第3話 怪説・関ヶ原の戦い-震撼
家康、上杉討伐に大軍を率いて大坂城を後にする。この知らせは直様、石田三成の知る事になる。三成は、秀吉に「百万の軍勢を率いさせたい」と言わせたほどの名将である大谷吉継を、今後の事について相談するため館に招いた。
大谷吉継は、ハンセン病により、膚がただれ腐っていく状態にあった。
三成は吉継の病状に気後れすることなく、親交を深め、家康を倒すことを決断。
1600年7月、石田三成は、徳川討伐を宣言する。
「内府ちかひの条々」を交付して、諸大名の集結を呼びかけた。
(内府は、家康のこと。ちかひは、ちがうと言うこと)明記されていたのは、秀吉の方策に悉く暴走する家康像。即ち、家康と考えが違う者への呼びかけであった。
徳川討伐の総大将は、中国地方の大名であり五大老の毛利輝元を据えた。
「軍勢を整えー、関所を設けよ。西側の援軍を阻止せよ」
その翌日にまず、徳川軍勢が手薄になった伏見城を総攻撃した。伏見城には、鳥居元忠ら1800人程しか居なかった。多勢に無勢。攻撃軍は一万以上。伏見城は炎上し、鳥居元忠も戦死した。その報告は、直様、上杉家に進軍中の徳川軍に伝えられた。家康は、小山に諸大名を集め評定を開き、徳川軍に付くことを約束させた。
この小山評定に大きな役割を果たしたのが、福島正則と加藤清正。ふたりは、石田三成が真面目で融通が効かないという理由から、毛嫌いしていた。豊臣氏を三成に任せるくらいなら、家康に託した方がましだ、とぐらいにしか考えていなかった。
その家康が、豊臣氏を滅ぼそうと考えていたことなど、知る由もなかった。
小山評定をお膳立てしたのは、黒田長政だった。長政は、秀吉に恩義があった。信長から少年時代の長政を討ての命令に逆らい、秀吉は長政を保護した過去があった。
しかし、反旗を翻したのは、その恩義ある秀吉が重宝したのが三成だったからだ。
三成とは、朝鮮出兵で対立していた。戦闘能力、知略を自負していた長政は、自分を活かすために徳川家を選ぶ。それは実を結ぶ。貢献度は認められ、禄高は後に12万石から50万石に。黒田長政にとって小山評定は、まさに人生の分岐点となった。
小山評定において、家康は味方となる武将を気遣い、口火を切った。
「伏見城陥落において、人質を取られ困っている者もおるだろう。ここで大坂に帰っても構わない。道中の安全は保証する」
石田三成暗殺未遂の実行者でもある猛将、福島正則が強い口調で言い放った。
「残してきた妻子を犠牲にしても、憎き、石田三成を討伐致す」
「私も、三成討伐に賛同する」と黒田長政が続いた。それを受け、織田家の旧家臣であった山内一豊も「城と領地を全て差し出しても、家康様に協力致す」と続いた。
主な武将の決意表明は、徳川軍の意志は揺るぎないものにした。
「上杉より、三成討伐を優先する。皆の者、大坂に戻るぞ」
この時点で、三成の西軍と家康の東軍という、陣容が決定された。
家康に賛同する大名の中には、大坂城下に屋敷を構える者もいた。人質を取って、家康への反旗を三成は、諸大名に強要した。
その中には、明智光秀の娘である細川忠興の妻、珠(ガラシヤ)もいた。父、光秀の謀反により、京の丹後国の味土野に2年ほど、隔離・幽閉されていた。その後、秀吉の許しを受け、大坂・玉造に移り住んでいた。忠興は、珠の外出を一切許さなかった。それは、織田家の宿敵の娘であることの命の危険さとキリシタン信仰への疑いが拭いきれなかったからだ。
珠は、忠興が九州遠征時に初めて、裏門から抜け出し、教会に出向く。時同じくして、天正15年に秀吉は突如、「バテレン追放令」を発令した。珠は、忠興の心配を他所に、急ぎ洗礼を懇願し、恵みという意味のガラシャを受けていた。それ以来、キリスト教への思いはより深まっていた。
家康についた諸大名の側室を人質に取る企ては、三成自身の運命に、大きな陰を落とすことになる。
