来客


 ――――そして木曜日、喫茶店に『ある人』が来店してきた。


「いらっしゃいませ、お久しぶりです」


 ただ、いつもその人が来るのは、大体『朝の開店したばかり』の時間帯だ。たまに『お昼』に来る事もある。


 しかし、今日その人が来たのは今まで来たことのない『夜』だった。


「久しぶりです。それにしても。ここ最近、忙しかったんですか?」

「?」

「あっ、いや。ここ数日『臨時休業』の状態になっている事が多かったので」

「そうですか? いえ、予告はしていたはずなのですが」

「そっ、そうでしたっけ?」

「はい」


 そう、実は事件の関係でお客様の足が遠のいている事と夢莉の怪我の治りが遅いことを加味して、少しだけお店を休みにしていたのだ。


「でも、僕が前に来たときはそんな告知どこにも……」

「多分、以前に来られた時には告知は終わってしまっていたのでは?」

「うーん、そんなに期間を空けた覚えはないけど」

「…………」


 ただ、本当は『今日も』臨時休業のはずだった。でも、そうしなかったのには当然『理由』がある。


「それよりも、今日は全身真っ黒なんですね」

「あー……っと、ちょっと仕事帰りでね」


 なんとも歯切れの悪い返事の仕方だ。いつもであればもう少し余裕が見えるスマートな返事をしてくるはずなのだが。


「……」

「……」


 それに、いつも朝は『スーツ』休日でも『ラフ』ではあるものの、清楚さを忘れない大人の男性という服装をしているのに、今日はなぜか全身真っ黒の出で立ちだ。

 しかも、その服装にショルダーバッグを持っているなんて本当に珍しい……というより、そういったバッグを持っていること自体驚きである。

 さらに不思議に思うのが、なぜかそのバッグがパンパンになっている事だ。何をそこまで入れているのだろうか。


「いえいえ、お気になさらず。むしろ僕が勝手に話してしまったので」

「それで、今日は何にいたしましょう?」

「ははは、いつもの通り『アメリカン』で」

「かしこまりました」


 本当にこの方には感謝している。


 初めて出会った夢莉に優しく接してくれた上に、賢治が淹れる珈琲を「美味しい」と言ってくれた。

 しかも、この味に惚れ込んで引っ越しまでしてくれたのだ。喫茶店のマスターとして、うれしい事この上ない。


 ――――本来であれば。


「…………」


 こんな時ですら本当の事を言えずに立ち止まり、しかも駆け引きをしようとしてしまう賢治は……根性なしなのだろうか。


「お待たせいたしました。アメリカンでございます」

「おっ、ありがとう」

「……」

「……」


 今まで集めた情報から分かっている事が今までの『全て』を物語っている。ただ、自分からその事について聞くのはどうしても気が引けてしまう。


「賢治さん」

「はい」

「本当は、分かっているんですよね? 一連の事件の犯人が誰なのか」

「…………」


 ――本当に自分が嫌になる。こうやって『犯人』から問われて、ようやく自分の意見を言える自分が……。覚悟なんてとうの昔に決めていたはずなのに……。


「……はい」

「はぁ、賢治さん。あなたはほんっとうに甘すぎます」


 盛大なため息の後、男性はチラッと私の方を見た。


「僕が何も言わなかったら、あなたはこのままみすみす僕を見逃すつもりだったんですか?」

「そっ、そんなつもりは……」


 見逃すつもりなんて毛頭ない。


 もし、見逃すつもりが万が一つにでもあれば外に純たち私服警察官を店の周りに配置なんて、そもそもさせていないはずだ。


「俺の息子に対してもそんな感じでしたよね? 妹が殺されたのに、怒りもせず『ただ反省してください』だけ言って」

「…………」


 確かに、あの時の賢治はそんな感じだった。


 ただ、その時の賢治は周囲から見てどう思われていたかなんて、当時は全然気にしていられる精神状態ではなかったという事も言える。

 それに、賢治は犯人に対して怒りを覚えたのではなく、自分に対して怒っていた。

 つまり、特に犯人を責めるつもりはなかったからこそ、あの言葉が出ただけだ。


「ああ。そういえば、夢莉さんは別のところに泊まるんでしたよね?」

「……はい」


 自分の一人称が変わっている事にこの人は気が付いているのだろうか。でも、今のこの人に賢治の声は正常に届いてはいないだろう。


「…………」


 傍目では分からないが、どうやらこの人は少し興奮状態になっている様だ。


「自分から遠ざける判断は正しいと思います。ですが、夢莉さんを遠ざけるだけでは意味がありませんよ?」

「…………」


 その人は今にも笑いだしそうな様子である。それくらい自分の計画が上手くいくという確証でもあるのだろうか。


「まぁ当然、こちらも多少は人員は割いていると思いますがね」

「それが何か」

「いやいや、俺の『使い』も一対一で結構やれるタイプなので、闘ったところでどうなるかと思いましてね?」

「……あなたはいささか警察という組織の人間を……いえ、どうやら『彼』をなめているようですね」


 お昼の後、織田と話をした時からこうなる事は想定済みだ。


 むしろ、夢莉をそのまま一人にさせるなんて危険極まりない事を織田さんがするとは思えない。

 現に、純から「織田さんが帰ってきていない」という事は、確認済みである。


「はっ?」

「あなたの言う『使い』の少年について調べました。確かに、多少は腕がたつ様ですが、あの人を知っている私から言わせるとまだまだ青いですね」


 彼の言う『少年』も多少は、使える様だ。


 しかし、織田がそんな未成年の少年に後れを取るとは思えない。昔から知っているという事もあるが、それ以上に織田は一度怒らせてしまうと、なかなか止まらない。

 それを考えると、もしも夢莉に何かあれば、織田が怒ってしまうのは目に見えている。

 ただ、賢治が疑問に思っているのは、そんな彼が『なぜ離婚したのかという理由』が分からないという事だ。

 それこそ、その『理由』のせいで、夢莉はまともに視線すら合わせてもらえなかったほどである。


 まぁ、それも一応『和解』出来たらしいが――。


「それに、あの『彼』が自分の娘を傷つける輩を野放しにするとは思えません」

「…………」

「それにもう一つ付け加えるのであれば、私は彼にケンカで一度も勝てた事がありません。その事を踏まえた上での先ほどの発言だとしたら、あなたは相当『彼』をなめています」


 賢治が「私が一度も勝てた事がない」と言った瞬間。


「……………」


 目の前の彼は青ざめたような表情になった。


 どうやら、夢莉が関わった事件で私がどうやって犯人を確保したのか聞いていた様だ。

 それを聞いていたのなら、この間の事件で『誰が』犯人を確保したのかくらい聞いていてもおかしくないはずだが。

 多分、彼が思っている以上にこの犯罪計画は脆いモノだったのだろう。

 こうした人の賛同や共感は、実は一時いっときのモノである事が多く、時間が経つと次第に――。


「……冷めてしまいますよ」


 それをいかに長くその賛同や共感を受けられる様に、信頼される様にするかという事が実はそれが難しい。

 それこそ、その人の腕の見せ所なのかもしれないなと、今の彼の姿を見ていると……そう思えてならなかった。

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