二 題名

 道には迷ったが、なかなかにおもしろい本屋を見つけることができた。これこそ散歩の醍醐味。たまには道にも迷ってみるもんだな……。


「……ん? またドア?」


 暢気にそんなことを思いつつ、鮮やかな水色のドアを開けて店内に入ると、意外にもそこは狭い廊下で、数歩歩いた所にすぐまた硝子戸がある。窓はなく、まるで一畳一間の小部屋のようだ。


 書籍を取り扱ってる手前、風除室を設けているのだろうか?


「当店は注文の多い書店ですので、その点はどうかご承知ください?」


 うす暗い白熱球の照明の中、よく見るとその硝子戸には、金字でそんな断りが記されている。


「なんだ? 注文が多いって? そば屋とか寿司屋みたく、頑固オヤジのやってる本屋さんなのかな?」


 その注意書きにますますわけがわからなくなりつつも、同時に好奇心もますます掻き立てられた僕は、小首を傾げながらその戸を開いて中へと進む。


「…て、またドア?」


 だが、硝子戸を入ってみると目の前にはまたもドアがあり、やはり廊下が小部屋のように仕切られている。


 先程と違うところといえば、今度は黒い木製のドアであることと、脇に小さな机が一つあり、何やら紙とペンが置かれていることである。


「なになに……アンケートにお答えください。あなたの人生に題名をつけるとしたら何と名づけますか? …とな。確かに注文の多い本屋さんだ……」


 その黒い扉には、赤い文字でそんな注文が書かれている。


「うーん、そうだなあ……ま、『小太りの伝記』とでもしとこうか」


 アンケートの類をあまり面倒臭がらない質である僕は、少し考えた末にそんなタイトルを机の上の用紙にニヤニヤと笑いながら書き込んだ。


 最近、酒の飲みすぎか、ちょっとメタボ気味なのである。


「さて、このまま置いとけばいいのかな? こんなアンケートまでさせるなんて、そうとう変り者の店主なんだろうな。ほんとにどんな本屋さんなのか楽しみだ……て、またドアだよ」


 アンケートを終え、ようやく店の中が見れると思い黒いドアを開けた僕であるが、そこに見えたものはまたしても狭い空間とその先のドアである。


 しかも、またしても小さな机があり、新たなアンケート用紙がその上に載っている。


「えっと今度はぁ……子供の頃の印象深かった思い出を心に浮かべ、それに題名をつけてください……ねえ」


 これも先程同様、ドアに記されたその指示に、僕は子供の頃のことを眼を瞑って思い浮かべた。


「……よし。『風の転校生』と」


 そして、そんな題名を脳裏に浮かんだ懐かしい記憶に与え、その文字をアンケート用紙に書く。


 それは、小学校五年生の時のこと。なんだかスゴく風の強い日に、突然、転校してきた男の子がいたのだ。


 麻田三郎とか言っただろうか? 


 謎めいているというかなんというか、なんとも不思議な感じのする子で、まだ狭かった僕ら子供の世界にささやかな事件をいろいろと起こしてくれた。


 その後、またすぐに越して行ってしまったが、他の誰よりも強く印象に残っている。


「さ、今度こそ本のある部屋に入れるだろうな……」


 図らずもあの頃のことを思い出し、少々ノスタルジーに浸りながら二つ目のアンケートにも答えた僕は、さあ、ようやくその〝妖書〟とやらにご対面できると、子供のようにワクワクしながらドアを開ける。


