事情
夢莉は織田がキーを差し込んだ車に乗り込んだ。
「あ、パトカーじゃないんだ」
「ん? ああ、うーん。そうだな。時と場合、あとは人によって使い分けているっていう感じだな」
織田は困ったように苦笑いを見せた。
「じゃあ父さんはパトカーに乗っちゃいけない人ってことね」
「おい、そういう事じゃなくてだな。地域課とか交通課……とかそういった担当の課によって乗る車も色々と使い分けているって話だ」
織田はそう言って頭をかきながらぶっきらぼうに答えた。ただそう言われて何となく納得が出来た。
確かに『交通課』と一言で言っても、白バイ隊も交通課の一つ。それに言われてみれば、全員が全員パトカーに乗っているわけではない。
「ちゃんとシートベルトしろよ? 警察官が切符切られるなんて笑い話にもならないからな」
「分かっているって、そこら辺はちゃんとしているから」
夢莉のせいで織田が『交通違反の切符』を切られては確かに笑い話にもならない。
しかも、その理由が『シートベルトの締め忘れ』なんて、それこそ夢莉自身も恥ずかしい話だ。
「じゃあ」
「はい。あの――」
「ん?」
「――」
走り出す前、織田が何やら賢治たちと話をしているのが聞こえたけれど、夢莉には何も聞こえなかった。
「…………」
「…………」
そして、いつの間にか車は走り出していたのだが、この時の夢莉は正直「何を話したらいいのか」と戸惑っていた。
――いや、本当は話したい内容なんて決まっていた。
ただ、それを切り出すタイミングが分からないず、夢莉はとりあえず外の景色を見ていた。
「…………」
ここ最近の出来事もあって今、走っている道もほとんど使った事がない。それが、ちょっとだけ好奇心を掻き立てた。
そもそも、夢莉の行動範囲や毎日の過ごし方やルーティンなんてよほどの事がない限り変わらず、ほとんど決まっている。
だから「へぇ、こんな道があったんだ」とか「こんなお店があったんだ」なんて事を感じながら外を見る事なんて今までしてこなかった。
「……さっきの視線の正体なんだが」
「はい!?」
「おい、そんなに驚かなくてもいいだろ」
「ごっ、ごめん」
でも、本当ははしゃいでいたのだろう。
夢莉が幼いころ住んでいた場所。育った場所とは全然違い、こんな事件が多発するような都会でもない緑の多い土地。それが物珍しくって、柄にもなく……。
ただ、あまりにも外の景色を見るのに集中しすぎて、織田が話しかけている事にすら気が付かない。なんて本当に電車に乗ってはしゃいでいる子どもと一緒だ。恥ずかしいことこの上ない。
「そっ、それで何?」
「さっき見たヤツの正体は……多分、今回の事件の関係者だろう」
「関係者? 犯人じゃなくて?」
「ああ」
刑事である織田がはっきりとそう断言しているのだから、それで間違いないのだろう。
「あの事件の後。俺はゲーム内のプレイヤーに色々尋ねて回ったんだが、どうやらあの『ゆき』というアバターを使っているプレイヤーは男性で、かなりゲームやりこんでいる様だ」
「…………」
「しかも、かなり用心深いらしい」
「それが……何?」
「俺たちはそのプレイヤーが犯人だと思っていたんだが、どうやらその『ゆき』には『ご主人』と言っている相手がいるらしい」
「――ご主人」
メイドとか使用人で「旦那様」とか「お嬢様」とか言っているのを聞いた事はあったのだが、さすがに「ご主人」は初めてだ。
「そして、自分はその人の使いだと」
「……よく教えてくれたね」
「相手もかなりの手慣れたプレイヤーだったというのもあってか、その相手はそういった犯罪に手を染めさせる様な行動をするヤツを排除したがっていた」
「ああ、なるほど」
確かに、あのゲームサイトが犯罪者の出会いの場になっている事が公になってしまうと、そのサイト自体が閉鎖される危険性がある。
せっかくそこまでプレイしてきたのに、それでは今までの苦労が水の泡になってしまう。
それはなんとしても避け様とするのが、普通なのだろう。
「自分ではどうする事も出来ないからと俺たちをわざわざ探してコンタクトしてきた」
「ん? あれ、父さんたちは当然自分たちが警察だって事は隠していたんだよね?」
「あー、でもあれだけ聞きまくっていたら不審に思われても仕方ないな」
「それは……まぁ」
いくら身分を隠していても、確かに色んな人に聞きまくっていれば必然的に目立って浮いてしまう。
「それとほぼ同時に『ある人物』が捜査線上に上がってきた」
「ある人物?」
「そいつは、賢治さんの娘さんが亡くなった事件の容疑者の父親だ」
「え、それって……」
そこまで言われてようやく分かった。
「もう分かっただろ」
「……うん」
なぜ、賢治が突然あんな事を言ったのか。
それは多分、自分がターゲットだと言われたか気が付いたからなのだろう。そして、夢莉に被害が及ぶと考えてワザと自分から離れるように言った。
詳しい話をしなかったのは、犯人に勘づかれたと思わせないためだろうか。その可能性は極めて高い。
「……悪いな」
「ううん、あの状況で経緯を話していたら色々バレていたかもしれないし」
賢治が「ホテルに泊まってください」と言ったのは、夢莉があの喫茶店はおらず、賢治しかいないという事をワザとその犯人に知らせるためだったのだろうか。
「……」
織田は「犯人が盗聴していないかも知れないから、意味があったかは分からないけどな」と言って笑っていたけど、こういった予防線を張るあたり、賢治も相当用心深いと思う。
「それにしても、まだあの事件が尾を引いているとは思っていなかった」
「私たちは終わったモノだとして忘れるけど、事件に深く関わった人たちにとっては、ずっと残るんだよ」
あの事件で、傷ついたのは賢治だけではなかったという事だろう。
でも、この事件の解決が近い。今までの話の流れから夢莉はそう感じざる負えなかった。
ただ、願えるなら何事もなく……誰も傷つかずに終わってほしい。
もちろん、警察の人たちもそうだけど、犯人の人にも……傷ついて喜ぶ人間なんていない。
もし、喜んだとしても、その場限りのモノでしかなく、ずっとそれを引きずっていく事になるだろう。
そして、今回の事件がまさしくそれだ。
だから、これで最後にして欲しいなんて、私が願わなくても、きっとみんな思っているだろう。
「まぁ、とりあえず。お昼はこのお店でいいか?」
「どこでもいいよ。あんまりここら辺、詳しくないから」
そんなやり取りをして入ったお店は……夢莉がここに到着して最初に入ったお店だった。
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