裏アカ歴史奇行・怪僧・天海(明智は三度死ぬ)《承》編
龍玄
第1話 怪説・秀吉の終焉-終わりの始まり
大坂・堺の豪商・越後忠兵衛らに助けられた明智光秀は、信長を快く思わない天台宗総本山・比叡山延暦寺の住職の計らいにより慈眼大師南光坊天海として、新たに天下人の夢を歩み始めた。
髷を剃って僧侶となった光秀は天海として、比叡山の中腹にある根本中堂付近に設けられたお堂へと忠兵衛に招かれた。
「ここが、天海殿のお堂で御座います」
「立派な物を用意致してくれましたな」
「住職以外は天海殿のことを知りません。住職には、あのお堂は異人さんが修行されている場所だ、立ち入るな、と釘を刺して頂いております。とは言え、僧侶に会う事もありましょう。その際、声を掛けられれば、異人の言葉で対応してください」
「異人の言葉と」
「学べば宜しかろう。私は異国との交流もあります。都合が合えば同席を願いましょう。そこで口調を覚えてくだされ。それらしき事を発せれば、相手は怯みますよ。要は、遠ざけるのが目的で御座いますからな」
「あい分かった。身の回りのお世話に半蔵殿の後継者の佐助を用意致しました。要望があれば何なりとお申し出ください。月に幾度か私の信頼する使用人を連絡係として伺わせます。その際、生活用品、異国の書物、品、読売などをお届け致します」
「有り難きことよ。しかし、無駄と思われることまで手配なさるのには関心致す」
「無駄ですと。無駄など御座いません。やらずに後悔する方が無駄で御座います。無駄な行いが積み重なる程、物事が上手く行っている証で御座います。無駄と無意味とは違いますからな。それはお忘れなく」
「そなた…口調が変わっておるが、何か意味があるのか」
「これからは、天下人を支えるお方として接します。それが私の身を守ることにもなりますでしょうから」
「そうか」
「では、私はこれで失礼致します。佐助、後を頼みましたよ」
「畏まりました」
天海は、お堂に用意された密教、神道、道教、陰陽師、風水学などの書物を寝る間を惜しんで貪るように読んだ。知らぬこと知る楽しみに目覚め、時の経つのを忘れるほど充実した日々を送っていた。
その頃、信長を失った織田政権は、跡目争いに火花を散らしていた。羽柴秀吉は、明智光秀に山崎の戦いで勝ち、存在感を高めていた。
「秀吉様。柴田勝家は後継者に、信長様の三男・信孝を推すとのこと」
「勝家め、動きよったな」
「如何なされます」
「勝家に思うようにさせぬは」
「して、その策は」
「う…ん、おう、三法師様じゃ、そうじゃ、そうじゃ。信長様の孫であれば、文句あるまい」
「ならば、嫡男、信忠様でよいのでは」
「ありゃだめだ、腰抜けの馬鹿だ。信長様に似ても似つかぬ、うつけ者だ」
「しかし、三法師様は、幾らん何でも幼過ぎませぬか」
「だから、良いのではないか。実質、実権を握るのは誰になると思う、ふふふ」
丁々発止の末、秀吉は、清洲会議で三法師を後継者にすることに成功した。が、織田家勢力の均衡を図るため、後見人には、勝家の推す信孝が就くことになった。
「あぁぁぁ、面白くないは、胸糞悪い。今に見ておれ、目に物を見せてやる」
天正11年(1583年)、秀吉は、柴田勝家と織田信孝を、賤ヶ岳の戦いで滅ぼし、滝川一益ら重臣も排除し、信孝を孤立させ三法師を奪い返した。
「見たことか。これで、実権を握ったも同然。五月蝿い奴らを一層してやろわ」
秀吉はその威厳を内外に知らしめるため、大坂城を築城。外観五層の天守閣。本丸内は、金銀の装飾に財宝の山。空前の富を集積し、来訪者を驚嘆させた。
秀吉は、領国の首都を政治、経済、軍事、文化の中心とし、城下町も造った。前田利家と金森長近らを味方に引き入れ、磐石の体制を築いた。
面白くないのは織田の次男・信雄だ。政権争いから除外され頭にきていた。
「三法師だと、秀吉め。私を馬鹿にしよって」と、信雄は反抗の狼煙を上げ、「織田家を秀吉の好きにさせて堪るか。力を貸してくだされ」と、家康に泣きついた。
