第2話 怪説・関ヶ原の戦い-狐火

 傷心した家康をいい機会と捉え、半蔵は、忠兵衛らとの企てを実行に移した。

 「お久しぶりで御座います。天海と申します」 

 「いや、光秀殿か…。そうだ光秀殿だな…、生きておったのか」

 「いえ、光秀と呼ばれた者は、この世にはおりませぬ。ここに居ますは天海という、僧侶で御座いまする」

 家康は、忠兵衛と半蔵を交互に見、何が真実で虚偽なのか、困惑していた。

 「家康様、細かいことは、宜しおますやろ。ここにおる者は、家康様を天下人にする為に、集まった者、それで宜しおますやろ」

 「しかし…」

 戸惑う家康を尻目に忠兵衛は臆することなく、話を進めた。

 「天海様には、僧侶として、あらゆる知識を身につけて頂いております。豊臣の動きも、私たちの配下から得た情報を掌握されております。家康様においては、この天海を懐刀としてお使い頂ければ、幸いです。ご存知かと思いますが、天海は武家社会の生業にも精通されておりますゆえ、必ずや、お役に立つと存じます」

 (こやつ、大坂言葉以外も話せるではないか…と家康は思っていた)

 家康は、半蔵は元より、謎の関西商人・越後忠兵衛から、家康の命を救えたのは光秀のお陰であると刷り込まれていた。光秀は家康にとって、礼を言うべき、命の恩人となっていた。

 「それは有難い。しかし、なぜゆえに、私なのじゃ」

 「それは、この天海から、お話致しましょう。この越後忠兵衛は、先見の目と財力を持っておりまする。光秀なるものが謀反とされる本能寺の変を起こした時も、裏で動いておりました。信長なき後は秀吉が、その後は、家康様が天下人になられると、

豪語しておりました。ゆえにお助け申した訳です。秀吉の独裁は秀吉あってのこと。

 豊臣政権の内情は把握しております。もう少し、泳がせましょう。その間に、家康様は関東を制圧なされよ。秀吉亡き後を見据えて。それまで、ここにおる者同様、力を蓄えましょうぞ、如何かな、家康様」

 「それは、有り難いこと。いつ何時、私を狙ってくるか分からぬ針の筵から、逃れられるのであれば、申し出は願ったり叶ったりじゃわ。そなたらの情報、行動は、下剋上の世にあって、得難いものじゃ」

 半蔵の度重なる根回しが功を制してか、家康からの信頼度は思いの他、上手く取り込めた。天海が、口火を切った。

 「早速ですが、この度の織田信雄の件で御座いますが、ご意見のほどは宜しいか」

 「あ奴の裏切りの件か。許されるな兵力を上げ、再び、秀吉を滅ぼしに掛かりたい思いよ。しかし、信雄の馬鹿が和睦などしおって、大義名分がなくなってしまったわ。この怒りの矛先をどこに向ければ良いか、思案に頭が痛いは」

 「単刀直入に申しまする。秀吉とて、貴方と今、戦いたくは御座るまい。ここは、来る時期の為、和睦をなされよ。ここで、仮に戦われて勝たれても、常に貴方の命を脅かす輩を作るだけですぞ。安息の日は御ざりませぬ。仕掛け処ろは、高齢の秀吉がなくなった時で御座いまする。今は、豊臣の中枢に食い込むこと、それに、ご尽力なされることを、お薦め申す」

 「和睦とな、腹立たしいこと、この上なし」

 「ほれ、そこをぐっと堪えなされよ。機は熟しておりませぬ。豊臣の手足をもぎ取るにはまだまだ、時間が掛かり申す。じっと、我慢の時。秀吉とて、今の貴方をぞんざいには扱いませぬゆえ、ここは、我慢なされよ、家康様」

 家康は、血気盛んな家臣をなだめ、時期を待つ、道を選んだ。

 突然、現れた自信に満ち溢れた二人。ひとりは、得体の知れない闇の匂いがする豪商。ひとりは、過去と決別し、ある意味、悟りを開いた知識人。そのふたりの懐の深さに、元々臆病な家康は、陶酔していった。

