【ホラー/高校生】一夜のキリトリセン 1

 最初にソレに気づいたのはケンジだった。


「あれ、キリトリセンに見えないか?」


 指さしていたのは、真っ青な空を横切るひこうき雲だ。

 そのひこうき雲は途切れがちに続いていて、ポツポツと並ぶ形をまるでキリトリセンみたいだと彼は思ったらしい。


「そう、かな?」


 学校からの帰り道。帰宅部で塾にも入ってない僕らは、高校生になってものんきに河川敷に寝そべっては、くだらない会話ばかりしていた。二学期を迎えてしばらくたった今日もそれは変わらず、「あの雲は何に見えるか?」と無駄にもほどがあるほどの無駄話でかれこれ一時間ちかく暇をつぶしている。


「あれはキリトリセンなんだよ」


 ケンジは断言口調でいうと、さらに満足気にもう一度「キリトリセンだ」と繰り返すと、にやにやと笑う。


「ま、そうかな」


 どうでもいい会話だ。僕は「じゃあ、あれは」と他の雲を指さそうとして、そこでカチリと時が止まったように固まってしまった。


「ヒロト」

「……ああ、うん」


 一分もない時間だったろう。それでも、ソイツが消えた瞬間、張りつめていたものが緩み、どっと汗が噴き出した。のどがかさつく。意識してゴクリとつばを飲み込んだ。


「見た、よな?」

「見た」


 ケンジは「こう」と寝ころんだまま空に向かって両手を伸ばすと、何かを押し広げるような仕草をした。「隙間があいて」


「ああ、見たよ」


 詳しい説明なんて聞きたくない。

 食い気味に答える僕に、ケンジはパチパチとまばたきする。

 ソイツはもう消えていたけれど、いつまた現れるかわからない。

 話題にして、ソイツを呼ぶようなマネはしたくなかった。


 ソイツはさっき「キリトリセン」だとケンジがいったひこうき雲をバリバリと破るようにして、空の向こう側からこちらをのぞいた。でかい黒々とした目が現れて、僕らをじろりと眺めまわすと、ゆっくりと空を閉じていった。そして、ひこうき雲ごと姿を消して、あとには何事もなかったように青空が広がっている。


「まさか、ほんとに」

「やめろって、また来るぞ」

「あ、ああ」


 ケンジは話したそうに僕をちらちらと見たが、こっちはいちいち口に出したくないのだ。あの噂、最近クラスで流行っている都市伝説――キリトリセンのことだなんて、いわれなくても承知している。


 その都市伝説はいわゆるオカルトサイトに載っていたものらしいのだが、読者モデルをしている女子高生が、「ほんとにいた」とツイッターでつぶやいたことで、一躍有名になった。


 キリトリセンは、スキマ女(隙間からこちらを見ていて、やがてターゲットを隙間に引きずり込む)に似ていて、いろんなキリトリセンの向こう側に住んでおり、なにかのキリトリセンを開けるたび、そいつが現れるようになる、そして、ターゲットを追い詰めたが最後、キリトリセンの向こう側の世界へと引きずり込む、というものだった。


 ツイッターは画像つきで、お菓子のパッケージを開けたら、こっちを見ていた、との内容だった。そうはいっても、画像にキリトリセンが映っていたわけではなく、ただ封の開いたお菓子の箱があっただけなのだが。


 それでも、「私も見た」「俺も」「兄ちゃんが」「妹が」「母さんが」と次々コメントが並び、やがて「撮影成功」との見出しで、新たにツイッターが投稿されると、そこに映る姿(ぼやけた目玉のようなもの)に、みんな盛り上がって、最近では知らない子がいないくらい有名な都市伝説に成長している。


 ある人は申込用紙のキリトリセンを切り取ろうとしたら、ソイツの手が伸びてきて。ある人はレトルトを食べようとしたら中から髪の毛が出てきて。またある人は、成人向け雑誌の袋とじをのぞいたら……と笑えるものまで、あらゆるキリトリセンにソイツは現れる。


