第6話
サカベがジープを止めたのはハチオウジの東端付近だった。『タル・タラ』の勢力圏のギリギリまで接近したが、これ以上は進めない、と深刻な顔をして言われた。
「お前の荷物は俺たちの班が回収してあとで送ってやるよ。部屋はそのまま置いとくから、いつか戻れると良いな。あと、近接戦闘は避けろよ」
「うるせえ!」
ニヤニヤしながらサカベが言う。タヌキは噛みついたが、口元は笑っていた。
「じゃあな。ありがとよ」
ドアを閉め歩き出す。ジープはそのまま走り去った。なんの躊躇いも未練もない、あっさりした回頭にタヌキは(これが軍人か)などと考えていた。ひとまず手近な建物に侵入し。
カシミヤに貸されたバックパックには、食糧や弾薬、着替えといった遠征に必要な物品が詰め込まれている。それでもキョウトに辿りつくまでには足りないと思われた。そのタヌキの心中を察してか、イヤーギヤからカシミヤが話しかけてきた。
『二日か三日おきに補給ポイントがあるよ。その荷物じゃ必死で生き延びても五日が限界だと思う』
「わかった」
カシミヤはさらに続けた。
『私は付きっ切りでキミをオペレートし続けることが出来ないから、私の可愛い妹兼アシスタントを紹介しよう。さっきお茶を淹れてくれたね』
カシミヤがそう言ってから少し間があり、再びタヌキのイヤーギアに声が入ってきた。
『アヤノです。よろしくね』
黒髪の女性の姿を思い出しながらタヌキは返事をした。
「え、アンタが?大丈夫なのか?」
『あはは…正直ちょっと不安だけど、普段からマスター…カシミヤさんの補助してるから』
タヌキはそのセリフを聞き顔をこわばらせた。だが、詮無いことを言っていてもしかたない。
「わかった。よろしくたのむ」
『よろしくたのまれました。まずは『タル・タラ』に気付かれないようにここを突破しないといけないから、南に進みながら山中を越えよう。大変だと思うけど、がんばって!』
カシミヤの声は聞き入ってしまうカリスマ性があったが、アヤノの声は非常に安心感のあるものだった。抑揚が穏やかで、慌てた声が想像できない。タヌキはそれを羨ましいと思った。自分にはないものだと。
「了解した」
タヌキは建物から出た。視界に地図を出し、方角を確認しながら進んだ。ハチオウジは西側が山地になっており、その分北・南・東への警戒が非常に強い街になっている。『タル・タラ』は巨大勢力ではあるが、同時に敵の多い組織でもある。周辺で起こる異変や侵入者に対しては過剰ともいえる警戒が施されており、例えばコンタクト使用者が立ち入れば直ちに位置情報が街の警備AIに捕捉される。同時に、コンタクト非使用者が防衛領域に侵入した場合、カメラ内に映るその姿を警備AIが捕捉し、街中のカメラ映像を常に追尾する。捕捉された者は「通行料の徴収」を目的とした警備団の人間に声をかけられる。これは警備AIによるルート演算によって99%以上成功している。
つまり、その警備AIに見つかってはいけない。遠回りすればいいだけの話ではある。だが、南下すれば別の街の警備下に捉まる可能性が出てくる。適切なラインを見つけなければ後々面倒なことになるのは明白だ。
『もう500メートルくらい進めば警備AIの限界ラインを越えるはずだからそこから西に進もう』
『そのビルは外周警戒用のカメラとセンサーがついてるから気を付けて。近くを通ったほうが安全だよ』
『ストップ!30秒後にAIの子端末が巡回に来る!身を隠して』
当初の不安に反し、アヤノのオペレートは非常に明朗だった。慣れているというのは本当だった。タヌキがリアルタイムの世界を見ているとすれば、アヤノはそのさらに先の世界を見ているような、落ち着いたオペレートだった。
膝立ちで息を殺し、端末の巡回をかいくぐろうとしているタヌキの耳に、突然カシミヤの声が飛び込んできた。
『どうよタヌキちゃん、ウチのアヤノちゃんは優秀でしょ』
『ちょ、マスター!いまタヌキちゃんはそれどころじゃ――』
『え、そうなの?ごめんごめん』
タヌキがため息をつきそうになるころ、子端末は通り過ぎて行った。
「アンタら、ホントに姉妹か?」
かみ合わない二人にタヌキが呆れながらそんなことを言う。
『そうだよ』『違うよ』
という返事が同時に聞こえた。思わずタヌキは笑ってしまった。
ジープを降りてから4時間。身を隠しながら移動し、平地が終わろうとしていた。ハチオウジの西端。
廃墟の様子が変わった。
それまでは砕けた建物に絡みつく木々が目立っていたが、ここからはただ朽ちていく建物が多かった。つまり「自然に朽ちた」ということ。人間による破壊が及んでいない地域に差し掛かった。
1本の通りが山の麓まで伸びている。かつて2車線道路であったが、今はセンターラインが辛うじて判別できる程度になっている。建物はまばらで、平屋建ての商店や朽ちかけの集合住宅が並んでいる。
『この道をまっすぐでヤマナシに抜けられるよ』
アヤノのアナウンス。しばらく彼女のオペレートを聞いていて思ったことだが、どうやら常に地図とタヌキの現在地をモニタリングしているようだった。左にスラムに住む人々がたき火を囲んでいるのが見えた。右側はまだ建物が残っている。
「ところで、そろそろ野営したいんだが」
タヌキがぼやいた。日もとっぷり暮れた。月明かりがぼんやりと照らしている。非常に生ぬるい風がタヌキの頬を撫でた。
「!?」
視界の右隅に影がよぎった。何かが隠れるような動きに感じた。
(見つかった!?)
