昔話


「元々、私の両親は病弱だったんです」


 ――そう賢治は切り出した。


「ご両親が……ですか?」

「ええ、二人共です。両親は私が学校に行っている間に勘づかれないように通院していたようですから、本当はその事自体隠したかったんだと思います」

「そう……だったんですか」


 しかし、賢治はその頃から察しが良かったのか、そのご両親の「何か隠している」という事も、分かっていたらしい。


「両親は『隠す』という事や『ウソ』が苦手でしたから、結構分かりやすかったんですよ。なんと言いますか……顔や態度に出やすかった」


 それこそ、クリスマスのプレゼントやパーティーなどの『サプライズ』などは、大抵すぐに賢治は「あっ、何か準備をしている」と分かってしまうほど。


「じゃあ、賢治さんも……ですか?」

「いえ、私と妹はありがたい事に特に病弱という事はありませんでした。普通に運動もしていましたし、むしろ私も妹も部活動ではそこそこ良い成績を残していたと思います。自慢ではありませんが」


 そう言って賢治は少し苦しそうに笑った。


「え、そうだったんですか?」

「ええ、私も妹も陸上をしていましたから」


 その言葉を聞いて「なるほど。だかあの時。私よりも後に来たにも関わらず、あの距離を先回りする事が出来たのか」と、夢莉は思わず納得してしまった。


 しかし、本当に賢治が「先回りをした」と言って警察に説明していたあの距離は、普通であれば暖簾を片手に待ち構える……なんて余裕は出来ないほどの長い。

 ただ、そういった経験があるのであればと思うと、謎の説得力を感じてしまう。


「……あの、探偵の仕事は最初から?」

「いえ」


 賢治が探偵に興味を持ち始めたのは元々、ドラマやアニメの影響が強かったらしい。


「その頃は、本物の探偵が事件解決のために警察に助言するようなかっこいい存在だと思っていましたから」


 そもそも、さっき言った様に『察しが良かった』という事に加えて地道に何かを調べたり探し物が得意だったりした……という事も理由にはあった。


「なんだかんだで、同級生たちからはいなくなったペット捜しやなく物探しを頼まれる事が多かったです。もちろん、家族からも」

「そうだったんですね」


 言われてみれば、夢莉も何度か「なくした」と思っていた物を賢治が発見して届けてくれた……なんて事があった。

 それはなんだかんだ言って、そうして見つけてくれるのはありがたい話だ。


 そういった経緯もあり、賢治は友人たちの勧め……というよりは、完全に友人の悪ふざけみたいなその場のノリで受けようかなと思ったらしい。


「意外……ですか?」

「正直……意外です。なんと言いますか……賢治さんはそういうその場のノリで進路を決める様な印象がなかったので」


 夢莉としては「賢治はどちらかというと、こういった将来を決める進路は情報収集などをして色々と吟味した上で決めそう」という印象を持っていた。


「ははは。そうですね。今の私でしたら……そうしていたでしょう。ですが、私にも『若気の至り』と呼べる様な時期があったのですよ」


 そう言って賢治は小さく笑う。


 そんな話を聞くと「賢治もどこにでもいる普通の人と変わらない」という気持ちに夢莉はなった。


「しかし、いくら『若気の至り』とは言え、両親には反対されるかと思っていたのですが」

「反対されなかったんですか?」


 多分、賢治は素直に「その場のノリで」とは言わなかったとは思うが、それにしても「探偵になりたい」と突然言われて了承はされにくそうだ。


「それが……」


 賢治曰く、話を聞いた両親は「記念受験なら受けていいよ」という事で比較的すんなりと探偵事務所を受ける許可を得られたらしい。


「今では到底考えられない、それこそ『らしくない事をした』と思えてなりません。私は今も『なんであんな事をしたのか』と思っております」

「仕方ないですよ。それが『若気の至り』ってモノなのですから」


「……随分楽しそうですね。ひょっとして夢莉さんも何か『若気の至り』をしてしまったのでは?」

「え、わっ……私は特に……」


 そう言いながら、夢莉は目線を泳がす。


「そういえば、最初にこのお店に来た時。随分『お酒』を気にしていた様に感じましたが。まさか?」

「いっ、いえ! 私はそんな限界まで飲んだ事はありませんよ? ただ……以前アルバイトをしてお酒の提供をしていた時にやたらと絡まれてしまった事が何度かありまして……」


