第5話 怪説・関ヶ原の戦い-挙動

 家康への土産にと安易に真田軍の藪に飛び込んだ秀忠は、家康の怒りと言う蛇に身も心も焦がしていた。秀忠の軍勢は、徳川軍の兵力の半分に相当した。

 「秀忠のやつ、色気を出しよって。何たることぞ」

 使者が、秀忠の元に着いた頃、まだ情勢は混沌とした、膠着状態のままだった。

 「秀忠様に申し上げます。真田軍など捨て置き、いち早く、駆けつけるようにのこと、確かに申し付けた、との家康様からのご指示で御座います」

 「確かに申し付けた。うぅぅ、者共、引き上げー。えええーい、我らの敵は、関ヶ原にあり。西軍、真田軍の兵力を衰えさせた。我ら本来の目的のため、進軍致~す」

 秀忠は兵力の差に胡座をかき、策略もなく、強引に進めたことを後悔していた。

 結果が全ての世の中。後は、恥も外聞も捨て、改めて、関ヶ原での戦いで補い、この悔しさを晴らすしかなかった。逸る気持ちを抑え、兵士の疲労度を考えつつ、足取りを早めた。後悔先に立たず…か。徒労と焦りで進軍中の秀忠のもとに、戦況を知るため、走らせていた先鋒が戻ってきた。 

 「秀忠様、ご報告を、ご報告を」

 「おう、それで、どうであった」

 「それが、それが…」

 先鋒の武士は、俯いたまま、声を詰まらせているかのように見えた。

 まさか、東軍が負けたぁ。いや、いや、そんなはずはない。戦いの規模からして早すぎる。何だ…胸元を掻き毟るような思いが、断ち切れずにいた。

 「ええい、早う言え」

 「それが…それが…」

 秀忠は、ただならぬ気配を受け止めるしかなかった。

 「どうした、どうだったのか、早う、早う言え」

 「おお、恐れながら、申し上げます」

 秀忠一行は、固唾を飲んで聞き入った。

 「関ヶ原について見た光景は、…その光景は…」

 先鋒に出向いた兵士は、心を強くして、大声を張り上げた。

 「戦い、既に終わっておりまする」

 「な・なんと、終わっておったと。それで、東軍が勝ったのか」

 「それは、分かりませぬ。戦場には死人と残骸だけで、もはや、鎮まり返っておりました」

 「なんと…」

 秀忠は、一縷の汚名返上の機会を失い、呆然と空を見上げた。鉛色の空は、秀忠の心痛そのものだった。

 「ああ、終わったぁ」

 戦が終わったのと同時に、秀忠は自らの威厳も地に落ちたのを悟った。


 時は、少し遡ります。

 秀忠の遅れは、家康の強気を寒気に包み込んだ。東軍の半数程の兵力を失った。臆病風の囁きは、死神の微笑み。家康の首筋に空っ風が纏わりついていた。

 傍に居た天海は、家康の異変に気づいた。

 「落ち着きなされ、家康様。他方面の作戦は順調に進んでおりまする。そもそも、西軍より東軍への協力者が多いではありませぬか」

 「それは、そうじゃが…」

 「尾張、美濃と相次いで、西軍に味方した武将の城は陥落しております、落ち着きなされ、家康様」

 声を張り上げ、弱気になった家康を天海は、叱咤激励した。天海には、分かっていた。本能寺の変の時、堺で家康が追われた際、自害を視野に入れていたことを。家康という男は、窮地に陥ると自虐的になる悪い癖を持っていた。ここが、信長や秀吉との違いであり、天海を受け入れているのも、弱気になる自分を誰よりも、家康自身が知っていたからであると天海は、熟知していた。これを危惧し、戦場復帰を言い訳にこの戦に天海は、家康の側に居て支えようと参画したのだ。


 一方、石田三成側にも誤算があった。それは美濃にある岐阜城の陥落だった。美濃は、織田家の後継とされる三法師こと秀信が守っていた。しかし、岐阜城は、織田家や豊臣家に使われていたため、内部の構造が熟知されており、あっさり、陥落されてしまったのだ。さらに、三成が戦力として考えていた豊臣五大老の大名家である毛利家、宇喜多家の軍勢の動きが、極めて鈍いことだった。武将の多くが二代目であり、戦国時代を生き抜いた経験豊富な者がいなかったのが原因だった。

