出向


「……」


 賢治の話を聞いた夢莉は、言葉を失った。そして、夢莉もその事件は知っていた。


「確かに『登下校時に不審者が出ている』という話は聞いていました。そして、その情報は学校で妹も知っていたはずです。それに、学校側からのメールで何度か私の元に届いていた」


 でも、まさか帰宅中で友人と別れて家まで帰る途中のものの数分でその事件に巻き込まれるとは妹も多分、思いもしなかったのだろう。


「なんでもっと早く連絡してやらなかったのだろうと、霊安室で対面した妹の姿を見て、自分を恥じました」


 確かに賢治はあの時、帰って来るのが遅い妹を不思議に思い、なおかつ心配もしていたはずだ。

 しかし、本当に心配していたのであれば迎えに行くなどの行動をする……いや、するべきだった。


 もっと早い段階で連絡するべきだった、嫌われる事なんて気にせず。


「後悔しても後悔しきれない。結局、私は……妹に嫌われたくないという自分の気持ちを優先したんです」

「…………」


 発見当初、妹は心肺停止の状態ですぐに病院で手術を受け、その後集中治療室へと運ばれた。

 しかし、医者からは「意識が戻るか正直……」と苦い顔で言われた。

 その時の医者の表情から「助かる確率は極めて低い」という事はすぐに分かった。


 それでも、医者がそんな曖昧な表現をしたのは、賢治を気遣っての事だったのだろう。


「妹の式をする前に私は、すぐに事件の犯人を必死に探しました」


 当時、テレビでも新聞でも大きな話題になった。

 その際、メディアでは好き勝手に言われたり書かれたりしたが、そんな事はどうでもよかった。

 そんな事をいちいち気にしているほど暇ではない、それよりも一刻も早く犯人を捕まえる。


 ――それを妹も望んでいると、この時の私は信じて疑っていなかった。


 発見時の様子や、妹が持っていたモノなどあらゆる面から事件を見て、必死に犯人を捜した。

 状況が分かるたびに自責の念に駆られたが、後悔している暇はなかった。


「そして、見つけたのですね」

「……はい」


 夢莉の言う通り、確かに犯人は見つかった。

 それも、こちらが拍子抜けしてしまう程、案外簡単に見つかったが、その犯人が妹と同い年の少年だったという事実を前に、賢治はさらに力が抜けてしまった事を覚えている。


 こうして犯人が逮捕された後――。


 賢治は妹の通夜などを行い、その後家に帰って、その時にようやく「一人になった」という実感が湧いた。

 しかし、この「一人になった」という事実を実感したことによって、その事実が賢治に重くのしかかった。


 そして、それと同時に今まではがむしゃらに「とにかく事件を解決しないと」とか、それこそ「妹の仇を取らないと」という気持ちだけで突っ走っていたのだと悟った。

 ただ、こうしてがむしゃらに事件解決に奔走して「犯人を逮捕した」という結果を得ても、その結果残ったのが「一人になった」という『事実』だけ。


「そして思ったんです。私に探偵はもう無理だと」

「…………」


 多分、これから先も今までの様に仕事を続けたとしても、この事実だけが賢治の前にあって、この『一人』という何とも言えない虚無感はなくならないだろうと感じた。


 そんな事を思ってしまうくらい、自分以外の家族を全員を亡くしたという事実がいつも朝に目が覚めると襲ってくるのだ。


「そして、今は探偵を引退し、ここでマスターをしているという訳です」

「えと、では、なぜ喫茶店のマスターを?」


 夢莉の指摘はごもっともである。


 それこそ、今までやってきた探偵の仕事と今の喫茶店のマスターは何も接点がないように見えるだろう。

 でもまぁ、住む場所や喫茶店を開いた場所を事件後に変えた理由は、今の話した中でなんとなく分かってくれたはずだ。


 今もその当時住んでいた場所にいると、色々な事を思い出してしまって辛くなってしまうという事を――。


 しかし、どうやら賢治の話は先ほどの会話で大体分かってくれただろう。

 ただそれだけでは「なぜ喫茶店のマスターをしているのか……」という理由までは、さすがに伝わらなかったみたいだ。


「実は昔、両親の話を偶然聞いたんです。もし、母さんの病気が治ったら小さなお店で喫茶店を開きたいね……と」

「それで、そのご両親の願いを叶えられたのですね」


 その事を伝えると、夢莉は「素敵です」と言わんばかりの笑顔を見せた。


「でも、私としては。結局、これで良かったのかと思います。両親は『家族で』と思っていたと思いますし」


 賢治の全ての事情を知っている人はそう多くはない。


 しかし、夢莉は今の話を『美談』の様に受け取ってくれたようだ。ただ、人によっては受け取り方が違っていただろうと賢治は思った。


「あの。もう、探偵をするつもりはないのですか?」

「……そうですね」


 時間が経った今、夢莉は賢治が探偵職に未練があると思ったかもしれない。だが、賢治としてはそんな簡単に戻るつもりはない。


 ――それに、もうあんな思いはしたくない。


 だからこそ、ここ最近の多発している事件にも「どうか自分や周りの人に何も起きませんように」と願っていたというのに……。


「どうしてでしょう。どうして今になってこの付近で事件が起きているのでしょうか」


 下を向き、夢莉の「探偵はしないのですか?」という言葉に否定しながらも、賢治は今起きている現状にとても混乱している。

 どうして今、色々な事件が起きているのだろうか。

 そして、ついに今回は夢莉が怪我をしてしまった。その事実が賢治の思考をさらに混乱させている。


「……おや?」

「?」


 そんな事を考えている時、突然お店の扉が開く音がした。


「あっ、すみません。お店の方はもう……」


 夢莉さんの対応は普通であればそうするだろう。

