『旧知』
公園のベンチで、パッチ・ウィンレッジは、老婆とカップのコーヒー片手に談笑していた。相手は飾らない身なりをした女性で、加齢のためか大分やせ細っていたが、笑顔は野花のように美しく穏やかである。
それに相対する隻眼に白衣姿のパッチは少々異質な対話風景にも見える。荒事とは縁遠そうな空気感が、周囲から好奇の目を自然と遠ざけているのかもしれない。
「おっと、大変申し訳ない、そろそろ戻らないといけませんので。今日はお話できて本当に良かった」
「こちらこそ、お忙しい中お時間を取っていただき……。あの娘のこと、よろしくお願いします。先程も申し上げましたが、もし当人が嫌がるようなら、お手数ですが手紙は捨ててくださって構いません」
老婆が指した手紙を、パッチは懐から取り出し、改めてよく眺めてから返事をする。
「必ずこれは彼女に渡しますよ。面と向かって手渡したら睨まれそうですが、彼女はあれでちゃんと話を聞いてくれる人間だと思いますので」
胸を軽く叩きながら頼み事を引き受けたパッチは、老婆に別れを告げてから、さりげなく早足で公園から抜け出そうとした。
今、パッチが運営する魔術精神科の診療所は休診時間である。三時間程の間に午後の診療の準備や勿論、昼食などを取ったりするのだが、今日はさっきの老婆と急に会うことになったため、食事を後回しにしてしまったのだ。
──先生はすぐ長話をしたがりますけど、よくないですねー。あ、私は先生のお話聞くの好きですけど、それでも時と場合は考えなきゃ、ですね!
かつて、助手に面と向かってとても失礼なことを言われたのを思い出す。以来、自分なりには気にしてきたはずなのだが、まさかこんなところで痛手を受けるとは。
苦笑いしつつ、ファストフード店で適当にテイクアウトして腹を満たそうと、近くの店に飛び込む。ふと、玩具が付いてくるセット商品があると聞いて、パッチはそれを迷いなく注文した。
実は今、診療所では一人の少女を預かっている。事件の被害者となった女性の娘で、父親が遠出をして側に居ないため、パッチのところで面倒を見ることになったのだ。
まだ幼い少女だから、こういった小さな玩具は喜んでくれるだろう。そう信じてパッチは、チワワをモチーフにしたキャラクターグッズを選んだ。
診療所まで戻ってくると、中には誰も居なかった。留守中は助手のモアに任せ、交代で休憩に行かせる算段になっていたはずなのだが。
すると、首を傾げていたパッチの携帯が、前触れ無く鳴り始める。噂をすればと画面を見てみると、そこに表示されていたのは助手の名前ではなかった。
「これはこれで、こちらとしてはある意味では好都合と言える。しかし、タイミングが少々悪い」
と、パッチは疲れた笑顔を浮かべた。この電話を取ったら食事を取る余裕がなくなりそうだと、半ば悟ったからだ。
深い溜息をつきながらも、パッチは意を決し呼び出しに応えた。
「やあ、久しぶりだねウィティ」
「ドクターウィンレッジ、お宅の助手のことで話がある。直ちに検視室前まで来るように」
返答を聞かずに電話を切られてしまったパッチは、静かに天国へと召されそうな顔で天井を仰いだ。
電話の相手、ウィティが自分のことをファミリーネームで呼ぶ時は、とても憤っているという意思表示だと知っていたからだ。
そしてその原因が助手にあることは、言われなくともわかっていた。
魔術関連犯罪捜査局は、鑑識や検視を組織が一手に担うため、捜査局の地下には各種設備が整えられている。
検視室は一番下の階に存在に用意されていた。運ばれてきた被害者の遺体はここに搬送され、検視解剖により死因を探っていくこととなる。特に初動での情報が少ない事件では、その糸口を掴むため検視と鑑識は重要視されていた。
そんな検視室の前まで来ると、助手のモアは粗相をして叱られたペットのように、廊下の壁に背中を付けて身を竦めていた。そんな彼女を真正面から睨んでいるのは、パッチやモアと同じ白衣姿の女性だった。
