Ep. 9 - 4 聖夜までのカウントダウン
戦闘のあったという場所。
なのに、数時間後の今はもう新しい雪で何もかも覆い尽くされてしまっている。
「先輩……」
絶対何らかの痕跡は残っているはず。
リディアは目を閉じて、地面にしゃがみ込んだ。
雪に片手を付く。空中に浮かぶ魔力の残渣を探すよりも、地面に伝わる魔力のほうが見つけやすい。
(絶対に、見つける)
――彼は生きている、ただほとんど魔力を放出していない。
彼の魔力を思い出し辿る。色、匂い、形。彼のすべてを構成しているもの。
地脈に沿い己の魔力を流して隅々まで探索をする。
山の隅々まで自分の魔力を流し込んでいく。気が遠くなるような、自分がなくなり、溶け込んでいくような感覚。
血の匂い、ドラゴンの無念の咆哮、ディアンの放つ桁違いの魔法がドラゴンを切り裂く。
これは過去の映像なのか。揺れる木々、積もり落ちる雪、流れる吹雪……。
ふと、流れていく景色の中で何かが引っかかった。
雪の斜面、木々がそれを覆う。
風が雪を舞い上げる、その中で風が渦をまいた。
ほんとうにわずかな、何かの欠片にリディアは目を開けてすっと立ち上がる。
雪の中に突っ込んだ手は、真っ赤になっていた。
「あちらに……」
何か、ある。
また吹雪が強くなる。
リディアは魔力の欠片のようなものを追いかけて、視界よりもその呼ばれる感覚に頼る。
『――私たち、身体の相性はよかったじゃない』
その時、思い知った。彼女とディアンの時間を。その時のディアンは彼女のモノ、だった。
――付き合い、身体を重ねると相手の魔力が残る、と言われている。
リディアは、できるだけディアンに自分の魔力をつけたくなかった。
「なんでだよ」と言われた。ディアンは不満だったようだが、どうしても、とリディアは首を振った。
彼は皆のモノ、自分の存在は残しちゃいけないとか。そんな言い訳をしていた。
――自信がなかっただけなのだ。
胸を張って、自分が隣にいていい存在だなんて言えなかった。皆に対してじゃなくて、ディアンに対して主張できなかったのだ。
あの彼女のようにはなれなかった。
そう言われたことに腹が立ったのは、そう主張できる彼女が羨ましかったからだ。
自分が情けなかった。
(――残せばよかった)
自分の魔力を彼につけておけば、そうしたら見つけられたのに。
あんな馬鹿な宣戦布告をしたって遅い。
リディアが彼につけたものは……何もない。
けれど、絶対に見つける。
そう誓った。
***
頬を打つ雪の塊、耳も鼻もかじかんで凍えてくる。
法衣のフードを深くおろし、首に巻きつけたディックのマフラーを鼻まで引き上げると、冷気で痛んだ鼻が少し和らいだ。
「先輩……」
この雪の下に倒れているのかと思うと、ぞっとする。
でもディアンのことだ、例え傷を負ったとしてもこんな場所で無防備に倒れるはずがない。傷を負ったのならばどこかで癒す場所を探すはず……。
少しでも寒さを和らげる場所、風を防げる場所を選ぶはず。
山の斜面、木の陰……何かないか。
吹雪く風で、目が開けていられない。
……いっぱい貰っている。
大きくて力強い優しい手も、包み込む魔力も。
手を繋ぎ、キスをした。落ち込んでいると頭を叩かれて、頭を包み込まれて抱き締められて、痕を残された。
リディアには、ディアンの痕跡が残っているのに、リディアは何にも……何にも残していなかった。
足を一歩一歩踏み込む。
進む先から、足跡が消えていく。
初めて迎える誕生日、不安もあったけれど「おめでとう」と言いたかった。
伝えたい言葉も……贈りたいものもあったのに。
危険と隣合わせの仕事だから、いつでも彼がいなくなる覚悟しているなんて嘘だ。
嫌だ、もう会えなくなるなんて絶対に嫌。
「先輩、ディアン先輩!!」
口を開けるとなだれ込んでくる雪の塊、それだけで冷気に喉も侵される。