幽閉を解かれていた珠は、大坂城下玉造の細川家屋敷に居た。そこへ、三成は軍勢を差し向けた。
「珠様、忠興殿が家康側につき申した。よって、珠様においては、我らの人質として投降して頂き候」
「私が人質となっては、夫の邪魔になってしまいまする」
そう言い残すと、油を撒き、火を放った。キリスト教徒のガラシャが自害という戒律破りを犯す。それも潔すぎる形で。忽ち、細川邸は火の海と化した。ガラシャは、自己の尊厳と人間愛を貫き、女性の誇りを守り、平和を愛した。辞世の句として、〝ちりぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ"を残している。
死を前にし、全ての欲から解き放たれた姿こそ、真の姿で美しい。周りの束縛から解き放たれた姿で、生きられる幸せを悟った唄だった。
武将の正室として、誇りを貫き通し、自ら死を選んだ姿は、東軍の結束をより強固なものにすると共に、三成への敵対心を煽る要因ともなった。
人質を取り、優位に進めるはずだった石田三成にとって、逆効果となる。ほんの些細な思惑の行き違いで、大きな唸りの渦に、巻き込まれていく。それぞれの思いが、西軍と東軍というより、三成への賛否で軍勢が分かれる結果となっていった。
天海は、家康を訪ねるために、比叡山に戻っていた。天海は、これまでの経緯を、越後忠兵衛、服部半蔵の配下から収集し、整理していた。
情報を整理した後、大坂近くに、越後忠兵衛が用意した船宿に出向いた。
既に、徳川家康と服部半蔵がそこに居た。屋形船に、家康と天海は屋形の中に消えた。半蔵は船首に、天海に同行した佐助は船尾に鎮座し、警護にあたった。
「挨拶は、宜しかろう。動きましたな。この歪は、思っている以上に複雑に大きく動きまするぞ」
「確かに、上杉家の直江山城守兼続からの直江状に苛立つ所へ、諸大名を冷遇する三成への憎しみが加わるとはな。大火の火種になりそうな」
「確かにそうで御座いますな。上杉景勝に日頃、規則に厳格な三成が口を挟まず、好き勝手に規則をお破りになる家康様が、規則だとお怒りになる。外からみていれば、目糞鼻糞のなじり合いで御座いまする」そう言うと天海は、大笑いした。
「いくら、天海殿でもそれはなかろう」
「これは、これは」
「そもそも、秀吉が定めた規則破りは、天海殿の進言ではないか」
「そうでありましたな」と、天海は笑って答えたのを家康は、憎たらしそうに睨みつけていた。
「済みまぬ、済みまぬ。許してくだされ。しかし、これで、時代は動きまする。
それで、良しと致しましょう」
家康は、小馬鹿にされた思いと、複雑な思いになっていた。その時、ふと、天海に会えば言わなければならない重要なことを思い出した。
「天海殿、言い遅れましたが、この度は、我らの争いごとに、娘・珠様を自害に至らした事、誠に持って、お悔やみ申し上げまする」
「それはそれは、お気遣い忝く存じまする」
家康は、天海の落ち着き払った態度に、困惑を覚えていた。これが、悟りを開いた者の心情なのか。不思議な感覚に襲われていた。
「そんなに不思議かな、私の落ち払いようが」
「流石に天海殿、私の気持ちをお分かりか」
「家康様は、特に分かりやすい、お方ですからな」
「小馬鹿にされるは、兼続の奴で充分じゃ」
「済みませぬ。まあ、お詫び代わりに、家康様に会わせたい者がおりまする」
「誰じゃ、そなたらの会わせたいには、もう驚かぬは」
「半蔵さん、用意はできておりますかな」
「整っておりまする」
「それでは、お願い致す」
天海がそう言うと、半蔵が、屋形船の障子を開けた。川面は、すっかり暗闇が支配していた。対面する所に薄っらと屋形船が見えた。少しづつ近づき、闇の中でも、かなり鮮明に見える位置に来た。対面する屋形船の行灯が点った。障子越しに、人影が浮き上がった。ゆっくりと障子が左右に開くとそこには、後ろ姿の女がいた。。
