【現代ドラマ/青春・恋愛】海の見える街

 夏。聴こえるのは、蝉の声。

 そして、ヘッドホンから漏れ聞こえてくる雑音。


 何を聴いてるんだろう。気になるが、香奈は秘密主義なところがあるから、教えちゃくれない。くれるのは、鼻にしわをよせて、「うるさい」って顔だけだ。


 窓にかけてある制服のシャツが揺れ、風は潮の香りを運んでくる。ここは高台にある団地の三階だ。ベランダからは町全体が見渡せ、その向こうには海がある。バイクの走り去る音がして、首を伸ばすと、ビーチサンダルをはく子供がじゃれながら走っていく姿が見えた。


 俺は壁に寄りかかり、そっと長く息を吐く。

 狭い部屋なんだ。学習机とカラーボックスの本棚があって、プラスチックの衣装ケースからは靴下やTシャツが押しこまれてはみ出ている。


 あたりには丸められた紙屑と文庫や雑誌、投げられた服、カバン、菓子類、テスト用紙やプリント、数学の教科書や歴史資料集なんてものが、たくさん、これでもかって。そんな雑然とした部屋は、どこか秘密基地みたいで居心地がいい。


 向かいにいる香奈は本棚に寄りかかり、熱心にノートに絵や文字を書き込んでいた。上からのぞこうとして、じろりとにらまれてしまった。


 俺は積み木のタワーのように何冊も重ねられた本から適当に選び、だるそうに寝転がった。これ以上、彼女を刺激しないように、興味のないふりをする。すぐにキレるからさ。


 本当は何度も横顔を隠し見ているけど。額縁の細いメガネが小さな鼻の上にちょこんと乗っていて、知的というよりオタクっぽい。短い髪をひとつにまとめているから、尻尾みたいにつんとした束が突き出ているんだ。


 香奈は素足を棚の上に伸ばして乗せた。リズムをとってつま先がひょこひょこ動き、合わせるようにシャーペンもコツコツとページを叩く。他人の部屋なのに、すっかりリラックス状態。丸まった靴下が転がっていて、俺は忘れて帰らないようにと、彼女のリュックに押し込んでやった。


 俺と香奈はきょうだいだ。誕生日の関係で、香奈が姉ということになっているけど、同学年。五年前、親が再婚したんだ。


 新しい母親は気さくで感じいい。父親とふたりのときより、生活の質は断然によくなった。香奈は口数が少ないけど、読書好きっていう共通の趣味が見つかり、すぐに打ち解けた。俺たちは仲がいい「きょうだい」だと思う。ほんとに。


 俺はペットボトルに手を伸ばした。冷えていたはずの炭酸飲料はすっかりぬるくなり、ボトルは水滴でびっしょりになっている。一口飲んだところで、香奈のボトルが未開封なのに気づいた。


「飲まないのか?」


 香奈は目だけ上げる。顔はノートに固定。

 飲みたくなったら、飲むし。

 そう言いたげな視線が刺さる。俺は肩をすくめる。いつものことだ。


「カズくんさ」


 香奈が言った。目は俺を……追い越してその向こう。

 俺の後ろでは、カズヤが熱心にパソコンをつついていた。


「ネーム、書いてみたんだけど」

「見せて」


 カズヤが俺をまたぐ。ばしっと足を叩いてやるが、踏まれそうになって身をよじる。そんな俺たちのやり取りに香奈は無表情だが、左手がスカートの端を握っているから、緊張してるんだろう。


 本気で漫画家を目指している。

 カズヤがそう俺たちに打ち明けたのが去年の冬だ。


 それから俺と香奈は何かと奴の手助けしてやっている。資料集めとかペン入れってやつ。で、影響を受けたのか、最近の香奈は漫画制作にすっかりのめりこんでいて、俺はぽつんと取り残された気分だ。


 でも、それでいいんだろう。

 だって、カズヤは香奈が好きなんだ。

 香奈のほうは知らないけどさ。


 でも男子と積極的に話すタイプじゃないくせに、カズヤは例外ぽいから脈ありかもしれない。この夏、二人の関係は進展するのだろうか。そうなったら、俺はますます取り残されるな。


 俺はまた寝ころび、本を読むふりをして香奈を見る。

 俺の姉。五年前から。そして、これからも。


 ぶわりと強めの風が吹いた。海の匂いでまた喉が乾いてくる。

 ぬるくなった炭酸では、物足りない。全然ダメ。


「なぁ、海岸まで行こうぜ」


 俺は立ち上がり、返事を待つ前に部屋を出た。

 きっと、二人は追いかけてくる。すぐにな。まだ夏は始まったばかりだし。


 ばたりと閉じたドアの向こう。俺の居場所はまだ、あるさ。



(了)

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