【現代ドラマ・恋愛/七夕コメディ】コップの中の漣 最終話

 沙織は腹痛で顔をゆがめる婦人に同情した。蒼白で額には脂汗が浮かんでいる。彼女を万引き犯だと疑うなんて。負い目もあり、沙織は自分がなんとかしなくてはと焦る。


「お腹、痛いんですよね。冷房のせいですよ。ここ寒いんだから」

「う、う、う」

「トイレ、ここトイレどこだっけ?」


 きょろきょろしていると自分と同じように駆け寄ってきた男性が、「外ですよ、入り口の右側」と早口に言った。


「行きましょ、すぐそこですから」と男性。おどおどしているが親切な人のようだ。体を支えながら移動しようとすると、婦人が小声でなにかをつぶやいた。


「おっ、ちゃ……、こ、れ」

「はい?」


 沙織が顔を近づける。


「こ、れ、かい……、あと、さ、さま」

「えっと……?」


 沙織がおろおろしていると、男性――達彦が反応した。


「お茶ですね、買っときますよ」

 女性の手からお茶パックを受け取る。

「さ、さま……よん」


「ああ、さんまか。四本ですね」

「あ、ありがと」


 なんちゅう頼りになる男性だろう。沙織は感動のあまり目を見開いた。テキパキとした行動と鋭い洞察力。沙織はしばし、ぽぅとなっていたが、はっと気を引き締めて腹痛女性の介助に回る。


「わたしがトイレまでついていきますから、さんまをよろしく」

「うん、分かった」


 達彦がさんま売り場へ走る。右手にはお茶パック。鮮魚コーナーには、すでに人が集まり、ごったがえしていた。しかし、臆することなく目指す売り場に挑み、すぐさま、さんまをゲットした達彦。それから自分のお目当てである麦茶を思い出し、いったん戻ったあと、レジへと移動した。


「ありがとうございましたぁ」


 店員の声のあと。

 ウイーンとドアが開いて織姫ちゃんとおばさんが入ってきた。


「これ、買っときましたよ」


 彼が言うと、おばさんはホッとした顔をして、「すみません」とぺこりと頭を下げた。達彦は慌てて手を振り、横で朗らかに笑っている織姫ちゃんへと視線を移した。ちょうどさわさわと冷房で揺れる笹の葉が、彼女の頭上にあって、達彦はとろんとした気持ちになる。


(似合うなあ。浴衣も似合うだろうなぁ)


 と、短冊が目に入る。達彦は心臓がきゅっとした。自分が願いごとをした短冊だったのだ。彼女に気づかれたらどうしようと焦りながら、見ても分かるわけないじゃないかと、自分を落ち着かせる。


 それでも彼女が少しでも振り返れば眼前にそれはあるわけで、何か言われたら、たとば『バカなこと書いてる』や『気持ち悪、これ』とか言われたら、彼は当分再起不能になりそうなのだ。


 そんなハラハラした心持のまま、おばさんから立て替えた代金を受け取る。手を振って織姫ちゃんといっしょにおばさんを見送ると、彼女は「じゃあ」と言い、なんとなく気まずげな態度を示しながらも、その場を離れようとした。


「あ、ちょっと、あの」


 達彦は慌てて引き留めたものの、次の言葉が出てこなかった。織姫ちゃんは首を傾げて達彦を見上げている。その仕草に悶絶しそうになり、視線をそらすと、そこにはあの短冊が。ごくりと達彦は息を呑むと、やけっぱちで言った。


「た、た、七夕まつり、行きません? こんどあるじゃないですか」

「七夕まつり?」


 達彦は、ややかぶせ気味に言葉を継ぐ。


「僕、久津士くつし達彦っていうんですけど」

「はぁ」


 沙織は目を瞬いて、相手を見上げる。なんだかときめくような展開なのだが、もしかしたら詐欺師だろうか。これが結婚詐欺というやつかもしれない。あのおばさんすら仲間かも。そう疑り深くなっていると、達彦が言った。


「あ、寒いですよね。ちょっと外出ます?」

 それから沙織が返事する前に、

「いや、買うものあるんですよね。買いましょう」


 ぷっと沙織は吹き出した。 


「いいですよ。行きましょう」

「え?」


 目をぱちくりする達彦を見て、沙織は冒険的な気分になった。


「七夕まつり。楽しみですね」


 ぱぁと素直な喜びを見せる相手に、沙織は自分まで恥ずかしくなってしまった。これで悪い人だったら傷つくだろうな、とちょっとだけ不安がよぎったが、それはさざ波程度のもの。ぴょんと飛び込んでみる気になった。


「わたし、七尾沙織です」


 二人が照れ笑いする中、ぴろぴろっと一枚の短冊が冷房の風に飛んだ。沙織が足元の落ちたそれを拾い上げると、達彦の顔が硬直したが、彼女は字に目をやっていて気づかなかった。


「あ、織姫の恋人のやつだ」

 沙織はくすりと笑った。

「これ、すごいですよね。だって彦星を奪おうとしてんでしょ」


 達彦はぽかんとした。


「織姫の恋人って彦星でしたよね?」


 間違ったかなという表情の沙織に、達彦は急いで答える。


「そう、そうだね、うん。奪おうとしてんのか。なるほど」


 はははっと笑う達彦に、きょとんとする沙織であった。



(おしまい)

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