【ホラー/コメディ・恋愛?】それでもこの冷えた手が
誰かがいるな。
そう思うようになったのは、数日前からだ。
気のせい。過労で神経がおかしくなっているのだろう。
たぶん……というか、そうであってよ。
実家から出て、ひとり暮らしを始めて三年目。いまは
風変わりな客が多いからか、受付の仕事は忙しく、普段は帰宅すれば、あとはお風呂に入って寝るだけという状態だ。そのため、テレビもないワンルームの殺風景な部屋に一人ぽつんといても、特別孤独を感じることはなく、それより、早く寝たいとしか思わない。心細いなどと言っている暇が欲しいくらい……
の、はずなのだが。
ここ一週間。誰かそばにいてくれればいいのにと、強く願うようになっていた。
音がするのだ。
こつこつ、どんどん。
壁や床を叩く音に、カリカリと引っ掻くような音。
さらには、ぺたぺたと湿った足音が背後に忍び寄って来るようになり、始めは隣人がうるさいのだとごまかしていた私も、いよいよこの事実を認めるしかない状況になった。
間違いない。幽霊だ。
心霊現象だ。お化けだ。何かがいるのだ。
「出て来い! 勝負だ」
帰宅後。仕事帰りに立ち寄ったスーパーで購入した塩を片手に、威勢よく叫ぶ。料理はめったにしないので、どの塩にどういう特徴があるのかわからなかったが、特売の大袋入り一キロの食塩(国産)にした。
国産というところに惹かれた。国内の幽霊には国産が有効な気がする。
これで、幽霊を退治してやるのだ。
私は右手を高々と振り上げると、パフォーマンス精神に富んだ力士よろしく、派手に塩を一掴み、どさりとばらまいた。
すると、だ。
はっきり言って恐怖に任せて、何かしないではおれない、そう言う状態でした、投げやりで開き直った態度で、効果……というか、なにも起きないと思っていたのに、なんということでしょう、とんでも現象が発生したのです。
眼前の空間に人型が浮かび上がったのだ。透明だが、まぶりついた塩で姿がわかる。どうやら私より十センチ程背が高いらしく、細身だが男性だとおぼしきシルエット。この透明人間のような物体は、塩をまぶされてご立腹らしく、
「ぺっ。しょっぱっ。うげっ」
などと、つばを吐くような音をさせながら、ひどく悪態をつく。
私は腰を抜かし怯えそうになったが、有能除霊師モードで、なんとか回避した。毛玉だらけのルームシューズをはいた足に力を入れ、ぐいと床を踏ん張り、この非常事態に立ち向かおうと己に活を入れる。そうだ、もっと塩をまこう。国産食塩を浴びるがいい。
ぱぱぱっ。
「うっ。だ、だからぁぁぁ」
相手はさらに不機嫌な低い声を出した。でも、こちらも負けてなるものか。
怯む思いに蓋をして、手元の国産食塩大袋一キロ全部ぶちまける勢いで、私は相手にむかって食塩をぶつけ続けた。
そうして、フローリングの床に塩が積もり、すっかり袋がカラになるころ、私はふと、あることに気づいてしまった。
声だ。さきほどから聞こえてくる悪態になじみがある。
「え、もしかして……」
その瞬間。相手が私の手首を掴んだ。
右手首に、冷たく湿り気のある感触がして、思わず身がすくむ。
「ごめんな……」
弱々しいつぶやき声だ。と、目の前にあったはずの塩まみれの姿が、突然、ぶるりと水浴びした犬のように震えたかと思うと、あっさりと消えてしまった。あったはずの気配も、なにもかもがなくなる。
……いや、塩は残っているけど。部屋がエライことになっている。
憂鬱になるが、心にはモヤモヤとした別の感情も渦巻いていた。
声は元カレのそれに似ていた。普段は明るいが、機嫌が悪くなると、うなるような低い声になるのだ。かと思えば、しゅんとなって迷える捨て犬のようにもなる。
私と同じ、
もしかして。さっと不安が胸に押し寄せ、私はスマホに手を伸ばした。
職場の友人に連絡をとると――
私は掃除がすんだ床に、ぺたりと坐り込んだ。
俯き、何もない空間に向かって言葉を放つ。
「……死んでねーのかよ」
どうやら奴は変な薬を全身に浴びて、透明人間になったらしい。自ら望んでそうなったわけではなく、うっかりミスで浴びてしまったんだとか。現在、彼は壁などもすり抜けられる万能性に富んだ状態で、その気になれば空も飛べるおまけつき。
そして、悲劇的なことに、透明解除の方法がわからないらしく、元に戻る方法をいま血眼になって研究員一同、探しているという。
マジで?
変な実験ばかりしているとは思ってたけど、なんちゅうもんを……
……というか、また、あいつは、うちに来るんじゃないのか。
やばい、やばい。部屋にいるだけでも怖いが、入浴中のことなんて、おぞましくて考えたくもない。帰宅して、今までのようにスヤスヤ眠るというささやかな喜びすらも消えてしまった。どうしてくれよう。最悪だ。あんな奴、なにしやがるか、わかったもんじゃないのに。
私は恐怖に、ぶるりと震えた。自分で自分を抱きしめる。
誰かまともな人が、そばにいてくれればいいのに。
この際、本物の幽霊でもいいのだから。
(おしまい)
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