疎遠


「……」

「……」


 無言のまま案内され、その場にある椅子に座らされて十分以上経ったけど、織田は一向に何かを話す気配がない。

 しかし、夢莉にはこの沈黙がどうにも……耐えられそうにない。

 確かに、織田は昔から根っからの仕事人間で、夢莉の記憶の中ではほとんど家に帰ってくる事自体なかった。

 だから、今更「いつもどう話をしていたっけ?」と自分自身に問いかけても答えが出せない。


「昨日は……」

「え?」

「昨日は悪かったな」

「…………」


 あれは確かにショックだったが、あまりに突然すぎて驚いた結果だろうし、何より「あの時は仕事中だったのだから」と今となっては思っている。


「いくら仕事とは言え、解散の号令の後に普通に話をする事も出来た。すまなかった」

「……」

「俺はお前を傷つけた。今回だけでなく、俺たちが離婚時も」

「……!」


 織田が『離婚』という言葉を口にした瞬間、夢莉は思わず反応した。

 小さい頃に経験した『両親の離婚』に関して、実は今まで詳しくは聞いてこなかった。


 でも、決して何も気にしてこなかった訳ではない。


 ただ、夢莉も幼心おさなごころながらに母さんを気遣った結果だっただけなのだ。


「そう思うなら、なんで昨日はあんな態度を取ったの? ただ単に驚いたから?」


 織田が自分で「夢莉を傷つけた」と自覚があるのであれば、これくらいの意地悪くらいは許して欲しい。

 頭では「仕事中だったから」と今では理解出来てはいても、それでも夢莉はとても傷ついていたのだから。


「たっ、確かに驚いた。でも、それ以上に今は会っちゃいけないという気持ちが先走っちしまって、それで……本当にすまない」

「なにそれ」


 そう言って織田は頭を下げたが、夢莉はそんな謝罪よりも「会っちゃいけない」という言葉に苛立ちを覚え、思わず思った事が口に出ていた。


「え」

「誰が決めたの? 私が父さんと会っちゃいけないって」

「いや、誰が……とかいう訳では」

「じゃあなんでそんなことを言うの? 嫌ならそう言ってくれた方がまだいい」

「嫌じゃない。ただ俺はまだ夢莉や紗友里さゆりを守れない……と思って」

「だっかっらっ! それが間違っているんだって!」

「!」


 そう強く言って夢莉は思わず机を叩いた。思いがけない行動にさすがの織田も驚きの表情を浮かべている。

 でも、本当は分かっていた。

 織田のこのあまりにも「自分勝手」としか言いようのない離婚した理由を。


『夢莉。お父さんの仕事はね、ちょっとでも気を抜いたらいけない。ふとした瞬間、ちょっとでも気を抜いたら……お父さんだけじゃない。私たちにも火の粉がふりかかる様な仕事なの。だから、お父さんは私たちを守るために……私たちから離れたの』


 織田と離婚したばかりの時、母さんは夢莉が聞いたわけでもないのに、涙ながらにそう言い聞かせた事があった。


 ――その頃は母さんの言っていた事がよく分からなかったけど、さすがに今になって分かる。


 それに、母さんは当時夢莉に言い聞かせるように言っていたと思っていたが、本当は……母さんは自分自身に言い聞かせていたのだ。

 そう言う事によって、自分を納得させるために……。


「母さんは、父さんの言った事に理解を示して同意した。だから離婚した。でも、本当は……」


 思い出すのは病室で空を見上げながら「最後くらい……家族で過ごしたいな」と言っていた姿だ。


 ――その姿が、どれだけ寂しそうに見えたか。


「私以上に母さんが傷ついていたんだよ?」

「…………」

「父さんの仕事が大変なのはよく分かる。昨日の様な事件があれば解決に奔走ほんそうするって事も、もしかしたら自分でも知らない内に恨みでも買おうものなら私たちにも火の粉がかかる可能性があるって事も」

「だったら……」

「それでも! それでも、家族みんなで一緒に生活したい。過ごしたいって思っちゃいけないの?」

「……」


 この時、涙でも流せばもう少し説得力があったかもしれないが、悲しい事に全然涙がでてこない。


 昨日、寝る前に泣き過ぎてしまったからだろうか。


「……知らないと思うけど母さん、今入院しているの」

「――」


「治るかどうかまだ分からない。でも、こうしている今も確実に母さんの元気がなくなっている」

「だっ、だからって、何もこんなところまで来なくても……」

「だって、それが母さんの願いだっただから」

「?」


 まさか、織田がここまで言っても「分からない」という表情を見せるほど察しの悪い人だとは思いもしなかった。


「はぁ。だから! 母さんが家族と一緒に過ごしたいって言っていたの! だから、私は親孝行のつもりで……」

「ここまで来たのか? わざわざ親戚に俺の事を聞いて」


 夢莉は思わず「え」と呟き、そのまま目を見開いて、織田の言葉に驚いた。


「知って……いたの?」

「いや、なぜか俺の職業について聞かれたんだけど……って、この間連絡があった。それから『近いうちに来るかも知れない』とも言われてずっと不思議に思っていたんだ」


 どうやら夢莉が親戚に父親の居場所を聞くために電話をした時、電話の近くで会話の内容を聞いていた人が父である織田に電話をし、その事について尋ねたらしい。

 ただ、一応両親共に納得した上での『円満離婚』だった事もあり、今更父親に関して夢莉が情報収集している事に疑問を感じた様だ。


「なるほどな。そういう事だったのか、それで、ここまで一人で来たのか」

「……」


 その言葉に夢莉は無言で頷いた。

「そうか、なるほど。つまり、俺の判断。いや、今までの俺が間違っていたんだな」

「まっ、間違っていたという訳じゃ」


 そう、織田は決して間違った事を言っていたわけじゃない。

 ただその『やり方』が極端すぎただけ……しかも、お互いそれを口にせず我慢していただけなのだ。


「でも、今の話を聞いた限り、すぐにでも会いに行った方がいいな。それなら、早い段階で有給取るなりしてどうにか……って、あ」

「どっ、どうしたの?」

「いや、なんか。会いに行って俺の姿を見た瞬間に、すぐに物を投げられそうだと思ってな」

「甘んじて受けて。それこそ、今までたまりにたまった不満全てを受け止めるつもりで」


 母さんも誰にも言えなかった言わなかった『不満』はきっと溜まっているはずだ。

 離婚当初の織田なら受け止めきれなかったかも知れないが、今ならその不満をきっと受け止めてくれるだろう……多分。


「あっ、でもこの事件が解決してからな」

「当たり前でしょ、散々お世話になっておきながら……というか父さんは職務放棄したらヤバいし」

「ははは、言ってくれるじゃないか」

「……当たり前のことを言っただけだよ」


 夢莉は不貞腐れて織田から顔をそらした。


 だけど、織田がふとはにかんで見せた笑顔は、もはや断片的にしか思い出せない小さい頃に珍しく一緒に遊んでいる時の笑顔と何一つ変わっていなかった……様に思えた。

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