「勿体ぶらずに、こちらを向きなされ」
ゆるりと、女が振り向いた。妖麗な女だ。着衣が異国のような派手なのも、その妖艶さを、より際立たせて見せた。
「わらわは、ガラシャと申します。生前は、細川珠を名乗っておりました」
「ひえぇぇぇー」
家康は、背骨が抜け落ちるような驚きと、恐怖に寒気を感じた。
「天海殿、おふざけが過ぎまする。どんな妖術をお使いになった。もうー良い、宜しゅ御座います。消して下され、早う、早う」
「家康様、落ち着きなされ。幽霊では御座いませんぬ。珠も生前などと、茶化すではないは」
天海とガラシャは、扇子で口元を抑えて、笑った。珠はガラシャになってから、
明るく活発な女性へと変貌していた。
「幻ではないのか」
「確かにこのような妖術が使えれば、楽しゅう御座いますでしょうな」
「言っておれ。しかし、珠様は、自害なされて、家臣に首を撥ねさせ、その首を絹の布に包ませた、とお聞きしておりましたのに」
「私もすっかり騙されました…と言いたいところですが、種を明かせば…」
「どういう意味でなのか、一体、何が何だか分からぬ」
「ほら、私が生前のことですよ。明智を名乗り、信長を葬った昔話ですよ」
「本能寺の変か」
「あの時、信長も油を撒いて火を点けた。私は煙に巻かれましたがね」
「それと、同じとな」
「左様で御座います。忠兵衛殿の密偵から私が人質に囚われるやも知れぬと聞かされ、ひと芝居打ったので御座いますよ」
「そうであったか、しかし、首を撥ねたとかの話は…」
天海は、ガラシャから引き継ぎ真相を明らかにした。
「そこからは、私が。珠の場合も、亡骸がなければ、怪しまれる。しかし、用意するのは、流石に珠の気持ちを考えれば、用意できませぬ。そこで、その場を見てきたような語り部を用意し、真実が伝わる前に噂話を拡散したのですよ。落ち着いて考えれば、油で燃え盛る炎の中、自害を待ち、その首を撥ね、絹の布に巻くなど、至難の業で御座います。その首も損傷が激しいと、誰にも確認させておりません。混乱時に紛れてで御座います。珠の放った、私が人質となっては、夫の邪魔になってしまいまするで、全てが消し去れましたわ。お蔭さまで、珠はこうして、新たな生き様を楽しんでおりまする。いわば、幽霊、親子の誕生で御座いますな」
「そうで、あったか」
「本来は、小競り合いが火元。そこへ、三成の人質の件で、揺れ動く諸大名の気持ち。それを、珠の残した言葉で東軍の思いは、一挙にまとまり、戦の様相を帯びてきましたではありませぬか」
「確かに。珠様の行いは、東軍の士気を高め申した」
「情報をどう扱うか。持てる札をどのように切るかで戦況は大きく変わります。これからは私との確認の上、お動きになるようにお願い申し上げます」
「相、分かった」
「三成の人質の件は明らかに、和睦の機会を失う策略になっております。思いつきで動く怖さを表しておりまするゆえ、家康様も軽はずみな行動はお避けくだされ」
「了解したわ」
「家康様にお願いが御座います」
「何かな」
「珠、いや、ガラシャは、キリスト教を信仰しております。今後、宗教を隠れ蓑にしたイエズス会封じに、キリスト教禁止令を家康様もだされるでしょ。ガラシャに約束させまする。信仰は己ら限られた者のみに控えること。信仰を広めることは決してせぬと。ガラシャもそれでよいな」
「よしなに」
「考えも及ばぬは。そもそも、幽霊を捉えるなど、無理難題ではないか」
家康は、高らかに笑ってみせた。明智親子も安堵の笑みを浮かべていた。
「それでは私は、これで天に召されると致しますか、いや、魔界でしょうか、ほほほほ。家康様におかれましては、幸多きように」
「どうも、背筋が寒いわ、うううう。そなたも達者でな」
ガラシャを乗せた船は、ゆっくり闇の彼方へと消えていった。
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