1章 ブレイド・ザ・ファントム

第1話

「ん?」

 カシミヤの素っ頓狂な声が聞こえ、タヌキは前を向いた。運転中のカシミヤの後頭部が見える。顔は見えない。後部キャリアから身を乗り出し、タヌキも前方を確認する。

「…マジかよ」

 見覚えのある顔もない顔もあったが、あれは殺し屋たちだ。住居区の真ん中、似つかわしくないところに十数名の男や女が不自然に立ったり座ったりしている。薄ら笑いを浮かべる者や、緊張の面持ちの者、こちらに興味がないふりをした者など様々だが、皆共通していることは『こちらを意識している』ということだった。

「はぁー…そうか」

 カシミヤの呆れたような声。

「心当たりがあるのか、アンタ」

「私の事は『おねえちゃん』か『カシミヤ』と呼ばないと24時間耐久くすぐりの刑に処す」

「心当たりがあるのか、カシミヤ」

 タヌキにはもう心当たりしかなかった。どう考えても自分である。

「とりあえずカバーにくるまって姿を隠していて」

 カシミヤの指令にタヌキはおとなしく従った。自分の存在が面倒なことを引き起こすことは明白だった。タヌキはバギーのカバーと思われるカーキ色の布を足元から引っ張り出すと、頭からそれを被り体を丸めて荷台に収まった。

「よぉカシミヤさんよ。帰りか?」

 一際ガラの悪い男が声をかけてくる。ややくぐもってその声はタヌキの元にも届いた。

「ああ。ちょっとね」

「つかぬことを聞くがな、お前。ガスマスクの男を見なかったか?そいつにすげえ懸賞金がかかってんだ」

 布の中でタヌキは心臓が止まりそうになった。そうだ。ソーンを殺したのだから。

「いや、私は見ていないよ。北のほうでの目撃情報があるの?」

「北に向かって走っていったっていう奴がゴロゴロいんだよ。まぁ、お前は興味なさそうだがな。ところで…」

 ガラの悪い男がバギーのフレームに手をかけながらカシミヤの顔を覗き込む。

「このバギーから、生体反応が2つあるんだけどよぉ。ガスマスク男を匿ってねえだろぉな」

 疑っていることを隠そうともしない態度で、ずけずけと聞いてきた。すでに男の意識はカシミヤの座席後ろのキャリアに傾けられている。

「はぁー。してないよそんなこと」

「ほんとかぁ?確認するぞ」

「どうぞ」

 カシミヤの返事を聞き、男がキャリアの布を引っぺがす。そこには、膝を抱えた少女の姿。

「…お前、これ拾ったのか?すげえボロボロの女の子が積まれてるが。いや詰め込まれてるが」

「あー、路頭に迷ってたんで拾ってきたんだよね。スミレっていうんだ」

 カシミヤが頭に浮かんだ名前を口に出す。タヌキという名前はもう危険かもしれないからだ。男は自分の依頼が達成されないとわかると、露骨にがっかりした顔で身を引いた。

 するとこんどは男の発言を聞きつけて、飴玉を転がすような声の女が割り込んできた。

「女の子?アタシが引き受けてる依頼は女の子の保護なんだけどねェ。ちょっと顔を見せておくれ」

(!?)

 タヌキの体が硬直する。確かにしばらくコートの投影を使わずに駆け回った時間があった。あれで捕捉されてしまっているというのだろうか。迂闊だっただろうか。

(そもそもここにこれだけの賞金稼ぎが固まっているのもおかしい。さっきの男は間違いなく俺が標的にされていたし、いったいどんな情報が流れてるんだ!)

 冷や汗を流すタヌキとは裏腹に、女もまたがっかりした顔をした。

「うーん。違うわねェ。アタシの依頼の子はもう少し年上の子だっていうから。たぶんその子8歳くらいでしょ?」

 女のセリフをカシミヤが即座に肯定する。

「そうだね。7歳だって言ってた」

「やっぱり。それっぽい子見つけたら教えてねん」

 女は手をひらひらさせながら踵を返した。ドレスがはためき、妖艶な脚線美が露わになった。

「行くよ、スミレちゃん」

「うん」

 タヌキもカシミヤの態度に合わせて返事をした。すこし普段よりも高い声で。

(男と女はそれぞれ違う依頼でこのあたりに張っていた。周りにいた連中も恐らくそれに近いのはわかった。男が引いたときに4割くらいがいなくなったし、女と一緒にやっぱり4割くらいが興味のなくなったような雰囲気だった)