天正12年(1584年)。信雄は、家康と結託し小牧・長久手の戦いで秀吉を攻めた。圧倒的な秀吉の軍勢だったが、家康の巧みな戦術に敗退。直様、家康は、邪魔な秀吉を排除し、地盤固めに努めた。
「これでわしの天下じゃ」と家康は勝利の美酒に酔っていた。
秀吉の恨みは功績者の家康ではなく、企ての張本人である信雄に向けられた。
「殿、殿、一大事で御座いまするー殿ぉ。信雄様が、秀吉と講和なされましたぁ」
「なんだとぉ、わしに相談もなくか、信雄のやつめぇ。講和だと…くそぉ…やりよったな秀吉めぇぇぇ」
信じていた信雄に裏切られた家康は、土壇場で詰めの甘さを露呈し、落胆の色を隠せず、戦意も秀吉と戦う大義名分も失った。「これまでか…」強力な秀吉軍に逆らう者は、皆無だった。家康に残された道は、秀吉との和睦しかなかった。
家康の屈服は、秀吉の野望を解き放った。
「官兵衛、わしは、関白になるぞ」
「関白…ですか」
「そうじゃ、奴らには腹がたっておる。偉そうに口だけ出しよって」
「異論は御座いましょうが、この国の制度は、それで成り立っておりまする。天下人の暴走を食い止める利点もあるかと」
「わしが暴走だと。ふん、今や逆らう者などおらんわ。武家出の者はいざ知らず、出自の明からざる者のわしには、公家への配慮など無縁じゃ」
「関白は、公家しか就任できぬ習わし、如何に殿と言えども…」
「わかっておるは。妙案がある。わしが公家になればいい。文句はあるまい」
「公家になると…して、如何にしてなられるのか」
「そこで、頼みがある。公家とて人よ。弱みを握れ。何でも良い。頼んだぞ」
「承知致しました」
黒田官兵衛は戸惑いつつも、登れぬ山はない、と依頼を楽しむことにした。
その結果、近衛家と近衛前久が、強力な軍の鞭と禄高の飴で動くことを得た。
秀吉は、当初、内大臣から左大臣への昇進を望んでいたが、
「我が家では、任期一年以内に関白を辞した者はない」
と、現職の関白・二条昭実は譲らず、近衛信輔は、「我が家では、大臣を辞職した後で、関白になった者は過去にいない」と難色を示した。
「ああ、面倒くさい」
歩みを止めない秀吉は、藤原の名を威嚇と金で得て、近衛前久の猶子となる。前久の子の信輔と、兄弟の契りを結ぶことにより公家になることを優先させた。官兵衛に暴君と言わしめた片鱗は直ぐに現れた。信輔との間で関白職を約束させると断りもせず、豊臣姓を創始し、回りに睨みを利かせつつ強引な手腕で関白職を手に入れた。
近衛家には1000石の知行地を、前久には200石を配しただけで済ませる始末。戦国の黒幕とされた近衛前久は、秀吉に手玉に取られ憔悴さし、隠棲に迄追い込まれた。
元来、関白職は、五摂家と呼ばれる公家しか、就任出来なかった。五摂家とは、近衛、鷹司、九条、二条、一条の公家を指す。公家出身ではない秀吉の就任は、公家社会において前代未聞の大事件となった。
その翌年、天正14年(1586年)、朝廷より豊臣を下賜される。弾みを付けた秀吉は、豊臣氏による武家関白の永続を宣言する暴挙にでた。朝廷と幕府という権力の分化を改善し、公家に口出しさせない政権維持を確立した。その6年後には、養子の秀次に関白を譲って、新たな野望へと邁進する。
しかし、栄華を謳歌していた秀吉にも死期が近づいた。豊臣政権を磐石にするための体制として、最高機関の五大老を設ける。そこには、有力大名の徳川家康、前田利家、毛利輝元、宇喜多秀家、小早川隆景(没後は上杉景勝)らを任命。天下の諸事は合議で決定するようにした。
更に、地検などの事務処理する五奉行を設ける。そこには、石田三成、浅野長政、前田玄以、増田長盛、長束正家ら秀吉の子飼いの家臣を配した。
五大老と五奉行の調整・監視役として、堀尾吉晴、中村一氏、生駒親正からなる三中老を設け磐石を図った。備えた体制も実施、秀吉の末期の思いを叶えた形であり、機能することはなかった。
慶長3年(1598年) 豊臣秀吉は、息を引き取った。豊臣氏を継いだのは、秀吉の嫡男の秀頼だった。まだ、6歳のことだった。
