軽くすくめて見せた。


「うすい水色さ。ほとんど透明。でも泣いてたぜ、ビービービーって」


 ケケケとディックは愉快そうに笑った。この笑い声は耳障りだからやめろって何度も言ってるのに。ディックはわざとらしく声をひそめて続ける。


「不倫もののドラマを観て泣いてたんだ。相手役の男が色男なのさ。でもそいつが殺されちまって――あ、役の上でだぜ――次からは出演しないってんで、ショック受けてビービー。もう隣に座る旦那が青ざめるほどの号泣よ、ケケケ」


 ったく。あたしは邪魔者を追い払うように激しく手を振り上げた。ディックはぴょんぴょんと跳ねて、三冊重なった分厚い魔術書の上に乗ると、茶目っ気ある黒い目をくりくりさせた。


「怒るなよ、ニニ。涙は涙だ、正真正銘の心からの涙。あれなら練習分も含めて大瓶いっぱいは入手できるぞ。ムーンスクラム通りのワーグナービル八階に住んでる女だ。ここから箒で十五分ってところかな。行くか?」


 あたしはため息まじりに首を振った。


「行かない。あたしが狙ってるのはもっと強い感情がこもった涙よ。せめて淡藤か桜色じゃないと。悲しみじゃなくてもいいわ。だれか恋に夢中になって涙している子はいない? 感激の涙でもいいのよ。告白が成功したとか、プロポーズを受けたとか、誰か嬉しくて泣いている子を見つけてよ」


「そう簡単にはね」


 ディックは面倒くさそうに羽の内側に嘴をつっこんでかいている。カラスに頼んだのが間違いだったのかな。彼なら視力もいいし、上空からたくさんの涙を見つけて来てくれると思ったんだけど。これじゃあ大事な昇級試験に間に合わないよ。


「自分の涙でもいいんだろう、ニニ」


 期待外れな結果に苛立ちを見せたあたしに、ディックは小さな頭を傾げてまばたきする。


 あたしは「無理。試したけど、ちっとも涙なんか出ないんだもの」としかめっ面。試験ではもちろん自分の涙を使ってもいい。わざわざ苦労して他人の涙を頂いてこなくったって自前調達できるなら、それで十分なのだ。


 友だちのジュリアは自分の涙を使うことにしている。彼女は「スプーン一杯分はなんとか確保できたわ」と小ビンに入った薄桃色の涙をあたしに見せてくれた。薄桃色ってことは、まあそこそこの効力がある涙ね。淡い恋心ってところかしら。ギリギリ試験に合格できるラインだと思うわ。


 あたしはジュリアにどうやって泣いたの、って訊ねた。そうしたら、「映画を観たの」ですって。


「古い映画だけど泣けたわよ、ニニ。あんたも観たら? ぜったい涙がボロボロ出るわ。あたしなんて三回観て三回とも泣いたもの」


 ジュリアが泣いたっていう映画は、王妃と下僕の悲恋を描いた話だった。悪役に魔女が登場するんだけど、すっごく醜い顔をしていた。イボだらけで皮膚は黒ずんだバナナみたい。白髪は縮れたナイロン糸を張り付けたみたいでぺったんこ。


 それのせいかな。あたしは全然泣けなくって、逆に腹が立ってカッカしちゃった。魔女って魔法が使えるのよ? わざわざ醜い姿でいるわけないじゃない。リアリティがなさすぎよ。これを見て泣いたジュリアはお人好しすぎるんじゃないかしら。あたしは一般人のああいった偏見に、すぐ頭にきちゃうの。


 次に進めてくれた『魔女見習いと不思議な猫』ってお涙頂戴ものも前評判ほどは感動しなかった。『全魔女が泣いた!!』ってアレ嘘ね。あたしは魔女じゃなくて魔術師だけど(魔女と魔術師は正確には違うのよ、もちろんご存知よね?)。使い魔の猫が怪我をしながらも牢屋に閉じ込められてしまった魔女を救い出しに来たところでウルルときたけど、やっぱり涙はこぼれ落ちなかった。