振り向いた先には何もいない。嫌な汗がこめかみから伝う。タヌキは左手でそろりと左腰のイタチを抜いた。初弾を装填する。
誰もいない。
『タヌキちゃん?』
アヤノの声がする。心配そうな声でわかる。
地図にも何も映っていない。タヌキ周辺をリアルタイムでマッピングしているであろう地図には。
「…」
コンタクトのARシステムを最小化する。クリアな視界と視力サポートでの索敵を試みる。暗視システムは視野が狭まるため使えない。眼球の動きでカバーする。
背後に違和感を覚えた。
咄嗟に振り返る。
一本道に立つ、不気味なヘルメットをかぶりマントをはためかせた「人型」。
「ッ!!!」
心臓を掴まれたような感覚。右足が無意識に一歩下がる。それでもなお、タヌキの左腕は銃を持ち上げた。
発砲。
弾丸は見当違いの方向に飛んで行った。それを合図にするように、人型はマントに隠れる左腰に右腕を突っ込むと、金属の擦れる音と共に一振りの刀を抜いた。黒い刀身は月明かりでも輪郭が浮かび上がらない。ヘルメットの「右目」に相当する部分にあるセンサーがタヌキを射抜くように見ている気がする。
後頭部部分から伸びるコードが流れる。タヌキに向かって突進する様は、まるで
タヌキはバックステップしながらイタチの引き金を引く。しかし当たらない。発砲の瞬間に踏み込む足が15㎝ずれる。タヌキの精密な頭部を狙った射撃が仇となり弾丸は空を切り裂いた。
「くそっ」
悪態を吐きながら右手で腰の短刀を引き抜く。受け止められるか。体格差は歴然。身長差は45㎝ほど。
気合のひとつもなく、無造作に振り下ろされた刀を受け止める。左腕を短刀の峰にあてがい、両腕でのガードだったが、サムライの斬撃は強烈だった。
呼吸が出来ない。肩に激痛が走る。関節を筋肉が支えていられない。そのまま右に跳んだ。サムライの振り下ろした刀の勢いに体を乗せて、一気に距離を取る。
サムライは刀を振り切ると、中段の構えで制止した。機械のように精密な残心。
『タヌキちゃん?大丈夫?タヌキちゃん?』
突然応答がなくなったタヌキを心配する声がイヤーギアから響く。返事をする余裕がない。自分のことで手いっぱいだ。
(カシミヤと戦ってからまだ半日と経ってねえんだぞ!無茶だ!逃げろ!)
不気味なヘルメットがこちらを見ている。逃がすまいとしている。目の位置には黒い
「うっ」
吹っ飛べればよかった。距離が取れる。だが、絶妙に力加減が調整されており、2歩よろめいただけに留まった。サムライは返す刀をタヌキに向ける。右手に握る短刀を両手で支え、斬撃を受け止める。ふたたびその勢いに乗って距離を取ろうとした。
しかし、今度はタヌキの浮いた体にサムライは強烈な右脚での三日月蹴りを打ちこんだ。
人間の脚力ではない。
タヌキは10mの距離を飛ばされた。
道路に沿って飛ばされたのが幸いだった。いや、サムライの狙い通りだったのかもしれない。それはわからないが、タヌキはなんとか受け身のようなものを取ることが出来た。刀を受け止めた両腕の上から打ちこまれた蹴りはタヌキの左腕にヒビを入れた。腕甲は粉々になっている。イタチは飛ばされている最中に取り落としていた。
だらりと左腕を垂らしながら、タヌキは力なくつぶやく。
「こいつを倒すのは無理じゃねえか…?」
アヤノが何やら耳元で騒いでいる気がする。だが、そんなことはどうでもいい。
(生きる。生きるには。生き延びるには。)
生への執着には自信がある。
戦いは諦めていても。目の前のサムライを倒せなくても。
タヌキは自分の生を賭けて、口を開いた。
「なぁ、アンタ。いくらで雇われてんだ?」
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