豊臣氏内部では晩年既に、武闘派の加藤清正・福島正則と、文治派の石田三成・小西行長らの対立が表面化していた。
徳川家康は、秀吉の意向の弱まりを感じ、戦力を維持するため朝鮮出兵をせず、秀吉の禁じていた諸大名との婚姻関係を無断で破り、伊達政宗らと関係を結んだ。
豊臣氏崩壊の足音は、着実に迫っていた。秀吉が亡くなるの待っていたかのように表舞台に現れ始めたのが、南光坊天海だった。
天海として新たな人生を歩んでいた光秀は、越後忠兵衛の別宅に招かれた。
天海は、比叡山で勉学に勤しむ傍ら、既に京都所司代と裏で繋がり、宗派問題や警護などの問題に関わっていた。
「お久しぶりですな、光秀様、いや、天海殿」
「いや、色々と世話になっておる。あれ以来、家康殿と上手く繋がっておるわ」
あれ以来…それは、本能寺の変後、家康が三河国に戻って、落ち着いた頃だった。
越後忠兵衛と通じていた服部半蔵から、家康の命を救ったのは、光秀であったと、告げられた頃のことだった。半蔵を通じて家康は、忠兵衛と会い、本能寺の変の裏の経緯を聞かされ、驚嘆を隠せなかった。更に家康の心を強震させた出来事が起こる。
それは、家康が、信長の次男・信雄の信頼を得て、小牧・長久手の戦いで秀吉に勝利した際、信雄が秀吉の逆襲にあい、裏切られ、秀吉と和睦してしまった件だ。家康は、人生最大の天下人の機会を裏切りにあって、失くした時期だった。
(回想シーン)
「あぁぁぁ、信雄の奴めぇー、腸が煮えくり返るは。どうしてくれようぞ。
この期を逃しては、秀吉の天下に従うしかないではないか」
家康は、荒れ狂っていた。半蔵は、そんな家康を気分転換にと、茶会に誘った。
「家康様、本日は、会わせたき者が御座いまして、茶会を設けさせて頂きました」
「会わせたい者、誰じゃ」
「お入りくだされ」
半蔵に促されるように、小さな茶室の扉が開いた。茶室は、刀を持ち込むなど、無作法を許さない佇まいになっていた。
「お邪魔させて頂きます、越後忠兵衛と申します」
家康は、怪訝な顔で忠兵衛を睨みつけていた。
「家康様、この方があの伊賀越の時、光秀の報告を受け、
私や伊賀者、船便の手配などしてくださった方で御座います」
「なんと、そなたが…。あぁぁ、いや、世話になった。かたじけない」
半蔵の言うことは、家康は疑うことがなく、素直に対応した。
「あの時は、予想もしない追手に驚かされましたな」
「そなた、大坂の者か」
「堺遊覧の手配もさして貰いました、海山物問屋を営んでおります。
大坂言葉しか話せませんよって、ご勘弁くだされ」
「そんなことは気にするでない」
忠兵衛は改めて、首謀者として、詳細を家康に話した。家康にとっては、青天の霹靂といった内容であったが、それぞれに合点がいった。
家康は、己の知らない世界があることに、大きな興味を抱くようになっていた。
「信長殿は生きてられると」
「それは、ご説明したように、もはや、辿る術もないと言うか、もう宜しおますやろう。信長さんは信長さんの生きたいようにされれば。その時点で私らが関わるのは如何なものかと。何処かでやんちゃの限りを楽しんでおられると思いますよって」
「そうじゃな」
「本日は、もう一人、是非とも、会わせておきたい者が御座います。別室に待たせておりまするので、そちらへ、ご案内申し上げます」
半蔵は、家康を用意した座敷に通した。
「さて、今度は、どんな趣向かな、楽しみじゃのー」
半蔵が促すと座敷の襖が、すーと開いた。そこには、一人の僧侶が、座っていた。
「ほー、曽呂か、して、どなたかな」
僧侶は、うつむき加減の顔を上げ、静かな声を放った。
「お久しぶりです、家康殿」
「そ、そ、そなたは、いやいや、まさか、ありえぬ、ありえぬは」
家康は、聞き覚えのある声に、大きな戸惑いを受けた。
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