【現代ドラマ/コメディ・社会人と子ども】飴と傘 後編

「ツ、ツユちゃん!」


 驚いた。ハッとして、たじろぐ梅子。

 されど、ツユちゃんは止まらない。ますます声のボリュームを上げる。


「おい、てめぇ、誰もがありがたがってると思ったら、大まちがいなんだよぉ。こんの、すっとこどっこい。ハゲヤロウ。やせやがれ、豚ヤロウ」


「ツ、ツユちゃん!!」


 梅子はご近所に素早く目をやった。

 誰もいないようだが、日曜の休日に園児がとんでもない暴言を吐いている。


 まったく、世の中どうなってるんだ。

 神さまが太ったハゲヤロウだなんて、初めて知ったぞ。

 善良な梅子はヒヤヒヤした。


 神さま、お許しください、と彼女は心から詫びる。

 思わず、跪いて両手を組もうかと思ったくらいだ。

 教会へ行ったこともないのに。


「おうおう、泣き虫神さんなんだろ、てめぇはよぉ。泣けってんだよ、おらぁ、泣けってばよぉ」


「ツ、ツユちゃん!」


「泣け。ほら泣けよ。泣け泣け泣け。泣けってんだ、泣けーっ」


「ツ、ツユちゃん!!」


「もうっ」と怒ったツユちゃんは、梅子をにらみつけた。


「ジャマしないでよ。アメを降らすんだから」


 ツユちゃんは逆さ傘をバウンバウンと上下に動かす。


「ここにためるの。いっぱい降らすつもり。おばっ……ユニバースも手伝ってよ」


 ここへ来て、やっと梅子は合点した。

 『泣き虫神さまドロップス作戦』なわけだな。

 神さまの涙はドロップになって空から降ってくる。

 それをゲットだぜってことだ。


 園児の発想だなぁ。きっと幼稚園でお歌を習ったばかりなんだ。


 梅子はほんわかと心が和んだ。ほろりと涙さえこぼしそうになる。

 純粋なハート。そんな時代が自分にもあったはずだ。一体、いつ、自分は……


「おうおう、泣けよ。しぼり出せってんだよ。おい、どぉしたよ、神ヤロウ」


 やっぱり和まないな。

 涙が引っ込んだ梅子は、ツユちゃんの口を塞ごうかなと思案した。

 手を伸ばしかけ、引っ込める。万が一にも虐待を疑われたら怖い。


 というか、この子の親はどうした?


「おい、泣けったら。どうした。泣けねぇのか。泣かしてやろうか。おい、こらっ、このノロマ。早くしやがれ」


 ツユちゃんが神を罵る中、梅子はそうっと家の窓を覗く。

 誰の姿もないようだが、出かけているのだろうか。


「ねぇ、ツユちゃん。ママはどうしたの? パパは??」


 ちょんと肩を叩いて尋ねる。ツユちゃんは、すまし顔で、


「デートに行ったわ。ま、いいんじゃない、たまには」


 誰の台詞かと思うほど、達観した口ぶり。

 しかし、デートか。へえ、仲がよろしいこと。

 思わず、「けっ」と言いそうになるが、冷静になれと梅子は頭を振り、


「ひとりでお留守番してるの?」


 と優しく問う。立派だとは思うが心配でもある。こんな小さい子を置いて、デートなんて。最近の親は、親としての自覚が足りないんじゃないかしら……と、うるさいご近所さんとして気に掛けると、


