【現代ドラマ/シリアス・大人と子供】図書館暮らし。

 僕の住む町には、図書館が二つある。


 ひとつは新しい大きくて立派な図書館。蔵書数も多いし、最新設備が整っていて、本をクリーニングする機械まで置いてある。いつも人がたくさんいて、静かだけど活気ある図書館だ。


 一方、もうひとつの図書館はと言うと、旧館で本当は閉館してもいいんだけど、なんとなくまだ開いているといった、中途半端な小さい図書館だ。蔵書数も少ないし、古い本ばかり。一番新しい本でも、三十年くらい前に出版されたものなんだ。


 でも、僕はいつもこっちの図書館に行っている。本は古いものばかりだけど、人が少なくて全部自分の本みたいに好きな時に借りられるし(大きな図書館はいい本はみんな借りられているんだ)何よりここにはドクターがいるから。


 ドクターっていうのは、白髪で腹のたるんだおっさんのこと。

 この図書館に勝手に住んでいる。


 皆はホームレスさんだって言ってるけど、本人は館長と警備員を兼ねているんだと言っていた。それに立派な名前はあるけど、ドクターって呼んでくれって。


 なんでドクターかというと、昔お医者さんだったからって。凄腕の外科医だったけど、ある時、医院長とケンカして医師免許を失い、無免許のブラックドクターになって法外な値段で手術をしていたけど、十分なお金もたまったから、今はゆっくりすることにしているって話だ。


 でも、僕がお腹が痛くなった時に、「便所行ってこい」しか言わなかったところをみると、優秀な外科医かどうかは疑わしい。だって、盲腸だったんだからね。死にかけたよ、まったく。


 それでも、僕はドクターと友達だ。異臭がするけど、いい人だから。

 どんなところがいい人かって言うと、僕のことを「いい子だな」って言ってくれるところ。そうやって褒めてくれる人は、今の僕には貴重な存在なんだ。


 僕は不登校だから。もうずっと学校には行ってない。

 小四の頃からだから、もうすぐ一年になる。学校には行ったほうがいいんだけど、でも、行かなくていいんなら行きたくない。


 いじめとか、そういうんじゃないんだ。

 なんとなく、行きたくないんだ。

 行かなきゃって思うと涙がじわじわ込み上げてきて、うわぁって叫びたくなる。


 母さんはそんな僕にがっかりして、めそめそ泣くようになった。

 父さんは「中学から行けるようなればいいさ」って肩をぽんと叩く。

 でも、それは「小学生まで」って脅されているみたいにも感じるんだ。


 小学校の勉強なら、そんなに難しくないから、自分で通信講座の勉強をすればいいって父さんは考えているらしい。実際、僕は通信講座を受けているし、成績というか、勉強の点数は悪くない。たぶん、いつもドリルやプリントを真面目にやっているから、クラスの子より頭がいいかもしれない。一番じゃないかもだけど。


 運動だってしている。毎朝、六時には起きて、太郎の散歩に出かける。太郎は雑種で三歳の雄犬。耳が垂れているから、なかなかシャレた犬だ。でも、外でつないで飼っているからか、体臭はキツイ。


 まるでドクターみたいな臭いがするよって言ったら、ドクターは「がはは」って笑った。お風呂に入ったらって意味だったんだけど、ドクターには通じなかったみたい。よれよれの服も汚いけど、顔も体も汚いんだ。いつもね。


 僕は学校には行ってないけど、図書館には行く。大きい図書館にも行くけど、やっぱりドクターのいる図書館がいい。毎日くらい行っている。


 大きい図書館だとお菓子やおにぎりを食べることは禁止だ。でも、こっちの図書館なら誰も文句を言わない。だから僕は、手作りのおにぎりを持って、ドクターにあげる。僕はおにぎりよりお菓子がいいから、そっちを食べる。


 ドクターはいつも、「うまい、うまい」って言ってくれるから、僕のおにぎりは形は悪いけど、とってもおいしいらしい。


 ドクターはいろんな話をしてくれる。お姫様と王子様の話、ドラゴンが出てくる話、それから海賊や宇宙船まで出てくる。全部、ドクターが考えた話だって。ドクターの話は突然、変な展開になって、宇宙人が地球に侵略して来たと思ったら、捕まえた宇宙人と王様が結婚したりする。


「どうして敵だったのに、結婚するのさ。処刑しちゃいばいいのに」

「結婚は処刑みたいなものさ」


 ドクターは離婚したことがあるらしい。

 つまり、結婚していたのだ。

 どんな人って聞いたら、「最高に美人だった」って。


 でも、向こうはドクターのことを、「最高にカッコイイ」とは思わなかったから、振られたんだそうだ。僕は、「ドクターはカッコよくはないけど、いい人だよ」って慰めてあげた。ドクターは「お前はいい子だ」って僕を褒めた。


 褒めて欲しくて言ったわけじゃないけど、それでも褒めてもらえるとやっぱり嬉しいんだ。だから、僕は毎日、ドクターに会いに図書館へ行く。ずっと、そうだと思っていた。でも、違った。


 あの日。僕は新しい大きな図書館に行っていた。水曜日の午前中だったから、ソファに座っていたおじいさんが、僕の方を不思議そうに見てきた。たぶん、学校はどうしたんだろうって思ったんだろう。あまり気にしないけど、それでも何か言われるんじゃないかって不安でドキドキしたから、僕は急いで本を借りると、さっさと図書館を出た。