 正直、戦国の世の疑心暗鬼の渦に飲み込まれ、耐える自信など、家康にはなかった。ましてや信頼することへの恐れも拭いきれない時期だった。勢力を拡大するにつれ、命を狙われる恐怖が増していた。そんな折に現れた、絵図を引き、動かす者たちの存在は、得難いものであった。


 秀吉が存命中に江戸に当該領を移された家康と共に天海は、忠兵衛が江戸に建造した別宅に拠点地を移した。家康との関係は、大坂から遠く離れた地で深まっていた。

 「天海、秀吉の奴、五大老とか言って、秀頼の子守役を押し付けてきよったわ」

 「五大老ですか、一筋縄では参りませぬな。家康様の勝手にはさせぬということですな。さて、家康様、どうなされる。子守宜しく豊臣氏を支えますか。秀吉亡き後、秀頼など、赤子の手をひねるようなものと。素直にお受けするか、どちらかな」

 「誰がガキの相手などできる、これを期に反乱でも起こしたい気分じゃ」

 「反乱で御座いますか、それも宜しゅう御座いますな。秀吉信仰の壁は分厚~御座いますぞ。力も健在。さて、勝てますかな」

 「ならば、どうしろと、申す。いいなりになり、子守か」

 「左様で御座いますな。ここは、角隠しですかな」

 「猫を被れと申すか」

 「何を被ろうが勝手ですが、牙を剥き過ぎるな、ということです」

 「苛立ちを覚えるわ」

 「牙を剥き過ぎるな、と申しましたが、牙を剥くなとは言っておりませぬ」

 「言ってる意味が分からんわ」

 「ほら、城を攻めるなら、お堀からと申すではないですか」

 「どうしろと、申すのじゃ」

 「五大老、五奉行は、秀吉が用意した豊臣氏の権威を守るための悪あがきでしかない。そもそも、秀吉の灯火が消える間際の機関など船頭を失くした船。機能しますまい。ましてや、この政策には、最大の欠点がありまする」

 「欠点とは」

 「お気づきになりませぬか」

 「何じゃ、早う言え」

 「人材の在り方で御座います。五大老は、家康様を筆頭に、戦場で命の危険を目の当たりにする武断派。五奉行は、戦場で命を賭けることなく、理想論ばかり押し付ける、石田三成を中心とする文冶派。このようなものが上手くいくはずがない。常に、衝突すること、必至で御座います」

 家康は、秀吉の晩年の体制を静観することを承諾した。天海の読みは、時間を経て現実味を帯びてきた。秀吉の一番の側近である石田三成は、職務を忠実に遂行していた。その結果、武将たちの失態は、情け容赦なく秀吉に伝えられ、処罰された。釈明の余地さへ、与えられない武将たちからの不満は噴出した。

 「戦場に出て戦わぬは、武士ではなし。秀吉の腰巾着め」

などと、石田三成は、陰口を叩かれることは、少なくなかった。

 武将たちの「明日は我が身か」の不安や不満は積年の思いとなり、三成への反発心を芽生えさせていった。

 1598年8月18日、伏見城で豊臣秀吉は、天下統一を果たし後、亡き人となった。

 秀吉亡き豊臣氏は、武断派にも慕われていた前田利家が揉め事の仲裁役を行い、体制の均衡を辛うじて保っていた。その前田利家も、1599年3月に亡くなった。

 仲裁役を失った五大老と五奉行の対立は、三中老に抑えられるものではなかった。

 「いよいよですな、家康様。石田三成の評判は、かなり、宜しくないもので御座いますな。絶対君主、仲裁役を失った豊臣氏は、箍が外れたのも同じ。いつ崩壊しても可笑しくありませぬ。しかし、もっと確実なものにしなくては、なりませぬ。上手の手から水が漏れるの、例えもあるように、慎重に参りましょう。

 「さて、何を仕掛ける。戦には、まだ早いぞ。敵味方が見えにくい。どんな裏切りに合うかも分からぬからな」

 「戦は戦でも、戦わずして、戦う方法を取りましょうぞ」

 「何を言っておる、大丈夫か、分かるように言え」

 「これは、失礼。秀吉の威光の陰りを如実に見せつけるのですよ」

 「そのようなことをすれば、孤立する恐れがあるまいか」

 「孤立ねぇ。秀吉の影に怯えて言いたいことが言えない。ならば、消えゆく威光の代わりに新たな頼れる威光とやらを作ってやりましょうか」

 「で、何をする」

 「まずは、秀吉の遺言を破ってやりますか」

 「それは面白い、して、何をする」

 「秀吉が、謀反を恐れ諸大名の勢力拡大を禁じたのが諸大名間の婚姻。さぞかし、大名たちは心細かったでしょうな。仲間が作れないわけですから。ならば、家康様が率先して、推奨するのですよ」