「バーバが来てるのよ。ちょっと耳が遠いけどね」

「ああ」


 耳が遠いのか。なんたるこった。

 ここは、私が注意すべきということだろう。教育は地域ですべし。


 よし。梅子はにこやかな笑顔を貼りつけ、


「ツユちゃん。神さまを泣かせるなんて、かわいそうじゃないかなぁ」


 まろやかな声音で小柄なツユちゃんと視線を合わす。

 屈む姿勢は太ももに堪えたが、上手く注意出来た。

 優しいが、しっかり者のお隣さん。見事だ。

 わが身が誇らしいと鼻の穴が膨らむ思いがした……のだが。


 ツユちゃんはやれやれと首を振り、大きなため息をついてしまった。

 そうして、まっすぐに梅子を見つめると、


「いいのよ。神さまだって、泣いていいの」


 深淵だ。

 梅子は園児の言葉に痺れた。

 ピシャーンと萎びかけていたハートが衝撃を受ける。


 そんな打ち震える彼女に、


「さぁ、今度はバースがやってごらん」

「ん?」

「神さまを泣かせてちょうだい。あたしはこれでキャッチするから」


 ツユちゃんは傘をぐっと空につき上げる。やる気満々だ。

 梅子は再度ご近所に目をやった。ゴホンと咳をひとつする。


 よし、やるか。私は優しいお隣のお姉さんなのよ。

 せっかくの休日でも、子供の遊びに付き合ってあげるんだから。

 ほら、誰か私を見て! 

 素敵な女性がここにいるわよ。


 ……とまでは思わないが、多少、視線は気にする。さて。


「おーい、神さま。泣いてくださーい」


 そっと声を発する梅子。恥じらいでポッと頬が染まる。

 それに、


「そんなんじゃダメ。ちゃんとやって」


 手厳しい。子供だましは許されないのだ。

 よし、もう一回。


「おーい、頼みます。神さまぁ」


 ツユちゃんは上げていた傘をスッと下ろした。

 そうして梅子に冷え冷えとした目を向ける。


「ふざけないで。あなたの本気を見せてちょうだい」

「……はい」


 梅子は反省した。ズシリとくるものがある。

 すぅと息を吸い、声を出す。


「泣いてくださーい。泣いてくれないと、私が泣きますよぉ」

「いいぞ、その調子だ」


「泣きますよぉ。わーんわん、泣くんですから」

「泣け、泣け」


「ほんとに、ほんとーに、泣いちゃいますからね」

「わんわん泣け、泣いて泣いて、泣くんだ」


「もぉ、なんで私ばっかり、嫌な目に遭うんですかぁ」

「そうだ、不公平だぞ」


「せっかくの休みなのに。朝からずーーーと仕事仕事っ」

「理不尽この上ない」


「私にばっかり押し付けてくるし、なんで誰も手伝ってくれないんだよー」

「まったくだな。助け合いという言葉を知らんのか」


「お前は仕事が遅いって。そんなことなーい。量が多すぎるんだぁ」

「そうだ、多いぞ。常識がないのか」


「部長のバカ野郎」

「バカ部長め。パワハラだな」


「純のあほぉ。浮気しやがってぇ」

「最低だな。そんな男、捨てちまえ」


「お前は俺より仕事が出来るから嫌だってぇ。ふざけんなよぉ」

「そうだ、ふざけんな。ぶっ叩くぞ、腰抜け。ママが恋しいのか」


「部長は仕事が出来ないって怒るし、彼氏は仕事が出来るから嫌だって言うし」

「とんでもねーな。くさってやがるぜ」


「どいつもこいつも、適当なこと言ってんじゃねぇーよ」

「そうだ、バース! お前は正しいぞ!」


「アホアホ、どアホーッ!!」

「もっとだ、バース! 己を解き放て」


「ばーーかやろおおおお」


 梅子の叫びが空へ放たれる。

 いい響きだった。胸がスッとした。


 と、ツユちゃんに腕をとんと叩かれ、ハッとして我に返る。


「よかったね。神さまが泣いたよ」


 ツユちゃんの手にはアメが一つのっていた。

 赤くて丸いアメ玉だ。


「くれるの?」


 ツユちゃんはこくりとうなずく。

 梅子はアメを受け取ると、ぽいと口に放り込んだ。


「うげぇ。何この味」


「梅味。梅干しを再現。まるで種をしゃぶっているような味わい」

「なに再現してんだよ」


 まったく。世の中どうなってるんだ。

 梅子はガリッとアメを噛んだ。


(おしまい)

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