第3話

 その威圧感に気圧される。タヌキはただ頷くしかできなかった。

「よし」

 口の端が吊り上っている。壮絶な笑み。

(軍人あがりっていうのは本当らしいな…。しかも一兵卒じゃないだろ、この感じは…!)

 タヌキが見たことのある退役軍人は、過去の栄光を酒に酔いながらぐだぐだと語る者や、ウソかホントかわからない与太話のような自慢をまき散らす者ばかりだった。戦闘スキルといい、この威圧感といい、本物の戦場に行ったのだと、関東から出たことのないタヌキにさえ伝わっていた。

「タチカワの入り口付近、それも北ゲートに賞金稼ぎは集まっていた。よって現時点で情報はタチカワ北部での目撃情報を中心に構成されていると考えられる。今のうちにタチカワから脱出する必要がある。正直ここまで早く事が運んでいるとは思わなかった。完全に私の想定が甘かった。私が思っているよりずっと君は情報をかき集める執念が強いみたいだ」

 タチカワでのタヌキの情報収集のことを言っているのだろう。確かにかなりあちこちを歩き回った。

「現状において『カシミヤという人物について嗅ぎまわる暗殺者がいた』『どうやらそいつはソーンを殺したヤツと同一人物らしい』『タチカワ北部でカシミヤは戦っていたようだ』という街中の情報に加え、『タヌキという暗殺者が大きな依頼を受けたらしい』という暗殺者の間での噂が表面化している。ぼんやりとした情報がいくつも集まって大きな輪郭を作っている感じだ」

 結果的に、タヌキが取った行動は賞金稼ぎや暗殺者に対してのブラフの効果を生んでいた。拾い集めた情報を統合しなくてはタヌキには決してたどり着けない。タヌキにとっては好都合と言えた。

「実は君と戦う前にもう1人、北で暴れまわっていた阿呆と戦ったんだけど、それがタヌキを特定する人間を絞り込んでいる要因になっているね」

「その阿呆が目くらましになっている間に俺は逃げればいいわけだ」

 タヌキの発言にカシミヤは頷いた。

「具体的な作戦は特にない。とにかく西に向かえばいい。色々あるけど、その都度アシストする」

 といいながらカシミヤは自分の左耳に装着したイヤーギアをとんとんと叩いた。ネットを介さず通話できることは非常に大切な要素だ。そして近くの棚に歩いて行ったかと思うと、手に平に収まるサイズの黒いケースを持ってきた。

「これを使うといい。網膜データを偽造できる。『タヌキ』という人間が今までコンタクトに投げ込んできた情報は非常に多い。ABASが相当のデータを蓄えてしまっている。詳しいことはスミスに訊くと良い」

 タヌキが受け取ったケースのなかには、ひと組の網膜レンズ。通常のものと何も変わらないように見える。タヌキは自前のレンズを外し、新しいレンズを装着する。

 -Cont-ACT-SYSTEM-activateー

 コンタクトシステム初回起動の認証が始まる。コンタクトシステムとは、携帯端末が処理したネットの世界を視界にうつしだし、体感的にネットの海を泳ぐことができる。登場から12年で瞬く間に地球を覆いつくし、いまやコンタクト可能領域は地表の90%を埋めるに至った。エヴェレストの山頂でさえ、コンタクトシステムを用いたゲームで遊ぶことが出来る。

「本当にこれで俺は捕捉されないのか?」

 視界に映る英字の羅列を流し見ながらタヌキが言う。書いてある文章の意味もわからず「Agree」のボタンを押そうとすると、カシミヤがそれを制止した。

「待って。それは押しちゃいけない。今見てた規約の文章は悪意が込められている。まずは『Disagree』を押すんだ。そうしたら今度は本来の規約が出てくる。一般に流通しているコンタクトにはこの『本来の規約』を流す機能がない。あー、この話はまた今度。次は『Agree』でいい」

 カシミヤの指示にしたがってボタンを押し、端末との同期が完了した。

ーEnjoy! SEA YOU!ー

 という文字が消え、いつものコンタクトの視界になった。

「端末を変えたわけじゃないからABASもいつも通り使える。でももうたぶんABASのメモリーは限界に近いと思うよ。何年経つ?」

 銃を使い始めてから何年経つのか、という問いである。タヌキは正直に答えた。

「3年。俺が手に入れたときにはもう銃は使い込まれてた」

 それを聞いてカシミヤは頷いた。

「うん。その銃は17歳のスミスが作り上げた試作品だ。私はそれの小型試作品を持ってる」

 左ももに吊った拳銃をちらりと見せられる。先ほど男を撃ち抜いた銃であった。

「え、イタチ…に貰った銃と同じ形…?」

 自分のサイドアームを思い出す。でもあれは、たしか。

「俺が持ってるのは、甲亜企及製のはず…」

 困惑するタヌキを見て、カシミヤはニヤリと笑った。

「さて、知りたいことが山ほどできたかな。スミスは全ての答えを知っている」「

 思わず顔を上げるタヌキ。カシミヤは自慢げに人差し指を立てた。

「あの子は私が出会った中で最も『天才』という言葉が似合う。本当にすごいぞ、スミスは。私の親友にしてイタチの友人でもある」

 イタチ。タヌキの命の恩人にして育ての親。メッセージにそんなことが書いてあった。タヌキの元にスミスからのメッセージも来ている。どんな人物かは気になっていた。知らない間に、タヌキは目を輝かせていた。

「キョウトにたどり着けばいくらでも話ができる」

 乗せられた、と悔しい思いがタヌキの中に湧き起こる。これではもう、キョウトに何が何でもたどり着くしかない。

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