第2話

 その男は何も言わず、引き金を引いた。タヌキのことがわかっているようだった。

「テメエエエエエアアアア!!!!」

 怒声と共に飛んできた弾丸は、タヌキのこめかみを掠めた。引き金を引かれた瞬間、わずかに首を傾けなれば今頃タヌキの頭蓋を弾丸が貫通していた。

 タヌキの目が見開かれる。

 バギーの後部キャリアに投げられていた愛銃に咄嗟に左手が伸びる。右手は既に右腰のポーチから弾薬を取り出し摘まんでいる。

 死ぬほど訓練した装填の動きを体が勝手に行う。自分の意思とは関係なく体が動くような感覚。

 愛銃はABASを起動しなければ「引き金を引くと撃鉄が動く」だけの四角い塊。アイアンサイトもない。それでもタヌキは、この銃での射撃には自信があった。命を預ける存在なのだから信頼しなくてはならない。

 前半分の銃身を折り、弾を込め、戻し、ストックを脇に抱える。腰溜めに構え、引き金を引く。

「うぐぅ」

 弾丸は男の腹を貫いた。キズは深い。だが、即死ではない。2発目を撃つだけの余裕がある。

 しかしタヌキの視界で男は眉間から血を噴きだした。カシミヤが撃った。小さな拳銃だった。

 いつのまにかカシミヤはフードを目深にかぶっている。瞬く間に拳銃を仕舞い、バギーのアクセルを思い切り踏み込んだ。

「掴まれ!」

 カシミヤの鋭い声。タヌキはフレームバーに掴まり、加速するバギーから後ろに倒れゆく男を見た。

 獣のように血走った眼。あれは確実に自分を見ていた。


「さっきのやばい男の目的はもうわからないけど」

 5分ほどバギーを飛ばし、人の気配のないスラムの一角で停車すると、エンジンを切らずにカシミヤが話し出した。

「タヌキちゃんを標的とした依頼がいくつか出ているみたいでね。私もコンタクトを使えなくて、助手の子に教えてもらっていたんだ。少なくとも4つ、判断できないけど可能性が高いものが5つ、最大で9つの依頼がタヌキちゃんを標的にして出されてる」

 タヌキはもう辟易としていた。たった1人殺した結果がこれだ。わかっている、自分の浅はかさが招いたことだ。そのことはカシミヤとの戦いで味わった。

「乗りかかった船、といいたいところだけど、キミのことをこのまま助けることはできない」

 冷たく聞こえるカシミヤの言葉。しかしタヌキはそれを否定した。

「いや、俺の行動が原因でつくられた状況だ。俺がなんとかする」

「そうしてくれると助かるよ」

 この街はカシミヤのホームグラウンドであり、自分の立ち位置が悪くなるような立ち回りはカシミヤ自身避けたいはずだった。フードをかぶり顔を隠していたのもそうだ。男がタヌキにしか意識を傾けていなかったとはいえ、「タヌキを知る者」がカシミヤとタヌキが一緒にいるのを見つけた場合の困難な状況は生み出すべきではない。

「でも手放しでキミにはいがんばって、なんて冷たい真似が出来るほど私は冷徹じゃない。協力するよ。私が扱える部下が何人かいるから、極秘裏に支援する。といっても物資を届けたりするくらいだけどね」

 苦笑気味にカシミヤが笑った。どうにもすっきりしない表情な気がする。タヌキはカマをかけてみた。

「そんな気まずそうな顔をするなよ。俺の撒いた種だっていってるだろ」

「まぁね。わかってるよ。わかってるけど、そんな簡単に割り切れないくらいには私はお人好しなんだ」

 自分で言うかね、とタヌキは内心笑った。

「布に包まって隠れていてね。とりあえず私の店から君を逃がす」

 言っている意味がわからなかったが、タヌキはとりあえず頷いた。急いだ方がいいのは明白だった。


 タヌキが連れられたのは、滅びかけのアーケード街。アーチ状の屋根は網状の鉄パイプと強化プラスチックでできていたが、あちこち崩落している。店舗はほとんどが閉店しており、時折建物が粉々になって汚い山になっている店もあった。目に付くのは、ロックンロールを店頭で垂れ流す肉屋と、「営業中」の看板さえなく扉を開けているだけのまるで商売する気のない寝具屋だ。

「こっちへ」

 カシミヤはバギーを降りてすばやく移動すると、店舗と店舗の間、本来路地がある部分についている黒い扉の前に立つ。ドアノブをひねり、タヌキを中に促した。

 間接照明でぼんやりと明るい10メートルほどの廊下を進むと、今度は引き戸の扉が現れた。瀟洒な作りで、音も抵抗もなく滑るように開いた。

「いらっしゃいませー、あ、なんだマスターも。おかえりなさい、お客さんですか?それとも、お客さん?」

 タヌキが扉を開けると、ロングスカートにエプロンをつけた、黒髪の女子が振り向いた。良く手入れされた髪が身体に巻きつくように靡く。なんだか少し不思議な言い回しで二人を出迎えた。

「ただいま!なんか軽く食べられるもの用意してくれる?私はこの子と秘密のおしゃべりがあるのだ」

 カシミヤはイタズラっぽく言うとカウンターの中にタヌキを招き入れた。コーヒーの香りが体中にまとわりつきそうだった。

「飲み物はお茶を2つ淹れてくれたら嬉しいなぁ。上のテーブルに置いてくれるともっと嬉しい」

「はいはい」

 カシミヤのセリフを受け流しながら、黒髪の女子は手際よく準備を始めた。

 階段をのぼりながら、タヌキはカシミヤに尋ねる。

「従業員か?こんな客の来なそうな店に」

「失礼な。アヤノちゃんは家族みたいなものだよ」

 2階の玄関で靴を脱ぎ、廊下を進み、奥まった部屋に通される。そこは照明が絞られ、モニターや計器が並び、中央に机が置かれた「司令室」といった趣の部屋。

「本当はタヌキちゃんもここで養いたんだけど、そうもいかない。だから」

 重々承知している。かなりカシミヤの立ち位置が揺らぐことになる。ソーンはそれほどこのあたりでの勢力が大きく、また彼を殺したタヌキに向けられた敵意の数も多い。

 タヌキを机を挟んで立たせる。カシミヤが机を触ると、そこには地図が現れた。関東から近畿までの広域が映し出されている。

 カシミヤの息を吸う音が聞こえた。彼女の纏う空気が変わる。飄々としたものから、煌々と燃える炎のように。

「私の作戦に従ってもらう。タチカワ脱出作戦。キョウトを目指してもらう」

 カシミヤの右目が爛々と輝いている。今までタヌキが生きてきて感じる、最大の威圧感。

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