【現代ドラマ・恋愛/七夕コメディ】コップの中の漣 沙織side
【コップの中の嵐】
当事者にはおおごとでも、他にあまり影響せずに終わってしまうもめごと。
――デジタル大辞泉より――
はたから見れば何でもないことでも、本人にとっては一大事。または、澄ました顔をしていても、脳内では絶賛サンバ祭開催中なんてこともあるわけで。
沙織はスーパーの効きすぎた冷房に足を冷やしていた。痛いくらいだ。サンダル履きの足はゾンビのように青くなっている。この冷房の効き具合、パートのおばさんたちは寒くないのだろうか。それとも店長の方針で、つべこべ言えないとか。
(靴下が欲しい……)
沙織は切実に願っていた。財布片手にやってきたスーパー、カバンに控えの靴下なんてことにはならないし、三百八十円の足首ゆったり靴下をここで買うかというと、それも嫌だった。だいたいサンダルに靴下なんてハイセンスなファッションを粋に着こなす自信もない。
店内は七夕を意識した飾りであふれていた。入り口付近、レジを出たすぐそばには三本の細い竹が展示してあって、笹の葉が嵐を思わせるほどに激しく揺れている。あのあたりがエアコンの吹き出し口なのだろう。
細い竹は短冊に願い事を書けるようになっていて、すでにたくさんの願い事が吊るしてあった。ちらとだけ見たところ、子供の『テストで百点とれますように』に混ざって、『絶対大学合格』というなにやら切実そうな願いや、『織姫の恋人がほしい』という不埒な短冊もかかっていた。
(靴下をください)
沙織は思わず、そう書いてやろうかと思った。でもユーモアセンスを披露するよりも、さっさと買い物を済ませてしまおうと足早に目的の棚まで行く。が、そこでぴたりと立ち止まってしまった。
(あ、怪しい……)
万引きという犯罪がある。軽く考えている人が多いようだが、れっきとした犯罪で店ひとつ潰れることだってありうる。許すまじ、万引き。そんなわけで。
沙織はすすす、と棚の陰により、そこから首だけ伸ばすかたちで観察を開始した。即席Gメン沙織の誕生である。
ターゲットは中年すぎの丸っこい体つきをした、そう、たぶん主婦。沙織と同じようにサンダル履きだったが白い靴下を履いていて冷房対策をしている。
なかなかのハイセンス婦人。しかし、きょろきょろと視線をとばし、それからお腹のあたりをごそごそと触り、またきょろきょろとしている姿は挙動不審の見本のよう。手に先日テレビで健康にいいと勧められていたお茶パックを握り、それを棚に戻しかけては、また手にとり、そしてきょろきょろしているのだ。
正義感に燃える沙織は、店員が近くに居ないかとあたりを見回したのだが、買い物客ばかりで見当たらない。どうしようか。悩む沙織。
そのとき、ちゃんらら、ちゃららら、と店内にメロディが流れた。
「特売、特売、さんまが安いよ、安いよ。一本、六十八円!」
ソックス婦人がぴくりと反応する。やや前屈みになっていた背が伸び、海鮮売り場のほうへと首がのびる。が、急に電気が走ったように体を小刻みに震わせたかと思うと、その場にうずくまり動かなくなってしまった。
機敏かつ予測不能な婦人の行動に戸惑う沙織。背後ではさんまを求めて走る人の足音がしたが、沙織はさんまに用がなかったので、その場を離れずにいた。すると婦人はゆらりと立ち上がり、お茶パックをぎゅっと握りしめると毅然とした顔をした。さすさすとお腹を触る。
(やる。やるぞ)
沙織は現場を押さえんと緊張し、ごくりと息を呑んだ。と、自分とは反対側の棚の端に、同じように顔だけのぞかせている男性を発見した。気弱そうだが、そこそこ顔立ちのいい若者だ。沙織が見ていると、相手も気づいたらしく、ぱちっと目が合った。
と、相手の男は慌てて首を引っ込める。沙織はすこしだけ気分が悪くなった。むっとしていると、男はそろり、そろりと顔を出し、まだ見ていた沙織と目が合うと、再度顔をひっこめようとした。
しかし。その前に中間地点にいる婦人が「うっ」と呻いたので、動きを止める。何事だろうという視線を沙織は男と交わした。その間も婦人は「う、う、うぅ」と言い、顔をしかめる。
(まさかっ)
ぴんときた沙織は急いで婦人に駆け寄った。
――達彦sideにつづく。
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