第10話

 そんなようなことを悶々と考えながらシャワーを浴び、着替え、落ち着いた時点で時刻は14時になっていた。カシミヤからも今日は行動しないことを進められた。だが、サムライが追ってきている。いまはこうして隠れられているとはいえ、それについて対策を練るべきだ。

 タヌキがそういうと、カシミヤはこともなげにとんでもないことを言い放った。

『あー、アイツね。うん。アイツの周りに遅延素子をばら撒いたから、あと18時間はあの場所から動けないと思うよ』

「は?なんだよそれ。どういうことだ」

『つまり、あのサムライは地形情報とか人間の相互視覚認識システムとか情報をネット上からかき集めて、それを適切に処理することで標的を効率的に追いかけてきたんだよ』

 タヌキの質問にカシミヤは答えた。だが、よくわからない。

「相互視覚…なんだって?」

『相互視覚認識システム。複数の人間がコンタクト使ってると互いに現実の世界が見にくくなるでしょう。それでぶつかったりとかそういうトラブルを防ぐために、コンタクト端末は互いのコンタクト領域をシステムが把握して、視界に障害物…例えば警官の形したAIが飛び出すとかそういうのを出現させるんだよ』

「うん」

『だから、これの情報を取得できると「いつどこで誰が誰を見たか」がわかるんだよ。常人じゃ特定の一個人を追いかけられるほど大量に情報を取得処理できないんだけど、つまりあのサムライは常人じゃないってこと』

(そんなことが出来るヤツがいるのか。それは、めちゃくちゃじゃねえか…)

 体はもう動けるようになっていた。睡眠と食事の重要性を痛感しながら、タヌキは装備を整え、地上にあがった。追手が動けないのなら、動けるうちに距離を稼いでおきたかった。

『君も物好きだねえ。そんなボロボロなのに』

『マスターがそれを言わないでください!まったく、いつもいつも怪我して帰ってくるんだから!まったくもう!』

 呆れたようなカシミヤの声とアヤノの悲鳴が聞こえてきた。午後の太陽は、薄い雲に覆われて鈍く光っていた。


 タヌキはバックパックのほかに食糧を詰め込んだボストンバッグも抱えていた。カシミヤは「次に拠点があるのはいつかなぁ。最短で7日後…かも」という発言から、なるべく持てるだけの準備はしておこうというタヌキの慎重さが現れている。日の傾きはじめたトーキョーの空は澄んでいる。時折吹く風は乾いており、タヌキの頬を撫でた。左腕は腕甲ごとぐるぐると包帯で巻き、治療促進の薬剤を何種類か飲んだ。もう数日で完治するだろう。

 建物はかなり少ない。”東京戦争”の戦場からは離れており、もともと壊れた建物は少ない地域だが、根本的に人の数も少ない。ただただ数十年放置されただけの住居や商業施設が点在し、限界を迎えた物は自壊し、そうでない物も自然に飲み込まれていく。人が森を歩けば道が出来るが、森は人が歩かなくなれば道どころか村をも飲みこむ。タヌキが歩くのは山を越えていく道路のなかでも大きな1本だが、両脇は藪であり人の手は入っておらず荒れている。藪の中には人間が生活した痕跡が残っているかもしれないが、それを確認する気はタヌキには一切なかった。

(視界が悪い)

 トーキョーから西に抜ける、現在のもっとも主要なルートはハチオウジの街の中央部から北・南・西へと直線的に繋がる地下トンネルである。電車やバスが通っており、日本海側に出る地上最短ルートでもある。人々はそこを通行料を払って通りぬけるため、こういった地上ルートは放置されている。逆に言えば、人の目が極めて少なく、タヌキのように不都合を抱えた人間が出入りするのにはよく使われる。

(あー…)

 そのため、こうして山賊の類に遭遇することは想定しておかねばならないのだ。

「今日はもう帰ろうかと思ったんだが、ギリギリ閉店に間に合ったぜ、お嬢さん」

 ククク、と下卑た笑いを浮かべる、爬虫類顔の男が道を塞ぐように立った。

「俺はスマートだからな、ふたつの道を提示してやる。ひとつは通行料を払い、お互い笑顔で別れる道。もうひとつは、ここで身ぐるみを剥がされて全財産を俺に捧げる道。俺としてはどっちでもいいというより、お前みたいなちんちくりんでも全財産を手に入れて、なんならお前も売ればまぁそこそこのカネにはなるだろうから後者の方がいい」

(べらべらとよく喋る男だ)

 タヌキはコートの下で右手を右腰側に吊り直しておいたイタチに伸ばした。しかしそれを気取られぬよう、口では会話する。

「ふーん。おじさん、いつからこんなことしてんの?」

「あ?10年くらいじゃねえか?結構儲かるんだぜ、ここ」

 また笑いながら男は言った。片時も視線がタヌキから離れない。正直、恐怖よりも生理的嫌悪感の方が勝る。タヌキは男を観察した。

(武器は…右腰の銃。あと左手の棒…だけか…?)

 他の武器は見られない。山賊をやるにしても、すこし不用心な気がした。

『気を付けて、なんかおかしい』

 アヤノがイヤーギアから話しかけてくる。妙に切迫した声だった。だが、タヌキの見る限りおかしなところはない。周囲に罠が張られている形跡も見つけられない。そのアヤノの声にタヌキは寧ろ緊張してしまった。体がこわばる。自然体でなくなった勝負ほど分が悪いものはない。

 

 背後から異様な気配。

 瞬間、タヌキは凍りついた。

 右手は拳銃を抜くのもやめていた。

 爬虫類顔の男は、気持ちの悪い笑顔でタヌキに歩み寄る。

 振り上げられた左手の棒は相手を昏倒させるためのものか。電流が流れるようだった。

 タヌキは動かない。

 生ぬるい風が2人の間を駆け抜ける。


 足音。そして、人間が倒れる音。


 どさり、とモノのように爬虫類顔の男は倒れた。首から先だけが地面に崩れ落ちている。頭部はいまだ上昇を続け、やがて落下した。

 血だまりの中に潰れた男と、刀を振りぬいたサムライ。

 タヌキの視界には乱入してきたメッセージが浮かんでいる。


「私を負かした小僧に、私の剣の神髄を見せてやろう」


「しっかりと目に焼き付けたぜ。見えなかったけどな」

 タヌキはニヤリと笑いながら言った。サムライは振り向かなかった。納刀し、そして踵を返した。

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