 三成を悩ませた問題は、それだけではなかった。家康が、せっせと送っていた大名たちへの手紙。家康からの再三の寝返り要請は、豊臣家との関わりから何となく西軍に就いた者や、三成不人気側にいる居心地の悪さを感じていた者からすれば、やる気を削ぐ武器として、大いに力を発揮していた。それ以外にも問題はあり、西軍は決して、一枚岩ではなかった。

 石田三成は、徳川軍の京都・大坂への進軍を止めるため、関ヶ原付近の大垣城に入った。その頃、東軍は、大垣城付近に布陣していた。待ち受ける西軍は、驚愕していた。集結する東軍の本隊兵数の多さが、思いのほか多かったからだ。現実を目の当たりにし、西軍に参加した諸大名たちは、浮き足立ち始めていた。

 「まずい、まずいぞこれは。戦意を喪失しまうぞ。左近、何か策はないか」

 「左様で御座いますな。ここは、一手打ってみましょうか」

 「何をするつもりだ」

 「まぁ、上手くいけば、西軍の意気も上がりますでしょ」

 そう言って、島左近は、席を立った。彼は三成に《私の知行の半分以上を渡すから家臣に》と言わせた、勇将・名将だった。

 左近は、兵を率いて東軍の陣に出向き、敵を挑発した。

 「ぐたぐた、集まっておらずに、かかって参れ。怖気付いたか」

 「猪口才な。お望みなら、目にもの見せてやるわ」

 先陣にいた血気盛んな一部の軍勢が直様反応し、左近軍に襲いかかった。

 「食いついたわ。者共、手筈通りに、宜しいかな」

 「おー!」

 東軍の怒りに任せた勢いは、左近軍を後退させ、敵陣営に入っていた。

 「まんまと、引っかかたわ。いまだ、かかれー」

 左近の別軍は、東軍の背後を取り、敵本陣から完全に切り離し、孤立させた。

 「殿、敵に包囲されておりまする」

 「なにー。飲み込まれたと言うのか…」

 怒りに任せた威勢は、蜘蛛の子を散らすよう消え去った。

 「してやったり。えいえいおー、えいえいおー」

 左近軍の勝どきは、萎え気味になっていた西軍の意気を、一気に高揚させた。

 「やってくれましたな、左近殿」

 三成は、左近を味方につけたことを改めて、感じ入っていた。9月14日のこの戦いは、その後、関ヶ原の前哨戦とされ、《杭瀬川の戦い》と呼ばれた。

 島左近が仕掛けた杭瀬川の戦いの裏で後に、関ヶ原の勝敗を決める大きな動きがあった。軍勢一万五千の大軍を率いる小早川秀秋が、突然、関ヶ原近くの松尾山に移動したのだ。この動きは、西軍の三成の度肝を抜く、突発な動きだった。西軍・三成からすれば、自分が配置した部隊を許可なく、退かせ、陣取る小早川の動きは、不安以外の何者でもなかった。松尾山は、西軍の居た大垣城の西にあった。側面を取られ三成は、心穏やかではなかった。いまでこそ、西軍に就いているが、いつ、寝返るか分からない挙動不審な所が、小早川秀秋にはあった。移動した後、静観を決め込む小早川。それは、両軍の不安を煽り立てた。

