ホラー&コメディ&シリアス&恋愛 短編集
竹神チエ
短編集
自主企画 同題異話参加作
【現代ドラマ/コメディ・社会人と子ども】飴と傘 前編
カタカタとキーボードが鳴る。素晴らしいタイピングさばきは、まるでピアニストのようだ。梅子は勢いよくエンターキーを押した。
「とりゃあ、完璧じゃねーか」
……しかし、誰も見てはいないし、褒めてもくれない。
そんな、平凡な日曜日。
せっかくの休日だというのに、梅子は朝からパソコンにかじりついて仕事をしていた。背中は痛み、目は画面の見過ぎでショボショボ。早くも老眼になったかと本気で心配するほどの霞みようである。
小さな部屋の窓から見える空は、お出かけ日和にぴったりな晴天だ。
公園に行って、簡単なお昼を食べるだけでも楽しそう。
何が嬉しくて、こんな休日を送っているのだろう。
本当は梅子さん、今日、デートの予定だった。
買い物をして回るだけの得にイベントのないデートだったが、それでもデートはデート。胸ときめかせて……というには無理があったが、それでも楽しみにしていた。
それが、直前でキャンセル。がっかりして涙も出ない。
嬉しい予定はなくなり、つまらない仕事だけが山盛り残った。
そして、腰痛と老眼疑惑。
ため息だ。
キャンセル、キャンセル。
次のデート予定はありません。
彼のことを考えると、梅子はずきんと胸が痛むと同時に、猛烈に腹が立つ。
でも、いいんだ、忘れよう。
梅子は深く息をつき、仕事に戻る。
片付けなければならないものがあるだけ、マシな気がした。
そうだ、私には仕事がある!
コーヒーをがぶ飲みしながら奮闘すること数時間。
終了したときは、もう昼を過ぎておやつの時刻。
嘘だろうと二度見して、さらには別の時計まで確認したが、悲しきかな、事実だった。もう休日の半分は終わってしまったのだ。後は寝るだけか。まさか、そんな、まさか!
いや、まだ半日ある。ポジティブで行こうじゃないか。
ぐるるぅとお腹が空いたと体が泣くのが聞こえた。
ダイエット中だが、頑張ったご褒美だ。がっつり食べたい。
梅子が、よっこらせと立ち上がると、ぽきぽきと関節がなった。
そのまま、よたよたとキッチンへと向かう。気分はゾンビか妖怪だ。
冷蔵庫を開けると昨日の夕飯の残りが目に入った。
簡単な炒め物に冷ごはん。
雫がついたラップ越しに見る料理はひどくまずそうだ。
ダメだ。どうにも食べる気がしない。
気分転換にコンビニまで歩こうか。
十分ほどで着くし、新しく出来たほうに行ってもいい。
あっちへ行っても、二十分もかかるまい。
新作チェックして、唐揚げを食べながら散歩しようか。
それとも、久しぶりに外食するか。ぱーと豪勢なランチもいいな。
ひとりで思いっきり楽しむんだ。
バタンと冷蔵庫の扉を閉じ、「よし」と気合を入れる。
気合を入れないと「楽しい」と思えないのも悲しさMax人生だが、現実そうするしかないんだから仕方ない。気合を入れて笑い、最高に気分を盛り上げる。
古びた財布だけ片手に持ち、梅子はだらしのない普段着のまま玄関を出た。
痛む背中は丸まり、しょぼつく目には日差しがキツイ。
手をかざして外に目をならしていると、ふと、気になるものが視界に入った。
はて、と首を傾げながら、梅子は左に目をやる。
お隣に住む、雨宮さんちのツユちゃんがいた。
小柄な体にぽってりした頬。丸くカットされたショートボブは愛らしい園児そのものなのだが……何かおかしい。
彼女、芝生の小さな庭で凛々しい仁王立ちをして空をにらみつけている。
手にはカエル柄の黄色い傘。それを……
「ツ、ツユちゃん、何をしているの?」
梅子は遠慮がちに声をかけた。というのも、ツユちゃんは傘を差していたのだが――というか持っていたのだが、上下が逆。おわん型になった傘が空に口をぽっかり開けていたのだ。
「おーい、ツユちゃん」
呼びかけに、五歳の女の子は、らしからぬ据わった目をして、梅子を見やった。
「なに、おばさん」
よろめく梅子。
「だ、誰がおばさんだ!」
とはいえ、ツユちゃんママとそう歳が違わない。
が、おばさんは嬉しくない。むすっとしていると、
「こんにちは、ミスユニバース」
そんな軽やかな呼びかけに変更された。
「あら、ごきげんよう」
梅子は微笑む。
なんて良い子。良い子は好きだ。
「それで、あなたは何をしているの?」
ゴキゲンな梅子に、ツユちゃんは「そんなことも分からないのか」という顔をして、「アメをもらうの」ときっぱり言い放つ。
「雨? 今日は一日晴れの予報だよ」
梅子は空に向けて手をあげる。雨なんか降りそうもない。
私の心は雨だけど、空はこんなに晴れてるわ。
……と、心で歌う。自虐センスだけは冴えているのだ。
そんな梅子に、ツユちゃんはやれやれと首を振った。
「レインじゃない。あめ。飴だってば」
ははあ、レインか。Rainね。
ツユちゃんは英語を習っているのだ。素晴らしい。
梅子は英検3級で終わっている。時代だな。
「あのね、神さまが泣くとアメが降るの」
「神さま?」
「ちゅるんちゅるん。泣き虫神さま」
「ああ!」
ドロップスの歌か。梅子は理解した。懐かしいものだ。
童謡でいいのだろうか。
むかし、泣き虫神さまが~、というあれだな。
ただ、それでも傘を逆さに振り上げる理由は、凡人梅子には分からなかった。
「ツユちゃん」と、梅子は彼女に近づきながら訊ねる。
「お歌は分かったけど、何をしているの?」
「だから、泣かせてアメをもらうんだって」
物分かりの悪い梅子がぽかんとしていると、ツユちゃんはすぅと息を吸い込み、空に向かって声を張り上げた。
「おいっ、神さんよぉ。てめぇのせいで、世の中がくさっちまってんだろぉがよ。どう落とし前つけるつもりだ。あぁん? おいっ、きいてんのか、神ヤロウ」
――後編につづく。
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