予感


「それじゃ、俺は夢莉を連れて行く」


 そう言うと、織田は車のエンジンをかけた。


「了解ました。俺たちはもう少し事件を調べてみます。賢治さんは……」

「私の方も調べてみます。犯人が『彼』だとしたら、その『理由』も少しは分かるかもしれませんから」


 犯人の『目星』はついている、そして『目的』も検討はついている。

 ただ、その肝心な『理由』が分かっていない。そうなると、過去の事件を洗い出すのは必然だ。

 しかも、直接私に来るのではなく、距離を徐々に徐々につめるというかなり回りくどいやり方をしている様に思う。


 そこら辺にも何か『理由』があるのだろうと推測出来た。


「分かった。引き続き何か分かったら連絡してくれ」

「はい、もちろん」


 いつもと変わらない……いや、昔と変わらないやり取りだったが、気持ちは穏やかではなかった。

 織田は「それじゃ」と言って、すでに夢莉が乗っている車に乗り込んだ。

 この時、賢治の内心では「そう、いつかは来る別れが早まっただけ。仕方のない話だ」と自分を納得させようとしたのだが――。


「はぁ。全てが終わったら、みんなで食べたいモノですね『ナポリタン』を」


 そう小さく呟きながら織田が運転する車を見送った。


「そうですね」

「……え」


 賢治は口に出した覚えはなかったのだが、どうやら心の声が漏れてしまっていたらしい。そして、その言葉を聞いた純がそう言ってイタズラっぽく笑っている。


 これには、賢治も思わず苦笑いをするしかなかった――。


◆  ◆  ◆  ◆  ◆


 そうして賢治と純は署の中に戻り、早速情報整理をしていたのだが……かなり難航していた。


「喫茶店を経営されているんですよね? お客様でいらっしゃいませんか?」

「いない……ですね」


 賢治たちもお昼もそこそこに今までの情報を整理していたのだが、今のところ目ぼしい情報は出ていない。

 そんな中で、純がおもむろに一枚の写真を差し出してきた。

 だが、賢治は写真を見つつ自分の記憶を出来る限り辿ったつもりだったが、それでも写真の人物の顔に見覚えがない。


「――仕方ないですよ。下手をすれば一瞬のやり取りだけですから、その一瞬だけで顔を覚えろとか」

「すみません。常連の方であればまだ分かるのですが」


 さすがの賢治も自分のお店をごひいきにしてくださっている皆さんを忘れるほど、物忘れは激しくないはずだ。


「あっ、大丈夫ですよ。謝らなくて……というか分からないのも無理ないですから」

「? それはどういう事でしょう?」

「実は、この人が仕事を辞めて整形していたという情報が入ってきているんです」

「え……」

「その後の消息は、まだつかめていませんが、少なからずこの写真の時の顔ではないらしいんです」

「…………」


 では、なぜ今この写真を見せたのだろうかと一瞬疑問に思っていたが「もしかすると犯人が元に戻っているかも知れないと判断したからだろう」と思う事にした。


「…………」

「夢莉さんの事が気になりますか?」

「いえ、これ以上彼女を巻き込むわけにはいきません。それに、余計な懸念は先に潰しておいた方がいいでしょうから」

「確かに。犯人が分かっていても、どういう方法を使ってくるか予想が出来ない現状では、それが安全ですからね」


 そう、賢治が犯人の『狙い』なら、夢莉の安全確保は絶対やらなければならない。


「ただ、コレが確実だと言えないのが歯がゆいです」

「そればっかりは……さすがに」


 自分が考えた中で『一番』と思える方法を使ったはずだ。

 しかし、どんなにしっかりしたセキュリティがあったとしても『絶対』が通らない世の中だ。


 ――悲しいことにいつ何時、何が起こるか分からない。


「それに……」

「それに?」

「嫌な予感がするんです」

「えっ、止めてくださいよ。縁起でもない」


 確かに、今の状況で言うべきことではないかもしれない。それこそ縁起でもない。


 ――ただ、どうしてもぬぐいきれない不安がある。


