来店


「すみません。少し細い道を入る事になるのですが」

「あ、いえ」


 そう言う賢治のお店は、細い道を通った路地裏にあるらしい。


「その大丈夫で……。うぅ、すみません」

「ふふ。よっぽどお腹が空いているのですね」


 なんて賢治は笑ってくれたが、一応『人前』ということもあって夢莉は赤面が止まらない。


「すみません」

「大丈夫ですよ。それに、ここら辺は居酒屋が多いですし、いい匂いがしていればそうなっても仕方のない話ですよ」


 言われてみれば、もうすぐ日付が変わる時間帯なのにも関わらず、路地裏のお店からはお酒が入っているからなのか、結構大きな声で話しをしている声が至る所から聞こえる。


「あの、あなたのお店というのは居酒屋ですか?」

「いえいえ、違います」

「そっ、そうですか」

「何か問題でも?」


 この様な聞き方をしてしまえば、こう聞かれても無理もない話。でも、この路地裏に入って目につくのはどこも居酒屋ばかりだ。


「一応、私のお店にも酒は置いてあります。ですが、居酒屋……という程お酒に重点は置いておりませんのでご安心下さい」


 そう言いつつ賢治は細い道を進んで行く――。


「さて、ここです」

「こっ、ここ……ですか?」

「はい。ここです」

「…………」


 そして、賢治が立ち止まったのは『レトロ』という言葉が似合いそうな古い洋風の外装をした小さな建物だった――。


◆  ◆  ◆  ◆  ◆


「こちらで少しお待ちください」


 賢治は、夢莉を招き入れる前に「少し明かりを点け行きますので」と制し、扉の前で待たせた。


「お待たせいたしました。どうぞこちらへ」


 ものの一分も経たずに開けてくれた扉の先には、ランプの光の様なオレンジっぽい淡い光が広がっている。


「おっ、お邪魔しまーす」


 おそるおそる……といった様子で、夢莉はお店に入った。


 実は、こうしたお店には普段あまり馴染みがなかった。夢莉の気持ちとしては「入ってみたい」と思う事はあっても、この独特な雰囲気が思わず及び腰にさせてしまうみたいだ。


「ふふ。あまりお気になさらないでください」

「あ……いっ、いや。あの、すみません」


 先ほどから向けられているのは営業スマイルだとは思う。

 でも、やはりこういう時に笑顔で接してくれると気持ち的に楽に……いや、穏やかになる。


 ――それでも、やっぱり落ち着かない。


「では、こちらの席をお使いください」

「あっ、はい」


 辺りを見渡し、落ち着かない様子でなかなか席につかない夢莉を見かねて、賢治は目の前のカウンター席に座るよう促した。


「しっ、失礼しまーす」


 そう言って座ると、目の前にいる賢治の後ろにグラスが綺麗に並べられているのが目についた。

 横には何やら外国語で書かれたラベルの付いた『お酒のボトル』が並んでいる。

 夢莉はあまりお酒に詳しい方ではないが、多分普段目にしている缶のモノとは確実に違うのだろう。


「あの、さっきはお酒に重点を置いていないって言っていましたけど、ここって夜はバーになるのですか?」

「いえ。ここはバーという訳ではありません。少しのお酒を提供してはおりますが」

「そっ、そうなんですか」

「ええ、ここはどちらかというと『お昼』をメインに営業しておりますので、言うなら一応、喫茶店……ですかね」


 そう言うと、賢治は慣れた手つきで先程買ってきたモノが入っている袋から野菜を取り出し、冷蔵庫や野菜置き場の様な場所に整理し始めた。


 でも「普通の喫茶店と呼ばれる様な場所にカウンター席はなかったと思うけど……」と心で思いつつ夢莉は「私の記憶違いだったかも知れない」と思い直した。

 一通り辺りを見渡し終えると、ふと近くにメニューのらしきモノが目についた。


「……」


 それを手に取りパラパラめくりながら賢治を様子見……という感じでチラッと見た。

 どうやら賢治は夢莉の視線には気がついていないのか、そのまま作業を進めている。


 ちなみに、先ほど賢治に弁慶の泣き所を思いっきり叩かれた犯人は「未成年で今回人の物を奪った事自体が初めてで、夢莉がひったくりの被害にあった時は学校に行っていた……」と供述していると帰り際に警察の人から説明された。


 それはつまり「夢莉のカバンをひったくった犯人ではない」という事を意味している。

 でも、それは何となく分かっていたから、夢莉は特に残念という事を思うもなかった。


「……」


 それにしても、ひったくりという事件の中で出会ったという事もあり、賢治を見るタイミングがなかった。

 ただこうして改めて見ると、結構カッコいい見た目をしている。

 人それぞれ「イケメン」か「ハンサム」か迷うところだけど、かなり広い範囲で「かっこいい」と言われる見た目をしている様に思う。


「あっ」


 そんな事を考えている途中で、ふと夢莉はある「メニュー」に目を止め、凝視した。


「何か食べたいモノでもありましたか?」

「あっ、えと!」

「何でもおしゃって下さい。大体のモノは出来るはずですので」

「あっ、ありがたい話なんですけど、あの……実は、お金が……」


 あまりにも空腹で賢治の誘われるがままここまで来てしまった。だけど、ここはやはりキチンと事情を説明しないといけない……と、夢莉はそう切り出した。


「ああ、大丈夫ですよ」

「えっ?」

「すみません。さっき警察のかたに説明していたのを盗み聞きしてしまって」

「あっ、いえ」


 賢治は申し訳なさそうな顔をしていたけど、そもそもの話。夢莉がお金を持っていない事が問題なのだ。


「ですから、どうぞお気になさらずお好きなモノを」


 夢莉はその親切心に感謝とお言葉に甘えて……メニューを見た時から目について気になっていた『ナポリタン』を頼んで見ることにした。

 すると、賢治は小さく頷きながら「かしこまりました」と言い、さっそく準備に取りかかった。

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