会話


「……」


 賢治と純に「ここで待っていて下さい」と言われたからというのもあるが、今の夢莉に出来る事は何もない。

 ただ、この場に警察官の人たちといるのは正直、気が引ける。


「そっちはどうなっている!?」

「今、我妻警部補たちが追いかけています!」


 でも、皆さんとても夢莉の事を気にかけるほど余裕はない様だ。


「はぁ」

「君は……」


 突然、横から声をかけられた。


「はっ、はいっ!?」


 しかし、声をかけられるなんて思ってもいなかった事もあり、夢莉は思わず体をビクッとさせて驚いた。


「あっ、ごめん。驚かせるつもりは……なかったんだ」

「いえ、あの。大丈夫ですか? その、話をして」

「話をしている方が……気が紛れる」

「……」


 当人の言っている事は理解出来るが、応急処置をしたとはいえ、本当に大丈夫なのだろうか。


「救急車が……来るまでの……間だけだ。すぐに来る」


 そんな夢莉の気持ちが分かったのか、警察官は軽く息を吐きながらそう答えた。


「そっ、そうですか」


 ――ただ、息切れはしている。


 しかし、本人としては会話を続けることで意識まで持っていかれる事をどうやら避けたかったようだ。


「えと……私でよろしかったら」

「ああ、しばらくの間だけ頼む」


 正直な話。突然「頼む」と言われても話題に困るところだが、とりあえず適当に世間話をする事にした。


『おい、そっち!』

『はい!』


「皆さんお忙しそうですね」

「ああ、俺が……こんな怪我をした上に……被疑者が……逃走中なら、仕方のない話だ」


 幸いな事に周りの方たちはみんな事件の対応に追われていて、夢莉たちに気をかけているどころではないらしい。

 それに、この人の言う通り救急車を手配して少し時間も経っている。

 こうしてちょっと世間話でもしている内にすぐに来るだろう……と思う事にして深く考えないようにした。


◆  ◆  ◆  ◆  ◆


「我妻警部補」

「はい」

「これは一体、どういう事なのでしょうか。説明を求めます……簡潔に」

「えーっと、ですね。見たままですとしか言いようが……」


 ――夢莉は知っているだろうか。

 

 賢治が怒る時は、いつもと同じ様に口調は丁寧。


 つまり、口調にその感情が出ることはない。ただ、醸し出す雰囲気だけで感情を表現する……という事を。


「では、上司であるあなたの口からお教え願えますか? 織田おだ倫太郎りんたろう警部?」

「いやいや、まさかあんた本人がわざわざ現場にまで来てくれるとは思わなかったな」


 しかし、賢治が「怒っている」という事を分かった上なのか、元々天然なのかはたまた鈍感なのか「織田」と呼ばれた警部はマイペースに笑顔を浮かべている。


「そもそもあなたが我妻わがつまさんを寄越したでしょう」

「ははは。でも、まさか現場まで来るとは思わないだろ」


 警部がマイペースなのは賢治も理解している。ただ、周りの警察官たちからすれば、この二人がなぜここまで仲がいいのか分からないだろう。


「ところであの、織田さん」

「ん?」

「その気絶している被疑者を運びたいのですが」

「あっ」


 実は、純と賢治が被疑者を追いかけて行ってしまった織田の後を追いかけていた……はずだったなのだが、二人が走り出して五分もしない内に地面に何か叩きつけられた様な音がしたのだ。


 驚いた純と賢治はお互い顔を見合わせ、音のした方へ行くと――。


 そこには包丁を壁に突き刺し、地面に気絶した被疑者と「いてて……」と腰をさすっている織田の姿があったのだ。


 そして、賢治が怒っていたのは『被疑者が気絶していた』というところに対してである。


 結局、被疑者は純と賢治と共に来ていた警察官たちに連れて行かれた……というよりは、担架に乗せられて運ばれて行った――。


「はぁ、全くあなたはなんで昔から柔道技を使いたがるんですか」

「悪い悪い、加減はしたつもりだったんだが、まさか気絶するとは思わんだろ」

「まだ直らないんですか、その悪癖は!」

「いやぁ、なんか相手が包丁を突き出してきたもんだから、ついな」

「だから、その『つい』で、やっちゃダメなんですって!」

「……はぁ、あなた方のやり取りは昔から変わりませんね。織田さん。そろそろご自分の年齢も考えてみたらどうですか? もう若くはないのですから」


 呆れ顔で賢治がつぶやくと、織田は「うるさいな。年くらい分かっている」と投げやりに返した。

 そんな二人に挟まれる純という構図が、勝手に出来上がっている。


「それにしても、純から聞いたぞ?」

「何をでしょう」


 三人は来た道を引き返しながら、会話を続けた。

 やはり久しぶりに会うからなのか、織田のテンションはいささか高めである。


「しらばっくれるなよ。ここ最近、若い子が喫茶店で住み込みのバイトをしているらしいじゃないか」

「ああ、その事ですか」


 織田がにやにやとした表情で尋ねてきたので、賢治は怪訝な表情で純を見た。


「すっ、すみません。一応報告すべきかと思いまして」

「そもそも、あなたは知っているのかと思っていましたよ」


 純の言っている事は間違っていない。上司に対して報告・連絡・相談は社会人の基本だ。


「知っているって言っても、そこまで詳しくはな。どんな子だ? かわいいのか? 名前は?」

「はぁ」

「あの、織田さん。名前は一応報告したはず……」

「あれ、そうだったか?」

「相変わらず都合のいい頭と耳をしていますね」


 それに関しては、たとえ上司でもフォロー出来ないという表情で、純は向けられた視線をそらしている。


「かわいいなどそういう人によって感じ方の変わる事に関しては、私はどうこう言いませんが、お名前は確か宮野川みやのかわ――」

「え?」


 賢治が『宮野川みやのかわ』の名字を出した瞬間。織田は突然、表情を変え、足を止めた。


「おや、どうかされましたか?」

「……織田さん?」


 いきなりのテンションの落差に純も賢治も不思議そうに振り返る。


「なっ、なぁ。その子って……」


 そう織田が尋ねた瞬間――。


「賢治さーん、純さーん」

「おっ、噂をすれば……」

「来た様ですね」


 ついさっき救急車を見送った夢莉が賢治と純に駆け寄った。


「えっ」

「どうされました? 夢莉さん」

「…………」

「織田さんもどうされたんですか? 二人揃って、固まって……」


 夢莉は、織田の姿に気が付くと見る見るうちに驚きの表情へと変化させ、そして――――。


「とっ、父さん……?」

「…………」


 夢莉は「そのまま思ったことが思わず口からポロッと出てしまった」という様な小さな声で呟き、目の前にいる織田を見て固まった。

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