 でも、空の雲がという話は聞いたことがなかった。僕らが見たソイツは巨大でぜったいに他の人も見ているはずだ。もしかしたら、いまごろネットで騒ぎになっているかもしれない。僕はカバンのサイドポケットから、スマホを取り出そうと手を伸ばしかけ、横にいたケンジがボソリとつぶやくのに振り向いた。


「二人してさ、夢見たってことはないよな?」


 寝ころんでいた体を起こすと、ケンジは僕の顔をのぞきこむ。

 僕は「見たよ」とだけ答えると「帰るか」と立ち上がって、かたわらに投げてあったカバンを拾った。


「おい、ほんとに」

「すごいよな」


 明るい声の僕とは違い、深刻な顔をして見上げてくるケンジ。

 つい吹き出しそうになる。

 もちろん僕だって、信じられないけど……、でも現実に見てしまった。

 こんなすごいことがあるだろうか。噂が本当になったのだ。


「ヒロト、俺たち」

「大丈夫だって」


 一度、キリトリセンを見たからといって、必ずターゲットになるわけじゃない。

 

 いまではすっかりこの都市伝説にもバリエーションが増えてしまっているが、初期のキリトリセンは何度か遭遇したあと、最後、夜にキリトリセンを見たときに連れて行かれるという話になっている。それまでに、様々な箇所でキリトリセンを発見してはビクビクついて、とそこが恐怖ポイントなのだ。


「ヤバイよな」


 ケンジはひざを抱えて座ると、あごをのせ陰鬱な顔をする。

 どうやらまだ帰る気はないらしい。

 そのまま放っておくわけにもいかず、僕は小さく息を吐くと再び腰を下ろした。


 目下の先には、太陽を反射しながら、ゆったりとした速度で川が流れている。

 まだ暑さの残るこの時期なら、川遊びも楽しそうだった。


「な、魚でも探すか?」


 気晴らしのつもりで提案したのに、ケンジは「そんなこといってる場合かよ」と低い声で返すと、僕をにらみつけてきた。かと思えばすぐに、


「対処法、考えとくんだった。どうする? いまからじゃ遅いかな」


 といって、涙目になってすがってくる。

 さっき僕が恐怖の真っ最中のだったときには、ぽかんとしてニブイ奴だったのに、時間差で怖くなってきたらしい。


 ケンジは軽い遊び相手にはちょうどいい相手だけど、たまにノリが合わなかったり、こうして、ちょっとのことでも深刻に考えて落ち込んだりするところがある。 正直、こういうときは鬱陶しく感じて、他にこれといった友人がいない自分が恨めしくなる。


「だから」と僕はやや語調を強めた。

「一度見ただけだろ? 何度も見てから悩めよ」


「でも」

「じゃ、なんだよ。だいたい、噂してると、また来るぞ」


 ケンジに目をやったまま、僕は空を指さした。彼は「や、やめろよ」と抱えていたひざをさらに抱き寄せて背を丸める。上目遣いで見る目は、すこしだけ恨みがましさが混ざっているようで、僕はわずかにムッときた。


「最初に言いだしたのはケンジだろ? 暇だからって、お前が誘ったんだ」

「で、でも」

「なんだよ。お前が始めたんだ、違うのか」


 ケンジは苛立たしそうに唇をゆがめたが、小さく「わかってる」とだけ吐き捨てると不満げにそっぽを向いた。僕は「いまさら」と、同情的な励ましのつもりで声をかけた。ケンジひとりのせいにするつもりはないし、そもそも気にしすぎなのだと。が、口をついたのは冷たい響きしかない声音で、心なくも突き放すような態度になってしまった。


 僕はとりなすように軽くケンジの肩に触れた。けど、彼の眉間に深いしわがよるだけで、いやな空気がねっとりと重くまとわりつき、沼に沈むようだ。心臓が捻られるような気まずさに、僕は苛立たしげなため息を吐いた。


 それから、しばらくは互いに口を閉じていた。川辺に視線を向けてやり過ごすことで、辛うじてつながっているはずの親密さの糸を守っていたように思う。

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