【現代ドラマ・教師×生徒/シリアス※性描写あり】さいわいなことり高校生バージョン

 窓が白いのを見て、外がそれほどまでに寒いんだと知った。

 閉じたはずのカーテンが手のひらサイズ開いている。

 あそこから誰かが見ていた気がして、僕は顔を上げたのだ。


 興奮の波が収まると窓の白さが目につく。大きく息を吐き出すと、煙った吐息に自分の熱さを見せつけられたような気がして恥ずかしくなると同時に、開き直った剛胆さが芽生えた。


 体を起こすと、足許でしわくちゃになっていたシャツを掴む。腕だけ通すと、思いっきりカーテンを引いた。丸見えになった窓は全体が曇っていて、見えるはずの校舎の裏庭は、ぼんやりと色彩が浮かんでいるだけだ。


 落胆のようなものを感じながら、僕は人差し指を伸ばして、その曇ったガラス窓にハートを描いた。そこからハートの下に三角を描いていって、上から下へとまっすぐに線を落とす。


「あいあい傘?」

「そう」


 子供っぽいと思ったのだろうか。先生はくすりと笑ったけれど、その意味が僕にはわからなかった。続けて自分の名前を書き、その横になんて書こうか迷ってから、先生の名前を書き込んだ。すると彼女はまたくすくすと笑って、毛布に顔をうずめた。


 埃っぽい部屋だ。ホテルだったら、もっと居心地がいいのだろうか。いつからあるのか分からないような薄いマットレスを敷いているだけ。冷たい床の硬さが気になるけど、先生は自分で持ち込んだ茶色の毛布が一枚あれば十分だという。


 昔、写真部が使っていた現像室に僕らはいた。生徒と学校で、というシチュエーションに燃えるんだそうだ。校内の忘れさられたような一画にある部屋とはいえ、まだ夕暮れ時。部活動に励んでいる生徒たちの声がはっきりとではないが、さざめきあう陰口のように聞こえてくる。


 今ではただの物置化しているこの部屋は、先生が生徒だったときには、ちゃんと現像室として機能していたらしい。窓は厚いカーテンで覆われ、真っ暗闇。彼女は先輩に誘われて何度か来たことがあると、含みのある笑みと共に話してくれた。


 僕は写真部が昔存在していたことすら知らなかった。その時に使っていただろう資材が転がっているのを見れば、それとなくイメージできるものの、古臭い過去のにおいしかしない、薄っぺらいカーテンが垂れさがるだけの部屋だ。ここに、僕が惹かれる要素なんてひとつもない。ただ先生がいるだけで。


 ――始まりは放課後。

 

 誰もいないと思っていた教室。

 先輩とキスしているところを先生に見つかった。

 先輩は膝の上に乗っていて、僕の手はブラウスの下に滑り込んでいた。


 見つかった瞬間、先輩は野良猫のみたいにすっ飛んで逃げて行った。

 取り残された僕は、大げさに肩をすくめてみせるのが精一杯の抵抗だ。


「まったく」腕組みをする先生。

「こっち。おいで」


 渋い顔にどんなペナルティをくらうんだろうと、少しビビる。

 でも、相手は若い女性教師だ。まさか、ぶん殴られることもないだろうし、ぎゃあぎゃあ騒ぎたてるようなタイプとも思えなかった。


 僕は彼女を見下していた。なんの力もないと。どうやって切り抜けようかと考えながら、大人しく僕は彼女に従った。


「どこ行くんですか?」

 

 特別棟。人気のない廊下。

 職員室とは違う方向なのははっきりしていた。

 日が陰り、薄暗くなっていく中、先生は指を立てて「しーっ」とおどける。


「いいところ」


 狼に森深く連れ込まれる無垢な羊。それとも赤ずきん?

 僕は誘われるまま。

 何にも知らないで。ただ、従った。


 それから、だ。


 僕は先生を愛するようになった。

 羊は狼に夢中さ。


 先生は現国の田村とデキてると噂がある。そうなのかとキスの最中、不意に訊いたが、彼女は否定するわけでもなく笑うだけ。いつもそうだ。彼女はあいまいに笑うばかりで、言葉は少ない。


 彼女にとって僕は遊びに過ぎない。同じような男がゴロゴロいるはずだ。先生は体に跡がつくのを嫌がる。それが他にいるって証じゃないか。誰もが自分は特別だと思って、戯れに溺れているんだ。嫉妬はない。ただ田村と同列は癪だ。