 借りたのはドクターが読みたいって言っていた小説だ。新しい本だから、予約して、やっと順番が回ってきた。「用意できました」ってメールが夕方に届いたから、僕は早くドクターに読ませてあげようと思って、翌日は太郎の散歩をして、ちょっと算数のドリルをやったあと、急いで図書館に来たんだ。


 僕は手さげ袋に入れた小説を大事に抱えて走った。ドクターが読みたいって言っていた小説はミステリーなんだって。僕はちょっとページをめくって中を読んだけど、難しくて、すぐに本を閉じてしまった。


 ドクターは難しい本も読めるから、全部読んだら、どんな話だったか教えてもらおう。ドクターはいろんな本を読んでいて、面白かった話は僕にも教えてくれる。


 ドクターは僕のことを、「人の話をちゃんと聞くからいい子だな」って。

 僕は「ドクターの話だから聞くんだよ」って言うんだけど、ドクターは、また「いい子だな」ってさ。ドクターはすぐに人を褒めるんだ。


 あるとき、僕は「どうして学校に行けないんだろう」って相談した。

 すると、ドクターは、

「行きたくないからだろ」って、すぐに言った。


「でも、行ったほうがいいよね」


 僕はドキドキしながら聞いた。ドクターも、きっと、僕には学校に行ってほしいと思っているはずだ。だって、皆そうだから。


 でも、どうやら違ったらしい。

 ドクターは、「行ったほうがいいと思うんなら、行けばいいさ。でも、行けないから悩んでるんだろう?」って、頭をボリボリかいた。


 僕はうなずいて、

「ずっと考えてるんだ。たぶん、中学は行ったほうがいいね?」

 そう真剣に相談したんだけど。


「さぁ、自分でそう思うんなら、そうなんだろう」


 だってさ。


「ドクターは、どう思うの?」

「俺はどうも思わないね。お前が自分で考えたほうがいいぞ」

「冷たいね、ドクター。相談してるのに」

「そうか。でも、ずっと考えたところで、答えは出ないんだろう」

「まあね」


 僕は素直に認める。

 ずっとずっと、どうしたらいいだろうって考えてるんだ。

 でも、考えたところで僕は学校には行かない。

 少なくとも、今は行きたくない。


「あのね、もう考えても仕方ないから、なるようになるかなって思うんだけど。それってダメなことだね?」


「そうか。ダメなのか? 俺はなるようになると思って生きてるけどな」

「だからドクターはドクターなんだね」

「そうだ。だから、俺はドクターなんだ」


 そんなドクターを、僕は悪い人だとは思わない。

 他の人は悪い人だと思っているようだけど、それは、それでいいと思う。

 僕はドクターが好きだ。それで十分なんだ。


 でも、ドクターとはお別れすることになった。火事だ。

 図書館は燃えてしまった。誰かが火をつけたんだ。


 ある人はドクターが火をつけたって言った。でも違う。ドクターはライターやマッチは持ってないし、大切な本を燃やしたりもしない。


 ドクターは真っ黒こげになって、外へ飛び出した。それから、水を探しに駆け出した。川がある方へ走ったんだって。でも、雨が降ってきたから、ドクターは途中で図書館に引き返した。でも、火は雨じゃ消えなくて、あっという間に小さい図書館も中にあった本も全部燃えてしまった。


 ドクターは、ショックだったんだと思う。

 館長だったし、警備員だったんだから。


 ドクターはとぼとぼ歩いて、河原沿いで暮らすことにしたらしい。でも、出て行けって言われて、またとぼとぼと歩いて、どこかへ行ってしまった。この話は全部、本当の図書館長さんに教えてもらったことだ。


 ドクターはたぶん、なるようになったんだと思う。

 だって、ほら。ドクターはドクターだもん。大丈夫だよ。

 だから心配はしてない。また会いたいとは思うけどね。


 僕はあの予約した新しいミステリーの本をドクターに渡せなかった。火事が起こったのは、あの日のことで、僕は僕で、雨が降ってきたから、大きな図書館に引き返していたから。


 ミステリーの本は二ページだけ読んで、やっぱりまだ早いやと思って返してしまった。人気の本だったから、すぐに返してあげたほうが、みんな喜ぶはずだ。


 ドクターがいなくなって、図書館も燃えちゃって、僕はつまらなくなってしまったから、学校へ行こうかなって思った。


 でも、そう簡単じゃないね。やっぱり行きたくなかった。


 だから、母さんに頼んで、おばあちゃんちに住むことにした。あっちは田舎で、図書館も小さいから。一度だけ行ったことがあるけど、古い本ばかりで人も少なかったあの場所なら、また楽しいことが起こりそうだなって思ったんだ。


 僕はドクターに将来の夢について話したことがある。

 もし、ドクターが長生きして、僕がうんとお金持ちになったら、たくさんの本を買って、小さい図書館を作ろうって夢だ。


「ドクター、こんども館長になってくれる?」

「もちろん。警備員にもなろう」

「よかった。僕は本を読む人になるよ」

「読む人?」

「うん。ドクターみたいに、子供に本を読んであげるんだ。それに、自分で作った話もするよ」


「お前は、いい子だな」

「うん。ドクターもいい人だよ」


 今はまだ、中学生の自分も高校生の自分も、その先のドクターみたいな白髪でたるんだお腹になった自分のことも想像できないけど、この夢だけは、なぜかとってもリアルに思い描ける。


 古い本がいっぱいで、ドクターと僕がいて、周りには子供が三人くらい座っている。そこはとっても小さくて、でもお菓子もおにぎりも自由に食べていい、素敵で最高な、立派な図書館さ。



(おわり)


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