「とりあえず、もう少し詰めていきましょう。対策をしておいて損はないはずです」

「すみません」

「いえ、一番いいのはどちらにも被害が出ないことです。それに越したことはありません」

「そうですね」

「そうですよ……と言いますか」

「はい?」

「なぜこの人は整形してまで賢治さんを狙ったのでしょう?」

「それは、息子が逮捕されたことで何かがあったという事ではないしょうか……。あくまで臆測になってしまいますが」


 自分自身が逮捕されなくても、その家族に火の粉が降りかかってしまう事は確かにある。

 たとえ本人たちが悪くなくても、世間の目というのはとてつもなく怖く、冷たい。

 賢治は妹を亡くした被害者ではあるが、たとえ犯人に恨みを持っていたとしても、その家族まで恨んではいない。


 なぜならその人たちには関係のない話だからだ。


 確かに「子供の責任は親の責任」という言葉もあるが、その犯人がある程度の善悪が理解出来る年齢ならば、やはりその『責任』は親ではなく本人が取るべきだろう。

 だから、犯人ではなくその親を責めるのは、そもそもお門違いもいい話しだと、賢治は思っている。

 でも、本来は事件の当人たちの問題であるはずなのに、それらを取り巻く人たちはそれを簡単には終わらせてくれない。


「でも、それだけ大騒ぎした割に、まるでそんな事があった事すら忘れて……」

「…………」


 最初は「忘れてくれて構わない。むしろ早く解放してほしい」とその当時は思うが、割と簡単に忘れられると無性に腹が立つ。


「今回の事件の理由が『それ』だとしたら、ただの八つ当たりじゃないですか」

「いえ、ちゃんと考えていなかった私にも責任があります」


 確かに、純の言っている事はもっともかも知れない。

 しかし、あの事件で取り残されているのは賢治だけではなかった。それこそ「あの時、もっと考えて行動していれば」なんて今更思っても後の祭りだ。


「とりあえず、逮捕しないと始まりません」

「そうですね」

「そういえば、先ほどの織田さんの行動が気になったのですが……」

「それも含めて後で集まりましょう」


 純のその一言でお開きとなった――。


◆  ◆  ◆  ◆  ◆


「どうやらあなたの存在に気づいたようです」

「そうか」

「どうされますか?」

「……あの娘はどうした」

「ここからは確認が出来ません。ですが、先ほど刑事と思われる男性に連れて行かれたので、あの喫茶店には帰ってこないかもしれません」

「なるほど」 


 ――しばらく沈黙が続いた。


 この人には珍しく、考え込んでいる様だ。無理もない。次にどういった手を打つべきかそれを考えずに下手な動きをすぐにバレしまう。それに気が付く相手だ。


 つまり、今回の話はもう終わりに近づいている。


「……計画は今まで通りだ」

「分かりました。また接触を……」


 いつもの様に言葉を続けようとした瞬間「いや」と言う男性の声が耳に響いた。


「今回は私がやろう」

「! ですが……」

「もう分かっているだろ? もう引くに引けないところまで事は動いている」

「……分かりました」


 正直、一言くらい言い返してやりたかったが、決して間違った事を言っていた訳でもないので、それは諦めた。


「はぁ」


 ようやく『お役御免』になる日が近づいている。


 とても喜ばしい事だ。今までやりたくもない裏方の連絡係の様なことばかりをしてきた。正直、疲れていたのだ。

 しかし、お役御免になるという事は、捕まるという事を暗に意味している。


 でも、それでいい……それがいい。


 本来はもっと早く逮捕されるべきだったのだ。今の今まで何事もなく生活している方がおかしい。


「死にはしないと思うけど、やっぱなぁ」


 こんな追い込まれている時ですら、若干興奮している自分は……おかしいのだろうか。小さい頃はよくそう言われていた。

 なんにせよもうすぐ終わる。その事実だけが、自分の心を満たしてくれているように感じた。

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