接客


 ――次の日。


「制服のサイズは大丈夫でしたか?」

「あ、はい。大丈夫です」


 早速、このお店の『制服』に身を包んだ夢莉は、賢治と共に店内でお客様を待っていた。

 今日の午後には賢治さんと共に昨日の件で警察に行く事になっているため、お店はお昼過ぎまでである。


「ところで夢莉さん、接客の方は……」

「あっ、大丈夫です。多分……」


「そうですか」

「はい。アルバイトでの接客経験もあります」

「なるほど、それでしたら」

「でも、飲食店のアルバイトはしてきましたが、こういった『レトロな喫茶店』の接客は初めてなので」


 客層の違いなどが少し心配なところはある。


「ふふ、大丈夫ですよ。接客という点ではほとんど変わりませんから」

「そうですか? それなら」


 そう言われると少し安心する。何事も『初めて』というのは緊張するモノだ。たとえその経験が多少なりともあったとしても、初めて働くお店はやはり緊張する。


「あっ」


 そうこうしている内に、扉に付いているベルが鳴り、このお店に来て初めてのお客様が来店した――。


「いっ、いらっしゃいませ」

 あまりの緊張から、思わず声が上ずってしまった。

「…………」


 入ってきたお客様はパッと見た感じだと四十代くらいの男性で、開店したと同時に来たところを見ると『仕事前の一杯の珈琲』というヤツだろうか。


「おや、君は初めて見る顔だね」


 しかし、この言葉を聞いた瞬間。

 私は「あっ、この方は常連のお客様だ」と感じた。そうでなければ「初めて見る顔」という言葉は出てこないだろう。


「はい。今日から働いてもらうことになった方です」

「へぇ、ここまで若い子がここで働くのは初めてだね」

「よっ、よろしくお願い致します」

「うん、こちらこそよろしく」


 そのお客様とのやり取りは普通だったと思うが、賢治にとってはなぜか面白かったらしく、下を向いて少し笑っている様に見える。


「僕も最近ここに来ているけど、本当にここの珈琲は美味しい。色々なお店を行ったけどここが一番だ」

「ありがとうございます。そう言っていただけて」


 賢治は素直に嬉しそうな表情をしていたけど、すぐに少し困ったような表情になった。


「賢治さん? どうかされましたか?」

「いえ、その言葉は確かに嬉しいのですが、まさか。引っ越しまでされるとは思っていなかったので、それを思い出してしまいまして」

「えっ」


 確かに、どこに引っ越そうがその人の勝手である。

 それに対して私や賢治さんがどうこう言うべきではない……ないけれども、やはり驚きが隠せなかった……とその引っ越しの話を聞いた賢治に夢莉はちょっと同情していた。


「それくらい気に入ったんだ。ここの珈琲が。それじゃあマスター。アメリカンを一つ」

「ふふ、かしこまりました」


 賢治は小さく笑って、早速珈琲の豆を取り出した。ここでは、注文が入ってから豆を挽き、珈琲を入れる。

 注文が入ってから豆を挽き始めてると、時間がかかってしまう。でも、それが逆にいいというワケだ。


「さて、と」


 それに、珈琲を入れている間に新聞などを読む時間がある。その時間が心に余裕を作るらしい……と夢莉は珈琲を待っている男性を見ながら感じていた。


◆  ◆  ◆  ◆  ◆


 ――そうして、あっという間に夢莉がこの喫茶店で働き始めて一週間が過ぎた頃。


「おー、夢莉ゆうりちゃーん。今日も来ちゃったよ」

「いつも御贔屓ごひいきにありがとうございます」


 その頃にはもうおかげ様で常連のお客の顔も覚え、元々の経験のおかげもあってかこの仕事場にもだいぶ慣れていた。


「そういえば、聞いたかい? ここら辺でまた出たんだってよ」

「またか。ここ最近、多いなぁ」

「本当にここら辺も物騒になったねぇ」

「そうなんだよ」


 男性は席に着くなり近くにいた常連客と何やら話し始めた。どの人たちも還暦を過ぎた方ばかりである。

 ――そして、ここ最近はこの『ネタ』が話題の中心だ。

 お冷やを持って行った常連客が集まっているテーブルでも、話題は『そのネタ』ばかりである。


「…………」


 ――仕方のない話だとは思う。


 決して『都会』とは言えないこの土地で、そもそも『事件』や『事故』が起きるだけ珍しい。

 そもそも夢莉が『ひったくり』に遭ったり、助けたりしたのはここでは本当に珍しい事だったワケだ。


「今回は部活帰りの女子高生だってよ」

「今のところ死者はいないらしいが……」

「でも、かなり傷が深いんだろ? 可哀想に」


 いつも大体、平日のお昼過ぎ三、四人ほどで待ち合わせをして、ここで珈琲を飲みながら夕方近くまで話し込む……。

 しかも、ちょうどこの時間帯は大体このお客様たちしかいない。


「ちょっと前にもそういった話はあったけどさ」

「おいおい、それって五年ほど前の話だろ。それってちょっとか?」

「いやいや、俺たち《年寄り》にとって『五年』はちょっとだろ。しかも、それはここじゃなくてちょっと離れた場所だったろ」

「それでもあの頃は『若い子が夜に外を出歩かないように』とか言われていただろ。あの場所に限らず」

「それは今もじゃないか?」

「…………」

「おっ? 夢莉ちゃんも興味があるのかい?」

「あっ、いえ……そういう意味では」


 決して『野次馬心やじうまごころ』があったワケではない。

 ただ、今の話と似たことが過去にもあったなんて話を聞いてしまったら、やっぱりちょっとは気になる。


「別にいいじゃないか、君も若い女性だし気を付けなくちゃいけないのは本当だろ?」

「それは、そうですが」

「ワシらも夢莉ちゃんに何かあったらと思うと気が気じゃないねぇ」

「いえ、そんな」

「もし、何かあったらすぐにマスターに言うんだよ?」

「えっ、マスターに……賢治さんにですか?」


 夢莉は一人の常連客が言った言葉に驚いた。

 確かに、何か気になった事があれば身近な人に言うのは当然だとは思う。

 でも、なぜ事件や事故に巻き込まれた時も賢治に言う必要があるのか……それが分からない。


「いや何。その頃に起きていた『通り魔事件』を解決したのがここのマスターである朝日奈さんだからねぇ」

「……そうだったんですか?」

「ああ、そうだったねぇ」

「そうそう」


 ――事件を解決した。


 そう言われると「すごい事をした人」と思う。

 でも、かなり失礼だとは思うけど、夢莉が賢治を見た限り、そんなすごい人という感じがしない。

 とりあえず、犯人を見かけたら暖簾で叩くという事は知っていたけど。


「…………」


 しかも、常連さんに「事件を解決した」と言われた事に対し、何も言わず無言のまま仕事に没頭しているという、そんな賢治の姿が夢莉は気になって仕方がなかった。

 その様子はまるで、その「事件を解決した」という事自体、耳にも入れたくない……そんな風に見えたから。

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