好物


「…………」


 夢莉がこのお店に招かれた時には多分、営業時間はすでに終了していた事は、調理工程には何も滞りなくスムーズに行いつつ、ジーパンを履いているところを見てそう感じていた。


「大変お待たせ致しました」

「あっ、ありがとうございます」


 目の前に置かれた『ナポリタン』は、出来たての象徴ともいえる湯気がたっており、キレイなオレンジ色をしている。


「すみません。いつもであれば『ナポリタン』の前にサラダも出しているのですが」

「気にしないでください。突然お邪魔してしまったのは私ですから」

「すみません」

「いえいえ」


 お互いがお互い謝罪をし続け、一向に話が進みそうにない事は謝罪をしながらお互い感じていた。


「ふふ」

「??」

「このままでは謝罪をお互いするだけで、せっかくの『ナポリタン』が冷めてしまいますね」

「あっ」

「とりあえず今は、ゆっくりお召し上がりください」

「そっ、そうですね」


 そう言われてもう一度見た『ナポリタン』は、よく写真などで見たことのあるモノだ。

 でも、この分かりきっている見た目の感じがいい。

 そんな「今まで見たことがない!」とか「新感覚!」とか奇抜な見た目とか新しいでなくていいのだ。

 確かに新しいさというのは必要だとは思うけど、こうして「変わらないモノ」があってもいい。


「はぁ」


 そして、この鼻をくすぐるトマトケチャップの香りがまたいい。少し焦げたような匂いも食欲をそそる。

 もちろんアルデンテにゆであげられたパスタも、ケチャップにからめられたパスタにウインナー。野菜は炒められた玉ねぎに彩りとして輪切りにされたピーマンもいい。


「…………」


 小さい頃、周りの子供たちは好きな食べ物としてあげているのは大概がカレーライスとかハンバーグと言っている中、夢莉は『ナポリタン』とかたくなに言っていたらしい。

 ただ、夢莉は未だになぜあの頃そこまで『ナポリタン』が好きだったのか、全然覚えていない。

 多分「最初に食べた時の相当衝撃的だったのだろう……」とは思うけど。


 でも、ここ最近は母が作った『ナポリタン』を食べる事が出来なくなった。

 それでも食べたくなり自分で作った事もあったけど、正直食べてみてもここまでの感動もなかった。

 決して美味しくなかった……というワケではなかったと思う。


 ――だけど、夢莉の中で決定的に『何かが足りない』と思った。


 それ以降しばらく自分で作る事もなく、どこかで食べようにもそれを食べるためのお金もそこまで余裕がない……という色々な要因が重なり、食べていなかった。


 ただせっかくこういう機会なのだからこそ、久しぶりに食べてみたくなった。


「……はっ!」


 ここにきてあまりにもあつい眼差しを向けておきながら、何もせず手をつけていない。

 しかし、湯気が止まっていないところを見ると、まだ暖かいようだ。


「思わず見とれてしまうほど、ナポリタンがお好きなんですね」

「あっ、えっと。ひっ、久しぶりで……その、つい」

「そうですか」

「はい。昔はよく食べたのですが」


 あまりに優しい賢治の微笑みに、ついさっきまで「出来上がったナポリタンを前に見つめて微動だにしない」という自分の行動に、夢莉は少し……いや、かなり照れた。


「…………」


 なんて事を思っていると、賢治は「よろしければこちらをお使いください」とカトラリーケースをナポリタンの隣に置いた。


「あっ、ありがとうございます」


 のぞき込むと、カトラリーケースの中には当然フォークもあったが、なぜか『スプーン』も入っている。

 多分、これは元々暇な時にストックを作っていて、常備フォークもスプーンも入った状態で準備されているだけで、必ずしも全てを使わなければいけないモノではないはずだ。


「…………」


 そういえば、前にスプーンを使ってお上品に食べている人を見た事がある。

 確かに、そうすればソースが跳ねる事もないし、その時に見た女性の姿が可憐に見えたから一度だけ使おうと試みた事もあったけど……。

 夢莉にはどうにも向かないらしく、何となくやり方を真似しようとしたものの、どうしていいか分からず結局その時は普通にフォークだけ使って食べた。


「わっ、わざわざすみません。じゃっ、じゃあ。早速、いただきます」

「はい、どうぞ」


 賢治の一言が、まるで母親に言われているように感じてしまい、夢莉はすこし気恥ずかしさを感じた。

 でも、そんな事を考えていた事を隠すようは急いで両手を合わせて、目の前で美味しそうな湯気がたっている『ナポリタン』を口へと運んだ。

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