 タヌキは空を見ながらぼんやり考えた。コンタクトを起動したいが、いまこの状態で起動した場合、自分のことがあっという間に捕捉されてしまうだろうことは容易に予想できた。コンタクトシステムは個人と個人の間の溝を限りなく埋めてしまう。個人という概念が希薄になるシステムであり、広大なネットの海に意識を放り込めばあっという間に「個」は埋没する。

 もし仮に賞金稼ぎ達が「タヌキ」という名前を知っていたとする。今この瞬間、ネット上には遺されている「タヌキ」という存在の情報が散らばっており、そこから「タヌキ」という人間を想像することが出来る。ところが、ここでタヌキがコンタクトを起動することで、リアルタイムでの「タヌキ」という人間の、性別、外見、経歴その他が洗いざらいぶちまけられかねない。コンタクトは「人々の視界の集合・集積情報で構成されたひとつの世界」という側面がある。街中で何気なく見やったものを、コンタクトは「情報」としてネット上に取り込む。いま男と女がタヌキの顔を見た。この状況ではまだ「ボロボロの女の子を見た」という情報だけがコンタクトに拾い上げられネット世界に置かれているだけ。

 タヌキがコンタクトを起動した瞬間、そのネット世界に否応なく叩き落とされることで「ボロボロの女の子」は「タヌキという名で賞金稼ぎをしているボロボロの女の子」という情報に上書きされかねない。タヌキをコンタクト越しに認識した人物は投影コートのおかげでそう多くない。それでも、例えばカシミヤ暗殺依頼を出してきた男や、タヌキを殺そうとしてきたソーン派の人間が残したネット上の残滓から推察することは比較的容易といえた。

「コンタクトって恐ろしいよね」

 しばらく走ってから、カシミヤがぽつりと言った。ひとりごとではなかったようなので、タヌキは同意した。

「アンタも怖いものがあるのか」

 ぶっきらぼうなタヌキの声はいつもの調子に戻っている。それでも人より高い声ではあるのだが。

「あるよ。たくさんある。でもそうじゃない奴は早死にする」

 怖いものがあったほうが生きられる。どこか寂しげにそんなことを言った。

「タヌキちゃん。君には賞金がかけられている」

 きっぱりとしたカシミヤの物言い。そんなことはわかっている。だからどうすればいいかを考えようとしていたのだ。

「たぶん女の子でもコートを着ててもどっちでも狙われる。コンタクトを起動した瞬間に捕捉される。でも起動しなくても捕捉されるのは同じだ。少し時間がかかるだけ。一刻も早く逃げるべきだ」

 ふざけた様子など微塵も感じさせない口調。内容が頭に吸い込まれるように入ってくる。「カリスマ性」とはこういうことなのではないだろうか。

「逃げるったって、どこに?」

 すこし唇をとがらせながらタヌキが言った。いい加減に背中に敷いた愛銃が痛かった。

「タイミングが悪い…。レスラーはイワテ、サンボは…たしか太平洋に出てたな…。イータはフクオカで消息を絶った…。スミスに任せるか…」

 ぶつぶつと呟くカシミヤ。タヌキはその間黙っていたが、嫌な予感がした。自然と眉間に皺がよる。

「スミス?」

 スミスと言ったか?イタチからのメッセージにあった、スミスか?

「そう、スミス。知ってるでしょう?君はもうスミスとやりとりをしてるはずだけど…」

「え、いや」

「そうだな、そのほうがやりやすいでしょう。うん。そうしよう。名案かもしれない」

 勝手に納得し話を進めようとするカシミヤ。タヌキは慌てて制止した。

「待ってくれ、俺はその、スミスってやつと確かにメッセージを交換したけどあとは特に知らねえ!」

「いいんじゃない、もうスミスは君の事なら何でも知ってるよ」

 不気味なことを言う。タヌキはカシミヤ、スミス、そしてイタチの間の関係についてとても興味が湧いていたが、遠くにとても嫌なものを見つけてしまい質問するのはやめた。

 賞金稼ぎの男が、こちらに銃口を向けていた。発砲音のしない、高圧ガス弾装填のハンドライフル。銃本体や弾薬が非常に高価だが、その隠密性と信頼度の高さから今年に入って急速に広まった、最新の千葉重工製「CH-2054」。22発装填されたマガジンを、セミオートで撃てる。

「カシミヤ、時間はないみたいだ」

 カシミヤは黙って頷いた。

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