白衣の人間が三人揃うとまるでこれから大きなオペでも始まりそうであるが、この中で手術の仕事をしているのはウィティだけである。
叱りつけられているモアの後ろには、検視室の扉に張り付く少女がいた。自分の背よりずっと高い位置にある窓から中を覗こうと試みているが、背丈が足りずジャンプではまるで届いていなかった。
「ウィティ・ジワルド、ご無沙汰していたね」
「ようやく来たか。相変わらずトロトロとした男だ」
「言ってくれるねウィティ、と虚勢を張りたいところだが、今回は言い訳しようがない、甘んじて暴言を聞き入れよう」
「聞き入れるだけじゃなくて、素直に己の力不足を受け入れろ私は自分の決めたスケジュールを乱されるのが大嫌いなんだ。これを言うのは何度目だったか?」
キツイ言葉を浴びせながら、ウィティは事情を説明した。と言っても、パッチは既にこの状況から推察をしていた。
少女は、殺された被害者の一人娘だった。まだ甘えたい盛りの七歳と、年齢はまだ幼いながら、母の死を認識しているしっかり者だ。
とは言っても気持ちは子供、例え遺骸でもいいから親の顔が見たくなったのだろう。話を聞けば、パッチが居なくなった後、あれこれ理由を付けてモアに診療所から出して貰ったうえ、検視室に母が寝かされていることをモアから聞き出したのだ。
「先生ごめんなさい、私としたことが、リンシアを止められなくて……あんな芽で見つめられたら、根負けしちゃいますよねー」
「君だからこそ、だろうね。彼女は明らかに、僕が出かけた隙を見て行動を起こしている。これはつまり計算づくということ」
大人の予想を遥かに越えた行動力と思考力に驚かされる。モアを叱るよりも、あの少女に一定の賞賛を与えたいくらいだ。
「部下の手綱を握れないなら上司なんてやめてしまえ。迷惑だけが広がる」
「肝に銘じておくよ」
tと、肩を落としながら、パッチは深々と頭を下げた。
パッチとウィティは、医学生時代の同期であった。共に当時は執刀医を目指して切磋琢磨し、それぞれ一目置かれた存在ではあった。
が、パッチは元より隻眼であったことが仇となり、結局執刀医としては花開かず、紆余曲折あって歴史の浅い診療科である魔術的精神科の道を歩むこととなった。
対するウィティはその執刀技術の高さは医大の内外から注目されたものの、一匹狼で組織の面子といった政治には疎かったのが仇となった。
世渡り上手と言えなかったウィティは、講師と何度も衝突した。さらに同期生からの嫉妬もあり、医大での人物評はどんどん下がっていった。
政治や駆け引きで左右される自身の医大に愛想を尽かしたウィティは、卒業すると法医学の道を極めることにした。
つまり人を救う医師ではなく、死した人を解剖して真相を探る仕事を選んだのだ。そんな二人が捜査局という職場で、立場は違えど再会した時はお互いに驚きを隠せなかった。
「むぅ、先生達、いつもいつも仲良さそうで、なんかいいなー」
「まったく、お前はお前で呑気な奴だね、モア。上司の対応が生温いのが原か?」
「まだクレームが言い足りないのはわかったけれど、まずは最大の問題を解決した方がいいよ」
と、パッチは検視室の閉ざされた扉に張り付いて、中の様子を未だ窺い知ろうとする少女に目を向けた。
「ウィティ、今はお母上と対面させることはできないのかい?」
「腹を割かれた母親を見せたいと思うなら、すぐにでもお膳立てするが」
「面と向かって話し合うしかないね」
選択肢は既になく、パッチはさっき貰った玩具を片手に、笑顔でリンシアへ声をかけた。
「やあリンシアさん、ちょっとこちらで話をできないかな?」
「パッチ先生おかえりなさい。そっちの怖いお医者さんに、ここを開けてって、一緒にお願いして欲しいな」
「もう大胆を通り越して図々しくなっているね。まずは君にお土産をあげよう」
「あ、タッチワワだ。可愛い」
二本足のチワワが、笑顔で手を上げている小さな人形を、リンシアは喜んで手に取った。大人だろうが子供だろうが、好きなものを目の当たりにすれば、大なり小なり反応してしまうものだ。
