Ep.12ー3 星降る聖夜に約束を

 駅前には何もなかった。申し訳程度にひとつ雑貨屋があるだけ。そこにディアンが入っていき、すぐに出てきた。


「今、丁度そっち方面に行く荷馬車を頼んだ」

 

 荷馬車? バスでもなく、タクシーでもなく。


「ここの交通手段はそれぐらいしかない」

「歩いてもいいよ」


 数日間の行軍も平気なのに。ディアンは軽く息をついた。


「ちょうど、隣町に行く馬車があった。だから頼んだ、それだけだ」


 そしてつけ加えるようにリディアを見た。


「ここも田舎だが。さらに田舎だからな……覚悟しとけよ」


 切り取られた稲穂。寒冷地に強い種だと聞いた。それが刈られた跡が永遠に続いている。ディアンの家は、馬車で二時間。年老いた牝馬に引かれた一頭立ての馬車は帆がなく、干し草ともにリディアとディアンは荷台にいた。


(むしろ、私たちが歩いた方がいいのでは?)


 それくらい牝馬は年をとっていた。正直自分たちが本気で歩いた方が速いのではないかと思ったけれど、汗だくで訪ねるのもアレだし、今回は任務でもないし。普通の人ならやっぱりこういう手段を利用するのだろう。


 なによりもディアンが、到着時間を遅くしたいみたいで。そして、馬は疲れた様子もなくぽっくりぽっくり歩んでいるから、リディアはそのままでいることにした。


 空は快晴でもないけれど、穏やかな風が吹き、日は時々雲で陰る。リディアはなんとなくディアンを見る。


(もしかして。田舎だから帰るのを嫌がった?)


 そんなわけでもなさそうだけど。


 そして、彼は降りるぞとリディアに言った。指一本分に見える大きさの一軒家が、刈られた芝の中にぽつりと立っていた。


 家の周りには柵があった。繋がれているヤギと奥には馬小屋があるようだ。屋根からは煙がでている。


「うわー-!!」


 大草原のちいさな……じゃなくて、アルプスの少女、じゃなくて。そこからぴょんと茶色い兎が出てきて、鼻をひくひくさせて柵の向こうに佇んでいる。


「うさぎ!」


 駆け寄ろうとしたリディアをディアンが引き留める。


「お前は……子どもか」

「リディアちゃん!?」


 その時木造りのドアが開いて、リディアを迎える女性がいた。小柄な体には素朴なエプロン。黒髪に、穏やかな瞳。光を浴びて柔らかく紅めの虹彩が細められる。


 “ちゃん”付けをされて驚いたリディアは、慌ててたちあがる。


「ようやく来てくれたのね、ありがとう」

「いいえ、あの、遅れて……すみません」

「いいの、いいの、入って、とっても不便な所でしょ。それなのに来てくれて嬉しいわ」


 素朴というより純朴そうでいい人だ。開けられたドアからは、バターの焼けるいい匂いと砂糖の焦げるキャラメルの匂いがした。


 クンクンと兎のように鼻を鳴らしたリディアの様子を見て、彼女は笑った。


「何を作っているか、当ててみて」

「え」


 その無邪気さにリディアは驚いたけれど、和ませる笑顔にリディアも思わず答えてしまう。暖炉脇には木組みの籠、その中に入ったたくさんの林檎。そしてそれが焼ける甘い匂い。


「アップルパイ、ですか?」

「大正解」


 彼女はパン、と手を叩いて喜ぶ。そして気まずそうにドアの前に佇んでいた息子を振り返る。陰りつつある日を浴びて、彼の上には影が降りていた。


「ディアンもいつまでそこに立ってるの。二人で手を洗ってきて。ちょうどパイが焼けたところだから」


 裏口の井戸で手を洗った後、リディアは手を拭きながらディアンを見る。彼は顔をバシャバシャ洗っていた。それにタオルを渡しながら、何となくそのまま顔を見つめる。


「なんだ」

「ううん」


 いい家だ。お母さんも優しそうだし、ディアンを愛しているのがわかる。夕食時には父親も帰って来ると聞いていたし、夫婦仲も悪くなさそう。


 ディアンぐらいのお金と権限があれば、都会に呼び寄せて不自由なく暮らせさせるのも問題なさそうだけど、それをしない理由も想像だけど感じてしまう。

でもまだそれは言わなかった。


「熱いうちに、どうぞ。リディアちゃんは、パイに生クリームとアイスクリームは載せる?」


 熱いアップルパイに、たっぷりの生クリームにアイスクリーム。最高の組み合わせだ。


「ディアン、あなたもでしょ」

「いや、俺は……」


 先ほどから、いや、ずーっとこの件に関しては先輩は語尾が続かない。その先がない。何かを言いかけては相手に先制されて黙らされている。


 そして、横にならんだリディアの横のディアンのテーブルにも、大きなアップルパイにバニラビーンズたっぷりのアイスと、生クリームが絞られたお皿が並ぶ。しかもアップルパイは赤くワインで煮詰められたリンゴが敷き詰められて、その上にはクッキー生地を砕いたクランブルがたくさん。ちょう、おいしそう。


「あ、私も……そのお恥ずかしいのですが、これ、よろしかったら」


 慌てて手土産を差し出すと、朗らかな笑顔で受け取り紙袋を覗いてくれる。


「あらスコーン!!私も大好きなの。それから薔薇のジャム!! 素敵ねっ」


 ほらほらほら。薔薇のジャムは乙女的には素敵アイテムなのに。


「後で娘や夫も帰ってくるから、その時のおやつにしましょう。ディアン、それでもいい?」

「いや、俺は――」


 さっきから、それしか言ってないよ。気圧されているようなディアンは気まずそうに紅茶をすすった。


「甘いもの大好きなくせに」


 え、そうなの!? 食べているのみたことない。いや、一応リディアが作ったのは、何も言わずに食べていたけど。


 言ってよ!!


「アップルパイ、大好きでしょ」

「……」


 彼は無言で、アップルパイにアイスを載せて口に入れた。リディアのお菓子を食べる時と同じだ。


 基本、彼は食べ物を残さない。戦地ではなんでも食べられるようにしておかないといけないから。彼は食べられる虫でも、草でも食べる。草と同じような顔でリディアの作ったものを食べる。


 その時と同じ顔で、人が作ったお菓子を食べるから違いが判りませんでしたけどね!


 お菓子が好きとか初めて聞きましたけどね!


 リディアはしばらくディアンを見ていたけど、別に見ていても何もならないことに気が付いて、自分の目の前のアップルパイに手を伸ばす。


「美味しい!!!」


 なにこれ。生クリームにアイスクリーム、更にでかいケーキ。甘いに違いないと思ったのに、すごくおいしい。クリームが口の中で溶けていく。


「生クリームは絞りたてだし、バターもうちのよ。林檎もここの名産だからね」

「そうなんですね」


 見た目は素朴で、都市の有名店ほど洗練されていないけど。それよりも素材がすごくいい。そして美味しい。すべて平らげたディアンの横で、リディアもパイを堪能した。


「よかったら作り方教えてください!」


 同じ材料がそろうとは思わなかったけれど。それでもディアンの好物ならば覚えたい。そう勢い込んでリディアが身を乗り出すと、婦人は笑って「じゃあ明日作りましょう」と返事をした。


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