命日
――この日、賢治は『とある場所』を訪れていた。
「……いつもここに来ると、満開ですね」
そう言って見つめた先には真っ白い花が咲き乱れているが、賢治はあまり花に詳しくない。
しかし、いつもここに来ると真っ白い花たちが訪れる人を出迎えてくれる。
「ここは……少し甘い匂いがする様な気がしますね」
ここには今、満開の真っ白い花だけじゃなく、他にも様々な花が咲いており、それらの匂いも感じられる。
でも多分、これだけ色々なモノが咲いて匂いまで感じられるのは、賢治が来ているタイミングが、ちょうど花が咲き乱れるこの時期だからだとは思うのだが――。
「さて……」
賢治は自身の手に持っている荷物が入っている袋をガサゴソと確認した。
とりあえず、先ほど花屋で買った花と、そしてここを訪れている時にいつも持ってきている家族写真と線香。後は、手に持っている数珠。
「後は……ライターですかね。さすがに線香を上げるには必要ですし」
そんな事を一人で呟きながら一つ一つゆっくりと確認した。
こうして確認作業をするのは、一度ライターを忘れてしまった事があり、家に取りに帰った事があるからだ。
そして、この「一旦戻る」という事がどれだけ大変なのかは……。
「さて、行きますか」
賢治の視線の先にあるかなり険しい『坂』が関係している。
「はぁ……はぁ」
正直、賢治も昔ほどではないが同世代の人たちと比べれば、まだまだ体力がある方ではあると思う。
普通に「散歩」という形でここを登る程度であれば、少し息切れをする程度で特に問題はない。
ただ荷物を持っていると、それだけでも大変なのだ。
それこそ、毎回荷物を持ってこの坂を前にすると、少し怖じ気づいてしまう程である。
だからこそ荷物の確認は必要な事で、この『坂』に登る前なら、まだ取りにも戻る事も楽だ。
しかし、登りきった後に忘れ物に気が付いた時のショックは……計り知れない。
つまり、ここの『坂』はそれくらい険しいのだ。
「はぁはぁ」
だから、賢治はいつもここに来る時は出来るだけ万全の状態で来ようと思って努めている。
それこそ、ここに来る前日の時点でその日は早めに閉店して片付けをして、早めに寝ているのだ。
ただ、今日は少し事情が違っていた。
新しく入ったアルバイトの子。名前は『宮川夢莉』と言い、とある目的のためにここに来たらしい。
しかし、数日前に突然ひったくりにあい、無一文になってしまった。
ひょんな事でその子と知り合ったが、その時に無一文になってしまった理由やその目的など事情を知った。
事情を知ってしまえば、賢治としても「何もしない」というワケにはいかなかった。
『困っている人がいれば助ける』
コレが賢治の座右の銘で、モットーだ。
しかし、たまに喫茶店の常連さんたちからそんな賢治の性格やモットーを心配する声が聞こえる。
その気持ちはありがいとは思っているが、それでも賢治は変えるつもりはない。
なぜなら、このモットーは……元々は違う人が掲げていたモノだったからだ。
「はぁ。やはり、遠いですね。あそこまでは」
息を切らせながら順調に坂を登って行くが、目的地に行くまではこの坂を登り切らなければならない。
しかも、この坂は道が狭く、そもそも車は通れない。
昔は自転車も通れたらしいが、歩行者との事故が度々起きて問題になったため、現在は歩行者のみ通る事が出来る様になっている。
毎度毎度これが大変で、この坂を上り切るためにある程度の体力は維持しなければならない。
「おや。こんにちは」
「こっ、こんにちは」
そんな風に息を切らしながら登っていると、一人のご婦人が向こうから声をかけてきた。
ご婦人は、こうした坂や山登りに適している服装をしており、頭には日よけとして帽子も被っている。
今日はそこまで日差しが厳しくないので必要ないとは思うが。わざわざ言う事でもないだろう。
「今日も『お散歩』ですか?」
「そうさねぇ、やっぱり『朝の散歩』は気分がいいねぇ」
ご婦人の言う『朝の散歩』には、随分しっかりしている服装だと思うが、色々対策しておいて損はないだろう。
ちなみに、こちらのご婦人はここら辺に住んでいる方らしく、毎日天気が悪くなければ、この坂を元気に登っている様だ。
「……」
さすがに年齢を聞くのは「女性に対して失礼だろう」と思って、あえて聞いた事はないが、多分。結構なお年を召していると賢治は思っていた。
「ああ、今年ももうこんな時期なんだねぇ」
「ははは、ええ。早いモノでもう一年経ちました」
