【歴史/コメディ】ミケランジェロの憂鬱

 ミケランジェロは激怒した。

 そして、絵筆をぶん投げると宣言した。


「仕事を続けるのは無理である」


 ヴァチカン宮殿システィーナ礼拝堂の天井画『天地創造』。この日も制作の続きをしようと足場に上った彼は、壁面を見て驚愕する。なんてこった。彼の創作意欲は急速に失せてしまった。


 元々、嫌々引き受けた仕事だ。依頼主である教皇ユリウス2世が強引さに負け、仕方なく取り組んでいただけのこと。彼の決断は早かった。


「仕事は断念する。それでは、さようなら」



 教皇ユリウス2世は激怒した。礼拝堂の天井画を依頼したミケランジェロがまた仕事を放棄したらしい。教皇は依頼して以来、「早く描け、完成させろ」と口を酸っぱくして言っているのに、ミケランジェロは、助手がどうの、構図がどうの、気分がどうのとヤイヤイ言って、なかなか天井画を完成させない。


 教皇はミケランジェロの画家としての才能を好んでいた。しかし、ミケランジェロは自分は彫刻家であると思っていた。絶対の自信があり、我こそは神に選ばれた彫り師であると自負している。


 そんなミケランジェロに礼拝堂の天井画を依頼しても喜ばない。紛争のどさくさに紛れて逃亡したので、教皇はフィレンツェにいたミケランジェロを、フィレンツェ政府を介し圧力をかけることで連れ戻している。


 他にも、制作過程を巡って対立がしばしば起こっていた。教皇は激怒のあまり、ミケランジェロを杖で打っ叩いたほどだ。


「それで、今回は何が気に入らんと言ってるんだ」


 教皇がはらわた煮えくりかえりながら問うと、知らせをよこした相手は半笑いで答えた。


「カビですね。めっちゃ生えとるんですわ。あれはミケランジェロでなくても凹むっすよ」


 絵の中の人の区別もつかないほどのカビが、壁面全体にはびこっていた。原因は漆喰モルタルの壁にボッツォラーナ火山灰が混ぜられていたことらしい。


「ええい、ならカビに詳しい奴を派遣しろ。すぐに対処して、ミケランジェロを連れ戻せ」


 そして、カビ対策は直ちに実行され、ミケランジェロは仕事を再開する。


 嫌々な仕事とはいえ、それでもやはり、ミケランジェロ。

 やるからには本気だ。


『天地創造』のなかで彼が最初に手掛けたのが大洪水の場面であった。この絵は、グラナッチやブジャルディーニなどの多くの助手が手伝っている。ただし、ミケランジェロは彼らの仕事ぶりに不満で、すぐに彼らを解雇し絵具の用意などをする必要最小限の助手しか残さなかった。


 よって、大部分をひとりで制作していることになるが、彼の描くスピードは速かったらしい。首を痛めながらの作業を続けること四年、大作は完成した。


 ダヴィンチには「なんで、老人も女も子供もムキムキなんだよ。不自然じゃん。ちゃんと人見たことある?」と酷評されたが、ミケランジェロは筋肉が好きだった。


 いいじゃないか、マッチョで。

 人間美とは筋肉美であるが彼の口ぐせだったかどうかは知らないが、そんなイメージの絵ではある。


 この仕事、ミケランジェロは嫌々だったかもしれないが、システィーナ礼拝堂の今の姿を見られるのも、強引な教皇がいたおかげなのだろう。そう思えば、パワハラが必ずしも悪とは……、いや、パワハラはいけません、絶対。


(おしまい)


主な参考文献:船本弘毅監修『名画と聖書』成美堂出版

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