見守


 翌日、警察署前――。


「緊張されていますか?」

「きっ、昨日の事もあって……ちょっと」

「でも、昨日と比べると幾分か顔色はよさそうですね」

「えと、それは昨日はすぐに寝てしまって」


 昨日は布団に入ると、気がついたら寝ていた。

 それを言うと賢治は「昨日は色々な事があって、気が抜けてしまったのでしょう」と穏やかに笑った。


「それにしても」

「はい?」

「夢莉さんの荷物は、結局出てきていないらしいですね」

「そこは……もう諦めています」


 そもそも、犯人が捕まっていないという事もあるからだとは思うが、夢莉がひったくりにあって結構な時間が経ってしまっている。

 だから、ここまで来たらもう返ってくる事も……きっとないだろうと思っている。


「母さんには一応連絡が取れたので、荷物とかそういったところは大丈夫そうです」

「そうですか」

「…………」

「…………」


 そう、ここに来た当初こそ無一文状態だったが、今は電車に乗って実家に帰る事も出来る状態だ。

 でも、今の状況を放ったまま戻るなんて、そんな選択肢は夢莉の中にはない。そこまで言い切れるほど、夢莉も事件に深く関わっている。


「あの」

「大丈夫です、言わなくても分かっていますよ。経済的に生活が成り立っているからと言って、追い出すなんて事はしません」


 賢治の言葉を聞いて、内心ホッとした。


「そっ、そうですか」

「はい」


 いや、実はかなり前から思っていたが、夢莉は何も言わずにあの喫茶店にいさせてくれる賢治に甘えていた。


「それよりも夢莉さんはご自身の心配をされた方がよろしいかと」

「うっ」


 そこを突かれると正直、痛い。


「今日こそはちゃんと話して頂かないと」

「すっ、すみません。お手数おかけします」


 ――申し訳ないという感情が今の夢莉の大部分を占めている。


 しかも、ここに来るよう指示をしてくれたのは我妻わがつまじゅん警部補。なかなか融通の利かない頭でっかちな彼にまで気を遣わせてしまったという事実も、さらに申し訳ない気持ちにさせた。