なぜなら、こうして世間話をしているのも賢治が小さい頃から……それこそ両親に手を引かれながらここに来ていた時からの話である。
それだけ「顔なじみ」とも言えるほど相手とこうして毎回坂の途中で話をするのは毎年の事で「例年通り」だ。
しかし、賢治はなぜかこの人の名前を知らない。もしかしたら、このご婦人も賢治の名前は知らないかも知れない。
だが「ただ、一年に一回。坂の途中で少し話をする程度」の相手の名前を覚えていなくても、特に問題はない。
ただ賢治としては「顔さえ分かっていて、こうして私に気がついて話しかけてくれる」というだけで嬉しかった。たったそれだけの事でも、気が紛れた様な気がしたからだ。
「それにしても、今日はどうも体調があまり良くないんじゃないかい?」
「え?」
「去年はそこまで息切れしていなかっただろ? いくら人は年を取るとは言っても、一年やそこらで体力は落ちないんじゃないかい?」
「いえいえ、一年もあれば簡単に人の体力なんて落ちますよ」
「そんなもんかい? それに、目に
そう言って、ご婦人は賢治の顔を見た。
「あっ、ああ。コレは……」
――さすが、めざとい。
「ええっと、実はちょっと寝不足でして……。いい大人が情けないです」
そう実は、ここ最近起きた『ある出来事』が原因であまり眠れていなかった。
「おやおや、それは大変だねぇ。大丈夫なのかい?」
「大丈夫ですよ。目的地にはもうすぐで着きますし、この先は一本道ですから」
そう言って笑うと、ご婦人は「そうかい? 気をつけるんだよ?」と賢治を心配しながらも、そのままその場で別れた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
――ご婦人と別れた後。
「……はぁ、やっと着きました」
賢治はそのまましばらく歩き、ようやく目的地である『墓地』に辿り着いた。
先ほどのご婦人以外の人に会う事はなかったが、どうやらここには何人かここを訪れているらしい。
「おや」
そして、どうやらあのご婦人も「散歩」と称してはいるモノの、出来る限り毎日ここに来て掃除や線香を上げに来ている様だ。
その証拠に、一つのお墓にまだ火がついて間がない線香があった。ただ墓石が古いのか、パッと見ただけでは文字は分からなかったが……。
「久しぶりですね。父さん、母さん」
そして、賢治は「朝日奈家」と書かれている墓石を見つけると、その墓石に向かって声をかけた。
「……」
しかし当然、賢治の声に返ってくる声はない。いや、そもそも返事が返ってきたら、それはそれで怖い。
「それから、やはりこの坂は……疲れますね」
そう言いながら賢治は微笑みかける。
「……」
昔は毎年『妹』と共にここを訪れていた。
しかし、妹はいつもの様に口では「疲れた」と文句を言いつつも、なんだかんだで賢治の後ろをついて歩いていた。
その当時は今以上に体力があった賢治は、妹を「頑張れ」と言ってたまに立ち止まりながらついて来れているか確認しつつゆっくりと歩いていた……という事は今となってはいい思い出だ。
ただ……賢治が未だに少し謎だと思っている事があった。
それは「実はそこまで疲れていなかったいなかったのではないか」という事だ。
確か、妹は部活動の関係で毎日の様にトレーニングをしていた。その事を踏まえると、この程度の坂くらいどうって事ないはずなのだ。
今更こんな事を考えてしまうとは……。
それも新しく入ったアルバイトの子が「もし今、生きていれば妹と同い年だったから」だろうか。
「……」
そう、妹は既に亡くなっており、今は両親とも共に静かに眠っている。
賢治はあの『坂』をご婦人のように「散歩」とかそういう感じで登ってはいない。
――本当に、自分が不甲斐ない。
今でこそこうして喫茶店を営業しているが、そう思う事がたまにある。
あの坂を登りここに来ると、そんな自分の心の弱さや両親と妹との思い出が蘇る様な気がしていた。
ただ、ここに来る事で彼女たちの死が嘘でも幻想でも何でもない現実だという事をこの墓石を見る事で受け入れていた。
お盆の期間と妹の命日が重なっているのは、本当に偶然だと思うが、いつもこのタイミングでここを訪れている。
お昼や夕方頃は帰省した人たちなどで混みやすい事はあらかじめ知っているので、いつも賢治が来るのは朝方だ。
「さて、それでは」
そう言って賢治は早速、先ほど入り口にあった水道で汲んだ水の入ったやかんを墓石の上からかけ、墓石の掃除を始めた。
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