 窓に描いた「あいあい傘」を消すか残すかで悩んでいると、首の後ろに先生の手が伸びてきた。顔を向けると、挑発的な眼差しで僕を見ている。抱き寄せられるようにして、体を近づけた。


 鼻先をかすめる香りに、もうなんの刺激も感じなくなっている。僕は開いたままのカーテンが気になったが、彼女はスリルを楽しむように熱っぽさが増していく。細いが柔らかい体。白いから赤く染まるのがわかりやすい。僕はその姿に夢中になるどころか、どんどん研ぎ澄まされていく神経が窓の外に引っ張られて仕方がなかった。


 二の腕に食い込む爪を、初めて嫌だと思った。僕はわざとらしくないように、右腕を引いた。背中に伝わる指の感覚が、やけに際立ってぞくりとする。彼女は自分の手柄を喜ぶような顔をしたが、違うのだ。僕は恐怖を感じたんだ。


 これは恋か。

 僕は恋しているんだろうか。


 好きなものはなんだと言われて、ふっとよぎるのは先生の顔ではない。彼女を思い浮かべるときは、ぞくぞくと胸騒ぎがするだけ。


 好きだと脳裏に浮かぶのは夕焼けだ。燃えるような赤。染まる空。まぶしい太陽よりも白い雲が熱を吸い込むようにして色を変えていく、その姿に魅了される。


 見ていると、悲しい気持ちになるんだ。

 空が泣いている――血を流しながら泣いているのだと。


 だからといって、僕まで泣いてしまうことはない。

 たぶん笑っているはずだ。口元がゆるんで横に広がるから。


「夕焼けが好きなの?」


 昨日、そう声をかけて来たのは羽山だった。

 地味な子。惹かれる部分がひとつもない、平凡な髪型に、特徴のない顔立ち。


 こいつの悩みなんか、しょせんテストや友達とのちょっとしたトラブルくらいだろう。部活の悩みもあるかもしれない。いや、彼女は部活に入っていただろうか。そんなことも知らない。クラスが同じだから苗字はかろうじてわかるだけ。下の名前は思い出せない。


 そんな羽山が軽い調子で話しかけてきたことに、僕は苛立ちを覚えた。軽く見られたような気がして、思わずにらみつけてしまった。けれど、彼女は僕を見ていなかった。その視線はまっすぐに赤く染まる空に向かっていた。


「私も、この空が好き」


 軽やかな声。夕焼けに照らされた顔は、茜色に染まっている。

 羽山は微笑んでいた。本当に心から、この空が好きだというように。

 

 僕は彼女から目をそらせなくなった。

 惹かれた。そんな彼女の表情ではなく、瞳に。


 そこには悲しみに揺れる夕日が映っていた。


 悲しいと思いながら、いつも夕焼けを見ていた。

 僕も彼女と同じ顔をしていたのだろう。

 こんな風に笑いながら、愛おしむように夕焼けに染められていたいから。


 先生が僕の頬に触れた。添えられただけの手だったのに、ぴりっと電気が走ったような痛さに顔をしかめる。


「そんなに窓の外が気になるの」

「え?」

「さっきから見てばっかり。どうしたの。誰かに知られるのが怖い?」


 見上げてくる瞳。映っているのは何だ。

 僕は目をそらした。窓がある。白い窓。煙る。何も見えない窓。

 描いたあいあい傘が迫るように飛び込んできた。くっきりと。


 僕の名前。僕の。

 隣には。


 ――そうか。


 ふっと湧いた感情。ちらついたのは、あの夕焼け。

 悲しい。そして愛おしい空の色。抱きしめたいのは、あの色だ。

 顔を戻した僕は、噛みつくように先生の首筋に吸い付いた。


「ちょっと」


 怒声混じりで突き飛ばされる。

 彼女の首には真っ赤な丸い跡がついた。愉快だ。


「やめた。もう、飽きちゃったんだよね」

 僕は顎を上げて笑った。

「じゃあね。次の得物さがしなよ、先生」


 唖然とする姿を放置して、僕はシャツを羽織っただけで廊下に出た。

 寒い。ボタンを留めないまま、掴んでいたセーターをかぶり、上着を着る。


 廊下が照らされている。空はまだ燃えている。

 あいつは、昨日と同じ場所にいるだろうか。


 僕は駆け出した。籠から飛びたった鳥のような解放感に、胸が騒ぐ。

 幸いな子。僕は自由だ。もう二度と捕まるもんか。


(了)

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