 「なるほど、婚姻か。私の勢力図を婚姻を用いて拡張して見せると言うことか」

 「そうで御座います。戦国の世で唯一信じられる関係は、血の系列ですからな。

 下克上の世に置いて、確かでなくとも、安心の糧となりましょう。賛同する諸大名も多いはずですぞ。戦わずして、津々浦々まで、勢力を広げられましょう」

 「確かに。しかし、五奉行が黙っておらぬだろう。特に三成がな」

 「それも、思う所で御座います。さらに、諸大名がどちらに転ぶかの仕分けにも役立てましょう」

 「揉めさせて、混乱に紛れて、利を得るか。抜け目がないのう」


 家康の行動は思わぬ事件を引き起こす。石田三成暗殺未遂事件だ。

 家康の暴走を咎めようと五奉行を動かそうとした三成だが、既に告げ口奉行として信頼を失っており、彼に同調しようとする者は、いなかった。

 家康が逆らうも三成、手を出せず。武断派は、その兆候を敏感に受け止めていた。今であれば大義も如何様に立つ。この機を逃すまい、と三成の暗殺を企てた。

 三成はその企てを事前に知った。動揺を隠せない三成は、事も有ろうあろうか武断派筆頭の家康に助けを求めたのだった。

 この事件の本筋は、三成にあり。

 信頼されるべき立場の三成が、その信頼を失った。ゆえに三成の起こした混乱として、家康は片付けた。石田三成は、家康の裁量により、謹慎処分となった。三成は実質、自らの暗殺未遂事件を切っ掛けに失脚することとなった。

 家康はこれを期に大坂城に乗り込み、政務を掌握した。面白くないのは文治派だ。

 五奉行を支持していた前田利長と浅野長政が、家康暗殺を企てる。

 半蔵、忠兵衛の密偵がそれを見逃すはずがなかった。英雄色を好む。忠兵衛には、寝もの語りを聞く女の密偵、俗称くノ一が多くいた。その情報は、金山だった。

 家康暗殺は、呆気無く発覚し、浅野長政は失脚させられた。前田利長は、次なる手のためにお咎めなしとされた。

 「天海。なぜ、前田利長も成敗せぬ。わしを暗殺しようとしたのじゃぞ」

 「お待ちなされ、豊臣氏と戦うには、事前に豊臣氏の兵力と財力を使わせねばなりませぬ。露骨にそれを家康様がなされば、要らぬ反感を買う恐れがあるのです。危険は承知で御座います。前田利長を豊臣氏の衰退の象徴として祭り上げるほうが、豊臣親派に揺らぎを与えるかと存じまする」

 「祭り上げるか、それは面白い」

 天海の絵図は、予想外の展開で綻びを見せた。

 「奥方の芳春院に救われ申したな前田利長は。自ら人質となり、前田家が徳川家に従うと申し出るとは、この天海も驚きを隠せませぬわ。おなごにして天晴れなこと」

 「確かに、見事な内助の功であるわな。おなご相手に叩けば男の恥か」

 一連の流れに、謹慎中の石田三成の憤りは、収まらなかった。 三成は、家康からの年賀を断った「直江状」の件のある上杉謙信と連携し、起死回生を夢見ていた。家康は、上杉謙信の不穏な動きを察知し、審議を確かめるために年賀の挨拶要請を行った。それを断った事件である。その手紙には、軍勢を集めるは、東北からの攻撃に備えるためで御座る。子供じみた疑いは甚だおかしい、と小馬鹿にした内容だった。

 家康はこれに激怒して、「上杉家の謀反の疑い、もはや確実。討伐に向かう故、いざ、出陣じゃ」と、大軍を率いて大坂城を後にした。

 この時、奇しくも、大坂城は、一時的に徳川家がいない状態になった。時は、1600年6月のことだった。

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