一歩一歩進むのでさえ困難な道を、踏ん張って進む。
(……必ず……見つける)
いつも、リディアが助けてもらっていた。いつも、必ず来てもらっていた。
だから今度こそ。
自分の感覚は間違っていないと、信じて足を進める。
大丈夫、この先に必ずいると感じた。
気を張りめぐらせて、少しでも何かが触れるものがないかと意識を研ぎ澄ませる。
不意に頬を、違う風が撫ぜた。
渦巻く風が通り過ぎていく。
先ほど、探査の時に感じた違和感、吹雪とは違う風が渦巻き、そして一つの方向へと流れていく。
雪の盛り上がる場所、何かの岩だろうか。
炎の球を目の前にまで掲げて、吹雪を防ぎながら目を凝らす。
そこに大きな雪の塊があり、よく目を凝らすと岩が覆われていると気付いて、リディアは眉を顰めて、そこへと足を進めた。
岩の前には、木が覆うように倒れている。
その奥に人が通りぬけられるような小さな隙間があって、よく見ると深い穴になっているのがわかった。
「……先輩?」
木を押しのけようとしても、雪が積もったそれはびくともせず閉口する。
結局、無理やり身体をすり抜けさせると、奥の中は大きな空間だった。
透明な壁のようなわずかな抵抗がある。
強い魔法で作った防御膜だけど、なぜか触れだけでぽわんと簡単に入れてしまった。シャボン玉の幕を通り抜けるようなわずかな弾力だけ。
その奥には、誰かがいた。でも動かない。
目を凝らすと、予想通りの人がいた。
「先輩!?」
ただ彼は壁際に寄り、身体を折りまげて横たわっている。
そして奥に巨大な何かの存在があった。
光球を掲げると、大きな塊があって叫びそうになったのをこらえた。
分厚い氷に包まれている巨大な獣。
あまりにも大きすぎて、弱い光の中では一部しかみえない。足と腹、天井近くまであげてみると、ようやく鼻先がみえた。
緊張しながら見つめると、目は見開かれているが、まったく動く様子はない。命は絶たれている。
スノウドラゴンを氷漬けにして殺すなんて、どんだけ俺様の能力見せつけ攻撃なんだろ。
と、そんなのを頭の端で思いながらも、目の前の瀕死の彼にすがりつく。
「先輩、ディアン先輩!! ディアン!!」
いくら呼んでも彼は目を覚まさない。黒い法衣に触れるとべっとりと湿っていた。リディアの手のひらについたものは、彼の血だ。
慌てて法衣をめくると、その黒い戦闘服のジャケットも血にまみれている。ちぎれたジャケットをめくると、ボディスーツさえもちぎれて形を成していない。
胸部から腹部にかけて深い傷がある。おそらくドラゴンの爪にやられたのだろう。
出血は止まり、服が張り付いてしまっている。
洞窟の中は、冷え切っていた。ドラゴンを氷漬けになんかするからだ。
吹雪と、彼の魔力に吸い寄せられる魔獣を防ぐために張った遮蔽膜が、彼が行えた唯一のこと。
あとは魔力を潜め、生体の時間を止めることで出血を止め、仮死状態にして自身を保っている。
リディアは、泣き笑いのようなものを浮かべた。
「先輩、先輩。――仮死を解いて」
このまま救援を待つ手もあった。
けれど……この仮死状態でいつまでもいさせるわけにもいかない、これはあくまで一時的なものなのだと感じられたから。
「傷を治して、蘇生させるから……お願い」
リディアは遮蔽幕を振り返る。本当にわずかな隙間だった。
「こんな小さな隙間、誰も気づかないよ」
でも、おまえならわかるだろ、と。見つけるだろ、といわれているみたいだ。
「私じゃなきゃ、わからないよ」
抱きしめると、彼からは微かな匂いを感じる。
気配を感知させないため、彼は香水をつけない。でもリディアは彼の魔力を匂いとして感じる。ディアンの魔力はジェニパーベリーの苦みがあるウッディな香りとシトラスの香り。
それから、ディアンの独特な魔力波の形。人によって魔力波は違う。それは指紋のようなもの。