 もうお店は閉店して今は後片付けの最中だ。それに、外の電気と看板を見れば普通は入って来る事すらないはずなのだが。


「こんばんは。こういったモノですが……」

「……」


 そう言って現れた人物は、不思議そうにしている賢治と夢莉の目の前で『警察手帳』を開いて見せた。


◆  ◆  ◆  ◆  ◆


「どうぞ」


 刑事と思われるその人は「どうも」と軽く会釈をして、出された珈琲にミルクと砂糖を入れてかき混ぜた。

 ただ、わざわざカウンター席ではなく、テーブル席で賢治と対面するか形で座っているのには何かしら理由でもあるのだろうか。


「えと、じゃあ私は片付けの続きを」


 この流れている雰囲気から夢莉は「さすがに今から始まる会話を私が聞かない方がいいだろう」と思い、その場を離れようとしたのだが……。


「いえ、あなたも座ってください」

「えっ」


 賢治にそう言われ、思わずチラッと刑事さんの方に視線を移したが、なぜか逸らされてしまった。


「そうですね、今回の事件に限らず、あなたは様々な災難に見舞われたと聞いています。ひったくりに傷害事件」


 すると、刑事は一口飲んだ珈琲カップを戻しながら、突然小さくそう呟いた。


「正直、警察としてもそれらが全て渦中に上がっている犯罪グループかどうかは分かりません」

「えと、それでどうして私が?」

「――ですが、それらの出来事を踏まえても、あなたもこのお話……と言いますか『提案』をお聞きいただく必要がします。ですので、お座りください」

「はっ、はぁ。それならおっ、お邪魔します」

「はい、お隣。どうぞ」


 そう言って、賢治に開けてもらえた場所に「ありがとうございます」と言いながら、夢莉は座った。


「…………」


 しかし、賢治の少し困った様な笑っているなんとも表現のしづらい表情をしている。

 そして、今も涼しい顔をして珈琲を飲んでいるが、先ほどの発言を思い返すと、この刑事はどうやらちょっとお堅い人……の様だ。


「まさか、あなたが来られるとは思いませんでした」

「あの時の俺は出向していたんですよ。元々はここの出身で、出向先からただ戻って来ただけなんです」

「…………」


 そもそも夢莉にはこの『出向しゅっこう』の言葉の意味が分からなかったが、会話の流れからなんとなく「二人が出会ったのは、ここでは場所ない」という事だけは分かった。


「なるほど、そうですか。私はてっきり」

「なんですか?」

「いえ、なんでもありませんよ?」

「…………」


 賢治は何か言いたそうだが、刑事も特に追及するつもりはないらしく、そのまま誤魔化した。


 そんな対応をされた刑事はかなりいぶかしげな顔をしているけど。


「そっ、それで提案とは一体?」

「そうでしたね。一体どういったご用件でしょう?」


 話を変えるつもりで言ったつもりだったが、なぜか賢治も夢莉の言葉にのってきた。

 これには少し驚いた。

 しかし、賢治はどうやら昔の知り合いに会って、少しテンションが上げっているらしい。


「はぁ、わざわざ言わなくても何となく察しは付いているんじゃないですか?」

「まぁ、大体は……」

「じゃあ言わなくてもいいと思いませんか?」

「私は分かっていても、夢莉さんが……」


 チラッと賢治は夢莉の方に視線を向けた。


「えと、私は刑事さんが何やら『提案』をしにここに来て。その『提案』の話をしているはずなのに、なぜか賢治さんはその『提案の内容』が分かっている……という事くらいは」


 かなり断片的ではあるものの、とりあえず現状分かっている事をそのまま言った。


「はい、それで大体合っていますよ。ただ、夢莉さんはその『提案の内容』までは分かっていない様に思えたものですから」

「……」


 賢治は「だけ」と言っているが、それが一番大事な部分だと思う。


「ただ、私はその『提案』にはのりませんが……」

「なっ!」

「え? どっ、どうしてですか?」


 ただ、その一言にはかなり驚いた。


「わざわざ来ていただいて申し訳ありませんが、お断りします」

「…………」


 そう言って賢治は小さく笑っているが、どうして『提案』を断るのだろうか。


我妻わがつまじゅん警部補。あなたがここに来た理由は、私にこの一連の事件を早期解決の手伝いを欲しい……と、あなたの上司の方に頼まれて来たのですよね?」


 賢治はしっかりと、そしてはっきりとした口調で刑事に向けてそう言った。


「たっ、確かに俺は『提案』としか言っていない。それなのになぜ『頼まれた』と思われたのですか? 参考までにお聞かせください」

「……」


 そう、刑事は最初に「何かを提案しに来た」としか言ってはおらず「誰に頼まれた」なんて言い方はしていなかったはずだ。


「それは、あなたの性格を考えてとでも言いましょうか。あなたはあまり人に頼る事をしない、人に頼る事を『弱い』と思っている節があります」

「……」

「たとえ、私の事を知っていたとしても、話にすら出さないはずです。ですが、上司の命令ならば、あなたの性格上それを背く様な事はしないと判断したまでです」

「今の俺を見て、その結論に至ったという事ですか?」

「今のあなたは『夢莉さんをここに一緒に話を聞いてもいい』と言いました。その辺り、あまりにも頑固すぎたあなたの性格は昔と比べると多少、柔軟になっている様に感じます」

「…………」


 今はという事は、昔はもっと頑固だったという事だろうか。それを考えると、昔はさぞ大変だっただろう。


「でも、まだまだ固いですね。もっと柔軟に物事をとらえてもいいと思います」


 そう言って賢治が微笑むと、刑事……いや、純は「そうか、バレていたか」と小さく呟き、下を向いた。

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