「……と思いきや、また扉ぁ?」


 だが、その向こう側にはまたしても同じような景色が続いている。


 廊下を仕切る黒いドアにその脇の小さな机、その上のアンケート用紙とボールペン……なんだかデジャヴを感じるくらい皆同じだ。


 ただ一つ違うのは、ドアに書いてある文言が


「初恋のことを思い出し、その恋に題名をつけてください」


 という、ちょっと他人様に語るには恥ずかしい、甘酸っぱい質問になっていることだ。


「うーん……なんか気恥ずかしいけど、『シグナル』……かな?」


 それでも二つまでアンケートに答えたことだし、ついでなのでその三つ目も、まだ初心うぶだった頃の気持ちを思い出しながらタイトルを紙に書いてやる。


 彼女の名は、釜石椎奈さんと言った。


 純真な中学生だったあの頃の僕らは、授業中、まるで信号機のようにお互い目で合図を送り、それだけですべてが通じるような仲だった。


 それでも、僕の家はいまだ古い考えの残る田舎のムラの大地主で、もと小作人の家の出だった彼女との交際は何かと周囲から反対され、けっきょくはうまくいかなかったのだけれども……。


 都会に出たいと考えたのも、そんな時代錯誤甚だしい人々から逃げたい思いがあったかたらかもしれない。


「ま、今となっては懐かしい思い出だな……さ、それよりもその妖しげな本だ」


 なんだかいろいろと思い出し、胸がキュンと苦しくなったが、その切なさを吹っ切るかのようにして僕はドアを開ける。


「…………まさかとは思ったが、またか」


 しかし、そこにもまたドアがあり、同じように机とアンケート用紙もある。


 薄らと予想はしていたが、その通りだったようだ。


「今度は……学生時代の思い出を心に描き、題名をつけてください…か。そうだな……やっぱり、『天の川鉄道』かな」


 もうここまで来ると、なにやら作家か編集者にでもなったような気分で、ドアに記された指示の通り、そんな少々ロマンチックな題名を用紙に書いてやる。


 もしかしたら、こうしてこのアンケートを通し、客をモノカキの気持ちにさせることが店主の思惑なのかもしれない……。


 あれは、大学時代の夏休み、仲の良い友人と高原鉄道の夜行列車で旅をした時のことだ。


 目を瞑れば、あの時に見た満天の星空を今でも鮮明に思い浮かべることができる。


「今度、あの旅行を題材に小説でも書いてみようかな……」


 誰もが一つは持っているでろう、それだけで小説になるようなキラキラとした青春時代の思い出に、調子に乗ってそんな作家気取りになりながら僕はドアを開ける。


「…………やっぱりか」


 だが、案の定そこにはまたドアとアンケートがある。こう同じことが何度も繰り返されると、もう驚きもしなくなる。


「はいはい。こうなりゃ、もう何回だってお答えいたしますよう。ええとお次は……最後に、大人になって社会へ出た頃のことを思い浮かべ、題名をつけてください……お! ようやく終わりか」


 誰に言うとでもなくボヤキを入れつつ、なげやりにドアの文言を読み上げてみると、意外にもそれが最後の質問らしい。


「そうだなあ……『猫をかぶった事務所』って感じかな」


 僕はそのラストクエスチョンに、あの頃の怒りや憤りを思い起こしながら、眉根を歪めてそんな題名を書き込む。


 僕は大学卒業後、とある地方都市の役所に就職し、駅前の庁舎にある観光課に配属されたのであるが、そこがまあ、外面は職員一同仲良く仕事に励んでいるように見えて、その実、裏では仕事そっちのけで課長にゴマをする者達がくだらない権力闘争に明け暮れ、僕のような新人には憂さ晴らしのためのパワハラの毎日……。


 それに耐え切れず、僕は結局、一年と経たずに辞めたのであるが、そのことが発端で彼らの実態が市長の耳にまで届き、後で聞いたところによると全員一斉移動になったらしい。


 とりあえず、ざまあ見ろではあるが、僕はその判断に半分賛成で半分反対だ……あいつらには懲戒免職くらいの処分がちょどいい。


「よそう。思い出すだけでも胸糞悪い……」


 気分が悪くなったので、もうそれ以上、あのクズどものことについて考えるのはやめ、最後のアンケートを終えた僕は早々にドアを開けた……。

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