ディアンは同じ型を持たない。常に変化していてけして彼だと限定されることがない。
でもリディアにはディアンの魔力だとわかるのだ。
小さな光がつながれ、その合間を蔦のような魔力が絡み合い、たくさんの星を描き、それがレース編みのように組まれ大きな結晶を描いて彼を覆っている。
彼の魔力はきれいだ、リディアはそれさえも好きだった。
「先輩、仮死を解いて」
外の吹雪は強い。吹雪が止まないと救援は来てはもらえない。
でもそれを待っている余裕はない。
「必ず助けるから――信じて」
彼の意識はない。でもリディアの声が聞こえたのだろうか。
いや、リディアが来ると同時に仮死が解けるように彼は自分の魔法を設定していたのだ。彼の傷から血があふれ出して、リディアは慌てて自分の法衣を脱いで、そこにあてて止血する。
彼の時間が動き始めた、猶予はない。
呼吸は浅く速い、頸動脈の圧は力強いが速い、これはよくない証拠だ。現に、腕の脈は弱く感じ取れない。すでに出血多量のショックを起こしている。
彼のちぎれたボディースーツと上着を腰に差したナイフで断片を引っ張り脱がせる。彼の上半身を裸にして、魔力波を同調しながら、傷に手をかざす。
――時間にしては、それほどではないだろう。けれど、出血がなくなったことで、傷口がふさぎかけているのを知った。
「……っ」
「先輩?」
ディアンが微かに眉を顰め、うめく声が漏れた。だがその顔色は悪く、唇も白い。
「先輩!?」
「……」
リディアは慌てて自分のジャケットを脱いでディアンにかぶせる。
体温の低下が激しい、身体を温める術がない。
出血は止まり、傷も致命的なものではなくなった。
ただ彼の震える身体と、青白い肌から、出血と寒さによるショックで心停止が近いとわかる。体温低下を何とかしなければ、彼は死んでしまう。
入り口まで戻り、遮蔽幕を解く。倒れていた巨木と岩で、入り口の吹雪を防ぐように配置して、隙間を作る。密閉空間で火を炊くことはできない。
奥のドラゴンの死体の放つ魔力で、衛星通信も個人端末もすべてが妨げられる。救難信号を打つが、いつ頃気づいてもらえるのか。
ディアンのそばまで行き、転がっていた岩でかまどをつくり、ボディスーツを含めて着ていた服のすべてを脱いで裸になった。
火球を出現させて脱いだ着衣を簡易的なかまどに入れて火をつける。燃える時間を調節させて、少しずつ燃えていくようにした。
穴はあけたし、煙は天井に高く昇っていく、これだけ広いから充満することはないだろう。
「……先輩……」
彼の冷え切った頬に手を当てる。
「先輩、こんなことしかできなくてごめんね」
裸のリディアは上半身裸のディアンの震える身体を抱き締める。
氷のように冷えた体にしがみつき、肌を密着させて手を彼の背中に回す。
「先輩……生きて」
唇を覆うように重ね、吐息から魔力を流し込む。
自分の金色の髪が彼の頬の横に流れ落ちる。
冷たい唇が、生気を感じられなくて泣きそうになる。けれど微かに漏れてくる呼吸が、命の証で、たまらなくなる。
唇からだけじゃない。冷たい身体にしがみついて、全身から魔力を流し込んだ。
彼の体が無意識にリディアの魔力をむさぼり食う。
全部あげてもいい。だから助かって。
――毎年、彼の誕生日に訪ねてくる女性が嫌だった。
でも嫌だと見せるのが、また嫌だった。
過去につきあった彼女のことを尋ねるのも情けなくて、一切興味のないふりをしていた。
でも、生きていてくれるならばいい。
もうそんなのいい。
冷たい身体を抱き締める。魔力も、体温も、全て、全部あげるから。
「ディアン先輩。全部、私をあげるから。だから――戻ってきて」
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