◆  ◆  ◆  ◆  ◆


「……なんで呼んだんだ」


 男性は窓から見える年の差がある男女二人の姿を見下ろしながらそう呟いた。その口調は、いつもの男性の雰囲気から考えるとかなり冷たい印象を与える。


 彼の名前は織田おだ倫太郎りんたろう


「単に昨日起きた事件に関する情報のすり合わせですよ」


 隣で一緒に見下ろしているのは、我妻わがつまじゅん

 織田の部下で階級は『警部補』で、ちなみに織田は『警部』にあたり、部署の中で班をまとめる班長。


「それなら賢治さんだけでいいだろ」

「人数の多い方がより正確さが増すと思ったので」


 サラリと返されてしまったが、純の狙いは分かっている。


「…………」


 入り口にいる男性。朝日奈あさひな賢治けんじは『元』探偵で昔はよく世話になった事もある人物で、確かに頼りになる人だ。


 しかし、どうやら純の本当の目的は彼の方ではなく隣にいる女性の方だ。彼女の名前は、宮野川みやのかわ夢莉ゆうり


「はぁ、なんでそこまで邪険に扱うんですか」


 そう『普通』であればここまで露骨に嫌そうな反応はしない。ただ、夢莉は、この織田にとって『普通』とは違うのだ。


「自分の娘さんでしょ? 話くらいちゃんとしてください」

「…………」


 年下の純にここまで言われてしまうと、年上としては全然格好がつかない。

 ただ、昨日の自分のあの『情けない』反応を見られてしまっては、こういった強硬手段を使われても仕方ないとも思ってしまう。


「俺としても他人の過去に引っ張られるような事は避けたいところですが、昨日の状況を見てしまうと、さすがに気にします」

「それは、悪かった」

「そう思うのなら、ちゃんと話してきてください。離婚したとは言え、彼女はあなたに会いに来ているのですから」

「ああ、分かっている」


 ――そう、頭では分かっている。


 しかし、離婚をしてしまった事に織田自身後ろめたさでもあるのだろう。夢莉を前にした時だけ、なぜか自分が自分でなくなっている様に感じる。


「いつの間に、俺はここまで臆病になったのだろうな」


 偶然、鏡に映った姿はとても犯人を捕まえる警察官とは思えない、情けない男の姿がそこにはあった。


◆  ◆  ◆  ◆  ◆


「…………」


 入り口から入ると、織田は無言で夢莉と賢治を出迎えた。


「……」

「大丈夫ですよ」


 そう賢治は言ってくれているが、チラッと見た限り「大丈夫」とはとても言えない雰囲気だ。


「……」


 その後、純が合流したが、夢莉にしても織田にしても、お互い何も言葉を発する事もなく無言のままだった。


「あ、こっちです」


 そして案内されたのは、自販機がたくさん並んでいる場所だった。


「そんじゃ、私たちはこれで」

「ええ、後はお二人で……」


「……」

「……」


 賢治と純は夢莉と織田に気を遣ってくれたのか……はたまた昨日の事件の聴取のためなのか。

 無言のままお見合いの様に対面で座っている夢莉たちを置いてそのまま席を外した。


◆  ◆  ◆  ◆  ◆


「……」

「純さん」

「分かっています。ですが、やはり気になります」

「お気持ちは理解出来ます。ですが、夢莉さんはあくまで他人。彼女のデリケートな家庭事情に横槍を入れるのはよくありません」

「……」

「確かに、昨日の様子を見ていたら気になるのも理解はますがね」


 昨日、夢莉と織田が顔を合わせた。

 ただ『織田』が夢莉の探している『父親』だとは思いもしなかったのも事実だ。


「…………」


 確かに、今まで織田とは仕事上での付き合いしかなかったわけで、賢治が『唯一』と言ってもいいほどの『家族写真』を落とさない限り、賢治も自分から家族の話なんてしなかっただろう。

 でも、その時ですら織田は自分の家族の話は一切していない。

 しかし、昨日の織田の反応を見た限り、夢莉に対し何か『後ろめたい理由』があるのは、あの反応でよく分かる。


 だから、純の言っている「気になる」という事も分かる。


 しかし、部外者ともいえる賢治と純がその話を聞くのは、何か違う様に感じてならなかった。


「……今はそれよりも」

「分かっていますよ。昨日の事件と今までの関連性……ですよね」

「もちろん。私も夢莉さんの事も気になりますが、それ以上にまずは事件を解決するのが先決かと思いますが」

「もちろんです。だからこそ、自分の上司が『別の事』を気にかけられても困るんでですよ、こっちとしては」

「……なるほど。そういう事ですか」

「そういう事です」


 純の話と表情を見る限り、思わず愚痴をこぼしたくなるくらい、どうやら織田は職務にまで悪影響が出ているらしい。


「まぁ、それも……いえ、今日中は無理でも、事件が解決する頃には終わっていますよ。多分」

「多分ですか。こちらとしては早く立ち直って欲しいところですけどね。まぁ、それも仕方ないですね」


 そう、こればかりは本人たちの問題である。


「はぁ。えと、事件の話でしたよね」

「はい」


 そう答えると、純はもう一度「はぁ」ため息をついた。


「結論から言いますと、賢治さんが考えていた『可能性』はかなり高い様です」

「なるほど、そうですか。では、あのサイトを使って実行犯を募っていた……と」

「我々はそう見ています。現に捕まった彼も最初は黙秘していましたが、彼の所持していたパソコンからあのゲームサイトと例のサイトの履歴が残っていたので、それを尋ねたら素直に話してくれました」

「そうですか」


 つまり、ゲームサイトで仲良くなったか、もしくはそういった『現実でスリルを求めている人物』に『特定のプレイヤー』が接近し、あのサイトを教えたという仮説がほぼ立証されたことになる。


「他の犯人たちの所持していた携帯やパソコンからも同様のサイトの検索メールのやり取りが残っていたので、ほぼ確定でしょう」

「そうですか。ですが、そうなると……」

「はい。今度は一連の犯罪は『グループ』ではなく『個人』の可能性が出てきました」

「……なるほど」

「ただ、犯人たちの奪った金銭や物はその依頼を書き込んだ相手に送ってしまい手元には残っていないと供述しています」

「そうですか」

「はい、どうやら盗ったモノが報奨金よりも高いモノが含まれている事はなかったので、犯人たちはその『条件』を素直に聞いていたようですが」

「そういえば、犯人のほとんどが未成年でしたね」


 だからこそ、そこら辺は素直に話したのだろう。


「昨日が月曜日でしたから、今度は木曜日。今日を入れてあと二日で対策をしなければいけませんね」

「はい。そうなりますね」

「ところで、ふと思ったのですが」

「奇遇ですね。実は俺も気になった事があるんです」


 そう言って賢治と純はお互い顔を見合わせた。


「…………」

「…………」


 一瞬黙ったのは、お互いの出方を窺っているからだろう。でも多分、賢治と純の思っている事は一緒なはずだ。

 そして今、お互い言おうとしている事が合致しているとするならば――。


 夢莉と織田のわだかまりを早急に、本当にどうにかしてもらわなければならないと、お互い思ったに違いない。

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