「気に入ってくれたかな」
「うん、ありがとうございます。じゃあ、次はお母さんと会わせて」
「残念だけど、それはできないんだよ」
「タッチワワを貰ったから?」
「それは僕の個人的な贈り物dだ。対価じゃない」
プレゼントを突き返そうとするリンシアを制止すると、少女は無垢な顔で首を傾げ、問いかける。
「ならどうして? 私のお母さんなんだよ? 他の誰にだってなれない、私の大好きなお母さんに、どうして会えないの?」
パッチは、己の眼帯周りを掻きながら、脳味噌を絞り上げる。
大人の事情があるんだ、と押し切ることは簡単だ。しかし、それでリンシが納得しないし、そもそも精神科医としてあるまじき返答だ。
子供を突き飛ばすような返答をすれば、最悪少女はこれからの人生に大きな悪影響を及ぼしかねないだろう。
この世には子供騙しという言葉がある。しかし、当の子供はそう簡単には騙るような甘い生き物ではない。
「お母さんはね、その身を通して僕達に情報を提供してくれているからだ。つまり、最後の仕事をしている」
「死んじゃったのに、お仕事をしているの?」
「ああ、君のお母上は、ご自身が亡くなった真相を、痕跡という形でそこのウィティ先生に教えてくれようとしている。それは、一人の命を奪った人間を突き止めるためにも、大事な仕事だ。君の母上は、とても立派なことを成し遂げようとしているんだよ」
検視官は、死者の最期の声を聞く仕事だと言う人もいる。物言わぬ遺体に語りかけながら解剖を進め、解剖台に横たわる遺体を、一人の人間として扱うための、自己暗示とも言えるかもしれない。
ウィティはそこまでハートフルな人間ではないが、やっていることは要するに証拠や情報を遺体から集めることだ。門外漢への例え話だと言えば、きっとウィティも同意はするだろう。
「だったら私も、お母さんの最後の声を聞きたい」
「きっと、お母上が君に聞いて欲しい話は、仕事のことじゃない。だから、終わるまでもうしばし待ってくれないだろうか」
リンシアは不安そうに顔を俯ける。それを見かねたか、ウィティは小さく息を吐いてから告げた。
「お前の母さんの仕事は、私が責任を持って手伝おう。そして一秒でも早く、お前と会えるようにする。だが今はどうしても許可できない」
「私が、子供だから?」
「そうだ、大人は子供の自由を認めるべきだが、心身の安全を守る義務もある。もしお前の涙に免じて許可をすれば、私は間違いなくアンタの母さんに恨まれるだろう。母さんの嫌がる顔、見たくないだろう?」
ウィティの問いかけに、リンシアは黙って頷いた。それを見ると、ウィティはモアに目配せをして誘導を促した。
「今度は振り回されるんじゃないよ。次同じことがあったら」
「はい、誠に申し訳ございませんでしたぁ! 怖い先生達にこれ以上叱られる前に、行こ」
リンシアがモアに従う素振りを見せたので、ひとまずパッチとしては一安心と安堵した。ジェスチャーで診療所に戻りなさいというと、伝わったか親指を立てて粋な返事をして去っていった。
「君、意外と僕の同じ仕事にも向いているんじゃないか?」
二人が去ったのを見てから、パッチがふいに口を開いた。自嘲的に笑いながら、ウィティは目を鋭くさせて答える。
「その気になれば、もっと角が立つようなバッドエンドにもしてやれたんだ。あんまり人のことを面白がってると、これから目を真っ赤にして帰るのはお前になるよ、パッチ」
「それは勘弁だ」
「第一、何故お前はここに居座ろうとしている。もう用はない」
「君にはなくても、実はこちらには丁度あってね」
と、パッチは懐から封をされた一枚の手紙を取り出した。訝しげにそれを見たウィティは、差出人を見る前にこの手紙が誰からのものかを察したらしい。あからさまに目を細めたウィティに、パッチは告げる。
「そう、君の親、マザーからの手紙だ。科学が発展したこのご時世に、手書きとは実に貴重だ」