 そのあともジュリアおすすめの泣ける映画やドラマ、小説、漫画、音楽やドキュメンタリーも観たり聴いたり読んだりしたけど、最高でもやっぱりウルルってくらいで、とてもじゃないけどスプーン一杯の涙は用意できない。


 それに色付きってなると難しい。たとえば、まばたきをこらえて流した涙は透明なの。無理をして絞り出した涙は魔法薬の材料にはならないわ。


「ニニは心が岩なんだ、もっと腐ったトマトくらいブヨブヨにならねーとな」


「心がダイヤモンドなの。岩じゃなくて」


 ぴょこぴょこ横跳びしながら作業台を横断しているディックに、ツンとすまして答える。でも彼が言わんとすることは当たってる。あたしってば、これまでの人生で数回くらいしか泣いてない、超ダイヤモンド級のハートなのよね。


 ひとつは箒が暴走してアーロンおじさんの愛車をぶっ壊したとき。あのときは顔面をぶつけた痛みと叱られるって恐怖でわんわん泣いた。涙は不安いっぱいの紺青色。顔中真っ青になったわ。


 でもアーロンおじさんは泣きじゃくるあたしの心配はしてくれたけど、叱ったりはしなかった。ただ「ニニに箒は早いさ」って頭をなでなでしながら、渋るあたしの手から容赦なく箒を没収しただけ。


 あたし、あのとき四歳になったばかりだったの。でもあたしの飛行技術の問題じゃなくて、アーロンおじさんの息子、いとこのギルルが箒の手入れを怠ってたのが悪いのよ。実際、次の日こっそり乗ったロザリンドおばさんの箒では余裕の空中三回転を決めたんだから。


 ま、あたしが泣いたのはその一回と、あとはハロウィンおばけ騒動とねずみ大量風呂事件、ミミズスパゲティの例の一件くらいで、どれも小さかった頃の話よ。いまはあくびをしても目尻はカラッカラ。涙なんて、超ご無沙汰よ。


「ああ、どうして『色付きの涙』は買えないのかな。大量生産して売るべきよ。商売になるわ。コントロール魔法のほとんどに涙は必要なのに」


 あたしの悲痛な叫びに、ディックは嘴をあげて笑う。


「そりゃあ理由は簡単だ。いくら商売になろうと質が肝心だからさ。どの魔術師に聞いても『涙はストーリーが大事だから』って答えるぜ。おれが昔、馴染みにしてたヘンリー爺はカラスの涙を欲しがってた。もちろん、おれは協力しようと涙をやろうとしたぜ。でもまったくおれの愛らしい瞳は湿らず、かわりに……」


「ああ、その話はよして」


 オチは最低最悪下品なの。聞かなかったことにしたいくらいよ。


「ディック。カラスは泣かない、そうでしょう?」


 話を中断させたことに、ちょっと不服そうに細い首をすくめたディックは、再びぐつぐつ音がしている真鍮の鍋をつま先立ちでのぞき込んだ。


「そのとおり、カラスは泣かない……あ。おい、焦げてるぜ」


 嬉しそうに両翼をばさばさと羽ばたかせる。


「もう、ディックが話しかけるからよ!」


 異臭を放ち始めた鍋を火から慌てて下ろす。火傷しそうに見えるけど、お手製のミトン型鍋つかみ(防火魔法入り)がしっかり効力を発揮して、あたしの繊細な指先でも、ひとつも熱を感じなかった。


 ほらね、あたしは優秀なの。白地に小花柄のキルト生地に、たっぷりの魔法をしみこませて作った鍋つかみは、十歳のとき、初めてひとりだけで作った魔法グッズよ。それでもまだ現役バリバリで使えて魔力も全く衰えていない。


「こりゃ失敗。本番だと不合格だな、ニニ」


 鍋の中の焦げて黒ずんだ魔法薬を見て、ディックは嘴で器用にニヤリとした。あたしは指を鳴らしてビリビリ魔法を彼に放ってやった。静電気が彼の羽毛を逆立てたけど、ディックは「ちょうど首がこってたんだ、ありがとよ」ですって。


「もうだめ」あたしはすすけた天井を仰いだ。

「どうして『ちいさな恋の媚薬』が今季の課題魔法薬なのよ。前回の進級課題はもっと簡単だったのに」


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