第5話

 タヌキは走っている。

 コンクリートに足音が反響する。ここはカシミヤの喫茶店の地下。店の真下から南北に1㎞ずつトンネルが掘られており、そこをタヌキは疾走していた。等間隔に光る旧時代の蛍光灯が照らすなか、ただひた走る。

『出口に車を用意してある。後部座席に乗ると良い』

 イヤーギアから聞こえるカシミヤの声に、タヌキは返事をしなかった。自分の足音の大きさに、これ以上音を立てることが憚られた。

 一直線に伸びる地下通路はカシミヤの所有物であり、普段から仕事に使われている。幅は2mほどで、カシミヤのバギーがちょうど収まる。中央にはバギー運送に使われるレールが引かれ、通路の両端には排水溝が通っている。

 1㎞程度ではタヌキは息もあがらないが、それは普段、ベストコンディションだったならである。いまのタヌキにはそんな体力はほとんど残っていない。カシミヤ討伐の為に彷徨い続け、その間の多くを野宿で過ごし、数時間前までそのカシミヤ本人と激闘を繰り広げたのだから。

(くそ、肺が、痛い)

 喫茶店で簡単な食事を摂り、シャワーを浴びてすぐにここを走っている。休息が足りていない。

(神よ、暖かな寝床を賜りたまえ)

 呪いのように念じながらタヌキは走り、やがて出口へたどり着いた。


 地上への階段を上り、ハッチを開ける。崩れた一軒家のリビングに這い出たタヌキは、辺りを見回す。崩れかけた建物だというのに、埃っぽさや黴っぽさは微塵も感じられない。

「あの女め…」

 虚空を睨みながらタヌキが家を出ると、そこには軍用ジープが止まっていた。

「よぉ。お前がタヌキか。ちんまい奴だな。ははは」

 ずいぶんと大柄な男が運転席から身を乗り出して出迎えた。筋骨隆々であり、車に乗り込んでいるというより車を引っ張るかのような図体である。

 タヌキが後部座席に乗り込むと、男は素っ頓狂なことを訊いてきた。

「俺は…えっと、お前は喫茶店のマスターに何て名乗られた?」

 怪訝な顔をしながらもタヌキは答える。

「カシミヤ、としか聞いていないぞ」

「そうか、じゃあ俺の名乗る名前は『サカベ』だ、よろしくな」

 サカベと名乗る男は、自分がカシミヤの古くからの友人だといった。年齢は30歳手前くらいだろうか。頭髪を短く刈り込み、迷彩柄の作業服に身を包んでいる。

「お前をハチオウジのあたりまで運ぶ役目を受け持った。それ以上はすこし厳しい。色々あんだよ」

 わかっている。ハチオウジ付近は『タル・タラ』が勢力を誇っている。本拠地は奥多摩の山奥だが、ハチオウジにも拠点を置き、資金を稼いでいた。関東から西へ抜けるにはハチオウジを通り抜けねばならず、通行料をせしめている。

「そうだ。お前の隠れ家、荷物を俺たちで運び出しておくことが出来るが、やるか?」

「そうしてくれるとありがたい。俺の財産だからな…」

 少しさびしげにそう言った。タヌキはカシミヤと戦うために家を出てから一度も帰っていない。

『タヌキちゃん、サカベ。タチカワのタヌキに関わりそうな依頼を見ているが、どうやらもうすでに新街全域が覆われるように依頼が出されている。つまり、この包囲網をコントロールしている奴がいるってこと』

 そんなことができる者は限られている。サカベがジープを発進させた。今この位置はタチカワ新街の区域の南端付近だが、それでも包囲されるだろうか。

「作戦に変更はあるか、カシミヤ」

『今のところは無し。恐らくサカベ車がタチカワを抜ける方が早い』

 カシミヤは落ち着き払っている。かなりの情報をかき集めたうえで、もう状況を見据え始めているらしかった

『タヌキちゃんに今のうちに警告しておく。君は戦闘センスはとても高いけど、近接戦闘は誰にも教わっていないよね。苦手だったりする?カンと運動量だけで動くいまの戦い方は身を滅ぼすから、時間が出来たら私が指導する。今回の作戦では近接戦闘はなるべく避けて、戦闘回避を最優先に。スピードも大事。止むを得ず戦う場合は、遠距離攻撃なら君はかなりセンスがある』

 散々打ち負かしてきたカシミヤに褒められ、タヌキは非常に複雑な顔をした。それでも、褒め言葉として受け取っておいた。

「いくぞ」

 サカベの一言と同時にカシミヤとの通信も切れた。まるでそこでカシミヤの話が終わることをわかっていたかのような、阿吽の呼吸だった。アクセルを踏み込み、ジープは滑らかに加速していく。

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