注文の多い書店

平中なごん

一 妖風書店

「………………迷った」


 僕は、そのどこかイギリスのような風情を漂わせる閑静な住宅街で途方に暮れていた。


 今、立っている十字路から四方を見渡してみても、同じようなハーフティンバー様式の建物がどこまでも立ち並び、いったいどちらに向かえば知っている道に出られるのかわからないのだ。


 ならばと道を尋ねようにも、僕の他にはひとっこひとり人影も見えず、真昼の住宅街とはどこもこんなものなのか? まるで異世界にでも迷い込んだかと思うくらい辺りは静まり返っている。


 いや、人ばかりか小鳥の鳴き声一つ聞こえず、無風状態で風に揺れる樹の音すらしない。なんだか薄気味悪いくらいだ……。


 休日出勤の代りで休みのとれたこの日、趣味の散歩に出かけた僕はまだ行ったことのない路地が偶然目に留まり、ちょっと興味をそそられたのでそちらへ歩いて行ってみることにした。


 すると、まるで日本ではないような異国情緒溢れる風景がそこには広がり、折からのよく晴れた散歩日和、思った以上に愉しい散策となったのではあるが……あまりに家々の趣がおもしろくてあちこち回っていたところ、すっかり道に迷ってしまったのである。


「まいったな。いい加減、おなかも空いてきたし、そろそろ家に帰りたいんだけど……」


 なんとかもと来た道へ戻ろうと思うのであるが、これまでに一度も来たことのない所だったのでまったく見当がつかない。


 おまけに似たような家がずっと並んでいるので、方向感覚まで狂ってしまっている。


「古風な家だし、風見鶏でもついてれば方角だけでもわかるのに………ん?」


 それでも手がかりを探してなおもうろうろとしていると、それまでには見たことのなかったカラフルな家がふと目の前に現れた。


 青い壁に緑色の屋根瓦……こんな目立つ色をしているのに見た記憶がないということは、もと来た道に戻るどころか、また違う路地に入ってしまったらしい。


白と茶色の二色しかない他の英国風の家々とは明らかに違い、この鮮やかな色使いはロシア風とでもいうのだろうか?


「なになに……妖風書籍専門店 山猫堂」


 その嫌でも人の目を惹くたたづまいに興味を覚えて近づくと、白いタイルと煉瓦で装飾された玄関の足下には、そんな文字の書かれた看板がイーゼルに載せて置かれている。


「なんだろ? 〝妖風書籍〟って? 妖しげな本ってことか? ……お気軽にお立ちよりください。特に人生経験豊かな方は大歓迎です……か。まあ、そんな豊ってわけでもないけど、そういうことなら遠慮なくお気軽に……」


さらにそんな文句も書かれていたので、その初めて聞く本のジャンルにますます興味を抱いた僕は、迷子になっていることも忘れて立ちよってみることにした。


 

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