 「小早川の奴、何をしておる。勝手な行動をしよって。ええい、直様、秀秋にこの真意を問い糺して参れー」 三成は、動揺を隠せないでいた。

 一方、東軍・家康も、幾度となく、寝返るように使者を送ってはいたが、色よい返事は得られないでいた。

 「あの若造目、何を考えておる」家康もまた秀秋の動きに、苛立ちを覚えていた。

 島左近の策略に、誘いだされた東軍は、完全に包囲され、壊滅した。この様子を高台で見ていた天海は、嘆いていた。

 「愚かな。挑発に乗るとは。家康様、指示なき行動を慎むようにお伝え下され」 

 「うん、皆の者、聞けー。勝手な行動は慎めー。和を乱すでなーい」

 家康の声は、落雷のように軍勢に響き渡った。

 「おおー」軍勢は、自分を鼓舞するように、気を引き締め直した。

 その後、両軍、膠着状態が続いた。天海と家康は、黙ってこの状態を受け入れていた訳ではない。舞台裏での情報戦を頻繁に行っていた。

 「さて、家康様、西軍を大垣城から、追い出さねばなりませんな」

 「そうじゃな。曖昧な情報を流して、炙りだしてやるか」

 「東軍は、大垣城を包囲し、足止めさせ、その隙に、大坂方面に進軍し、京都・大坂制圧を図っている、と、噂を流してやりましょう」

 「三成の慌てる顔が、思い浮かぶのぉ、ふふふ、あはははは」

 刃音はせぬとも、噂話という人の心揺さぶる戦いに、天海と家康は、挑んでいた。

 その夜は、雨で見通しが至極悪かった。

 西軍の島津軍や、島左近など武将は、三成に進言した。

 「西軍の士気は上がっております。この期を逃す手は御座いませぬ。幸いにも、雨で見通しも悪い。密かに城を出て、夜襲を掛けましょう、一気に攻め込むのです」

 「それはならぬ、相手の動きが分からぬ今、時期早々よ」

と、三成は重臣たちの思いを却下した。この夜は、どう戦うかの迷路の出口を、双方が模索していた。

 どどどどど、俄かに不穏な足音が、闇夜に響いた。何ら前触れもなく、小早川秀秋が、動いたのだ。

 「三成様、小早川秀秋様が、配置していた軍勢をどかせ、松尾山に陣取りました」

 「なんと。何を考えておる秀秋は…。勝手な真似をしよって、真意を確かめて参れ。ええーい、早く参れ」

 石田三成は、不穏な空気に血の気が引く思いだった。寝返るかも知れないという噂があった、小早川秀秋の動き。小早川軍が、西軍の大垣城を監視できる松尾山に移動したことは、西軍、東軍に大きな動揺を与えていた。三成の西軍には、まさかの疑心暗鬼として。家康は、絶好の機会として。直様、東軍にとって有利な噂を流した。

 その噂は、秀秋が寝返り、大垣城を監視していると、また、東軍が、西軍の大垣城を無視して進軍するのを監視するための移動だ、とか。西軍の和を乱すのに格好の行いとして利用したのだ。小早川の動きの真意は、分からなかった。それは、西軍も同じと、天海と家康は考えていた。秀秋の動きは、不穏な空気を醸し出していた。天海と家康には、この期に付け込まないのは、勝利を手元から逃すようにも思えていた。

 「三成様、申し上げまする。秀秋様に真意を尋ねるも、無言にての返答。真意が分かり申しませぬ」

 「あやつ、何を考えておる、ええーい、秀秋に伝えよ。この戦に勝った曉には、最高位を与えよう、領地も多分に与えよう、そう伝えー」

 三成は、戦々恐々の筵に座らされ、なりふり構わず、秀秋の顔色を伺う術にでた。東軍もまた、秀秋の心情に訴えかけた。

 《秀吉の怒りを買い大坂城を追い出され、領地も奪われた。それもこれも、三成の成せること。共にその恨み晴らさいでか。我ら、同じ思いぞ。一緒に闘おうぞ》と。

 「家康様、ここは長政殿にお任せしましょう」

 家康が小早川秀秋の裏工作を任せたのは、秀吉の三成贔屓に反目し、東軍に活躍の場を見出した者だった。

 「家康様、ここは長政殿にお任せしましょう」

 「天海、それは私の台詞だ。任せたぞ、長政」

 「大義に存じます。必ずや、秀秋を寝返らせまする」

 天海と家康は、武将の気持ちをよく分かっていた。信頼することは、思い切って任せること。それを、意気に感じて任せられた者は、能力を発揮すること。踏ん切りが付かず悩む小早川には、報酬ではなく、熱きものが必要と感じていた。それは、天海と家康の賭けだった。








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