 実はそのアルバイトを辞めた理由は時期もあったが、それも理由の一つだった。


「……そうでしたか。申し訳ありません。思い出したくない事を」

「いっ、いえ! あの、それはともかく。探偵事務所の入社試験って具体的に何をするんですか?」


 申し訳なさそうにしている賢治に対し、夢莉は慌てて話題を変えた。


 それに「探偵事務所の入社試験」と聞くと、どうしても興味が湧く。普通の会社の入社試験であれば、大抵は筆記や面接だ。

 しかし「探偵事務所」と聞くと、どうにも想像がしにくい。その上、自分の周りでも受けている人間がいないのだから。


「それが……ですね」


 夢りの何気ない質問に、今度は賢治が目線を泳がせる番だった。


「?」


 当然、事情を知らない夢莉はキョトンとしている。


「実は――」


 賢治曰く、その試験では色々な事をしたらしいが、今ではもうほとんど思い出せないらしい。

 そんな思い出すことも出来ないくらい必死で、終わった時には放心状態だったとか。


「そんなに……ですか」

「はい。当時の私はとりあえず、出された課題をただただ必死にこなす事だけを考えていました」


 しかし、この試験では「課題のクリアが合格ではない」となっていたため、賢治自身は「落ちただろう」と思っていたらしい。


「とにもかくにも必死で、それこそ試験終了と言われるまで『今が試験中だ』って事すら忘れていたほどでしたので」


 そう言って賢治は当時を振り返って話をしていたが、試験の結果はどういうワケか受かった。


「それなら良かったじゃないですか」

「ええ。受かった時は素直に嬉しかったのですが、両親としては『記念受験』のつもりで私を送り出しています。ですので、果たして就職する事を許してくれるかどうかというところが少し心配でした」


 しかしそんな賢治の気持ちとは裏腹に、ご両親も喜んでくれたらしい。


「両親は自分の好きなようにすればいいと言ってくれたので、私はその両親の言葉に甘えてそのままそこに就職しました」


 元々、賢治は家の事情もあって大学に進学するつもりはなかったらしく、その探偵事務所に受かったのはちょうど進路を決めるタイミングだった。


「その探偵事務所は業界の中でもかなり大手だったようです」


 ただ、賢治としては『探偵の業界の話』にはほとんど興味がないらしく、サラッと流した。


「しかし、しばらくして母さんも父さんも亡くなってしまいました」

「……」

「その事もあり、私は妹の高校進学を機に独立しようと考え、その事務所を辞めました」

「……なるほど」


 こうして賢治はフリーの探偵事務所を始めたのだが、やはり最初はそう簡単に上手くはいかなった。


「いくら業界では知らない人はいない大きな事務所出身とは言え、簡単に上手くいくとは思っていません。それこそ探偵をしながらアルバイトもしていました」


 そもそも、テレビドラマやアニメに出てくるような「難事件解決する」という事だけが探偵の仕事という訳ではなく、実際は昔も何度かしていた「迷子の猫探し」や「浮気調査」といった地味……ではなく、地道な積み重ねがモノをいう仕事の方が多いらしい。


「たまにアルバイト先の人から依頼を受ける事もありましたし、何がきっかけになるか分かりませんから」


 賢治の話を聞く限り、その生活は決して「裕福と言われる様なモノではなかった様だ。


「それでもあの頃は、毎日が本当にとても楽しかったです。毎日朝食を作って、お弁当を作って、なかなか起きてこない妹を起こしに行って……」


 そんな何気ない生活がただただ楽しかった、と言っている賢治の表情は、とても穏やかだ。


「そうですか。あの、それで妹さんはどうして……?」

「……そうですね。まだ、その事について話していませんでしたね」


「……」

「……」


 賢治のこの少しの沈黙は多分、夢莉にどう話そうか考えているからだろう。


「――あの日」


 そして、賢治は意を決した様に『探偵を辞めようと思った事件』について話し始めた。

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