「そんな拙いプレゼンをしてもね、私にはそれを受け取る義務も責任もない」
「君はそうだが、僕は約束した以上は責任がある」
「真面目ぶらなくてもいい。本当の母親じゃない、ただ私がいた孤児院の院長、それだけの関係だ」
ウィティはぶっきらぼうに答えた。
ウィティ・ジワルドは、身寄りのない子供であった。両親は魔術師であったが、非常に偏屈な性格で、物心がつく前に同業者同士のいざこざによって殺害されてしまった。親戚からも嫌われていたことから引き取り手のないウィティは、ジワルド育成院という孤児院で面倒を見てもらうこととなる。
血筋からか、ウィティも人付き合いは苦手で、幼くして自立を考えていたことから、医療を学び続けた。そのため共に暮らす児童達とも、見守る先生達ともずっと距離を取り続けてきた。
そんな中、マザーと呼ばれる孤児院の管理者は、当人に鬱陶しがられても唯一話しかけ続けた存在だった。マザーと呼ばれるだけあって、彼女は全ての孤児達の母親代わりだったのだ。
結局ウィティは心を開かず、ある時置き手紙だけを残して魔術を学ぶために孤児院を飛び出した。そして両親のそこそこ残っていた遺産と自力で工面した金で、医療学校に進学、卒業を果たした。
その間、孤児院には一切顔を出さなかったという。このことを受けたマザーは、自分達はなんて無力なのだろうと打ちひしがれたという。
しかしそれでも、マザーは一度自分が面倒を見た子に対し、放任する気はなかったようで、故あってなとか面識のあったパッチに託したのである。
「当人は受け取らなければ捨ててもいいと言っていたし、せめて手には取ってくれないか。この場で破り捨てたなら、次の機会にそう伝えよう」
「そう、なら受け取ってやる。で、すぐに破り捨てても構わないんだろう?」
パッチが頷いたので、ウィティは引ったくるように手紙を受け取った。そしてそれを両手でしっかりと掴み、じっくりと破いていった。
全てを追えると、ウィティはパッチに固めた紙くずを投げ捨てた。
「ご苦労、自分の仕事に戻れ、ドクターパッチ」
「そうさせてもらうよ」
自分でも少し悲しげな顔になっているのだろうな、と思いながらパッチは踵を返した。
翌日、リンシアに父親の迎えが来て、さらにその頃には検視が終わったとの連絡も入った。診療所のちょっとした託児業務はこれにて終わりを告げた。
一段落したパッチは、紙くずを机に並べてテープを傍らに置いた。マザーに託された手紙を捨てるのは忍びなかったので、ずっと保管しておいたのだ。
「先生、どうしたんですかそれ? ありゃぁ、派手に破きましたね。誰かへのラブレターですか?」
「母から子への、という意味ではその通りだね。まあ、当事者には届かなかったが」
「ふーん、じゃあじゃあ、私も手伝っていいですかね? ほら、パズルはみんなでやった方が楽しいでしょ? 」
「構わないのだけどね、手紙の内容は可能な限り読まないこと。これは僕達に向けられたものではないからね」
「えー、じゃあどうして元に戻そうとするんですか?」
温和な面に似合わない無骨な眼帯をした医師は、少し淋しげに微笑みながら答えた。
「いつか雪解けが来た時、恩に背を向けた当人が、一生後悔しないためだよ」
モアは呆けた顔で首を傾げた。
パズルのピースは想像よりは多く手こずってしまった。しかし、復元にはちゃんと成功した。
「先生ぇ、これただの封と無地のメモしかないじゃないですかー。ガッカリ」
「人のプライベートを覗きたがっていた、と白状した君に、僕は少しガッカリしてしまったよ」
そう言いながら、パッチは継ぎ接ぎだらけになった手紙の封を掲げて、今度は少しだけ嬉しそうに笑った。
「……いつか彼女がこの仕事をやめる時が来たら、奇術師への転向を薦めてみるか」
程近い建物で働いていながら、どこか距離が遠くなってしまった旧友に思いを馳せながら。
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