Ep.9 - 2 聖夜までのカウントダウン

 ――はっ…………くしょんっ!!


 ディックが派手にくしゃみをして、ティッシュで鼻をかんで、それをポケットに入れる。やだな、それ。ゴミ箱に捨ててくれないかな。


「で。ボスは行ったのか」

「俺は『一人で行けよ』ったね」


 ディックがティシュ箱を占用しながら、グラスをあおる。中身はウィスキーのロック。風邪をひいているのに、ぐいぐいあおるのはどうなのか。


「冗談じゃねーし」


 ディックはディアンには厳しいところもあるけれど、命令には忠実だ。けれど、今回は違うみたい。今日のアレの会話のあと、命じられる前に先手を打って言い放ったらしい。

 

 そっけなくというよりも、はねのけて断ってきたようだ。


 ディックは先日まで北国への潜入捜査で帰ってきたばかりだった。そこで風邪をひいて恨み節全開だ。任務が終わって帰ってきてから症状が出るんだから、根性だなと思う。


「俺は寒いとこは苦手なんだよ!」


 ディックは南のほうの出身だ。今回は、現地人に成りすましていたからボディスーツも着用できなかったみたい。


 速いペースで氷だけのグラスに、濃い琥珀色のウィスキーのボトルを傾けるからリディアはそれを手で覆って止める。


「もうダメだよ。風邪ひいてるんだから」

「アルコール消毒だって」


 酒好きは、みんなそういう。アルコールを飲んでウイルスを消毒って、意味不明。余計に体を傷めるだけ。


「もうおしまい。これにして」


 リディアが差し出したのは、陶器に入った温かい飲み物だ。


花梨かりん生姜しょうがの蜂蜜漬け。お湯で割ったの。私と一緒」


 ここは、師団の幹部の休憩室。普段から団員たちがカードをやったり酒を飲んだりする場所。


 リディアはお酒が飲めないから、たいていはお茶を飲んで付き合うが今日はこれ。ディックが風邪をひいているから、漬け込んでいた花梨の蜂蜜漬けの瓶を差し入れに持ってきたのだ。


 そして飲み物のお供はディックが買ってきたホールケーキ。


 聖夜のイベントではケーキを食べるのが王道だが、まだ数日早い。これはリディアを慰めるためだろう。


 さっきの一件で気が重たくてフォークが動かないが、ディックがせっかく買ってきてくれたのだからと、リディアはせっせと口に運ぶ。


 チョコレートのミルクレープケーキだ。クレープの層にフォークを刺したときの感触が好き。

 ディアンがいないのが寂しいが、「あいつはいいんだ!」と二人が言うから、いいことにした。裏忘年会を兼ねているらしい。確かに“裏”ならばボスはいらないよね。


 ちなみにシリルは甘いものを食べないから、ディックと二人で食べることになった。


「お前はいい子だよ。くたばれあのカス」


 リディアが渡した器を飲み干しながら、ディックはその言葉を付け足した。


「『私も行かねー』って言ってやったね」


 シリルも言い放つ。


「『んなとこ、子供が産めない体になったらどうしてくれんだよ』って」


 それにはディックも返事ができず黙ってしまう。突っ込めばいいのか、シリルの本気なのかちょっと迷っているみたい。


「リディアもつれてくなよ、って言っといた」

「――私?」


 それは初耳だった。探索能力は上がっているし、メンバーに入れられてもよかったのに。ただ、エンシェントドラゴンという大物だから、自分の存在はディアンの中にかすりもしなかったのだと思っていた。


「――したら、あのバカ」


 シリルが言いかけて口を閉じる。


 え、何? やめられたら気になるのだけど。


 リディアはぬるくなったお湯割りを飲み干して、底にあった花梨をピックで刺し、口の中に入れて、もにょもにょ食べる。


 ディックが何だよ、って促している。


「『アイツ、まさか妊娠してんのか?』って」

「っ、ごほっっ」 


 むせた。花梨が気管に入ったよ!!


 けっ、とシリルが吐き捨てる。


「『一番に言われねーよ―じゃ、終わりだなって』って言ってやった」


 ――みんな、台詞に毒が入ってるよ。


 不意にディックがグラスをもって立ち上がり、リディアから距離をとって遠くの斜め端の椅子に座る。


「ディック?」

「――俺に近寄るな! 風邪がうつったらまずいだろ!!」

「してないよ! …………妊娠、は」


 ちょっとこの話題は恥ずかしい。だって…………あの人と、そういうことしてるって認めているようなものだし。


 顔が赤くなってリディアはパタパタと手で顔を仰いだ。アルコールは一滴も口にいれていないのに。


「いや、念のため。ほら、お前を俺は信じてるけど」

「何がだよ。清い妹じゃねーんだよ、とっくに食われてること認めろよ」


 シリルが突っ込むと、ディックはムッとしてグラスをあおる。


 ちょっともうやめてこの話題。


 そしてディック。その手にあるのアルコールだよね。花梨のお湯割りは全部飲んでくれたけど、またお酒に戻るんだね。


「リディ。あいつに何かやるのか?」

「――やらなくていい」


 ディックが奥でボソッとつぶやいた。


「腐って、もげちまえ」


 ディック。ペース速いよ。

 心配と目で訴えるけど、ディックはまたもやグラスに酒を注ぐ。もうそれ原液だよね。冷えてないよね。


「ほんとは、いろいろ考えたんだけど――」


 シリルが聞いているのは、ディアンへの誕生日プレゼントのこと。

 正直、何がいいのかわからないのだ。いろいろ選んではみたものの、喜んでもらえるかはわからない。


「まあ、ボスが一番欲しいのはリディだけどな、がっついてるし」

「ドラゴンの胃酸で溶けてしまえ」


 ディックが奥で悪態をついている、ちょっと酔いが回ってきてるんじゃないかな。


「――ほんとに、そうか、な」


 リディアは力なく頭を下ろした。手の中の個人端末は反応がない。

 あの後、ディアンからは何の返事もなかった。リディアも自分の仕事に戻ってしまったし、ディアンはすぐにドラゴン討伐の編成隊を作って出かけてしまった。


 もう、ため息しかでない。ずっと心の中はあの美女の姿と言葉でいっぱいだ。


「リディ。あっちから謝ってくるまで反応するんじゃねーぞ」


 シリルの言葉にうなだれる。


「もう、遅いよ…………」


 だって、だって。


 あれから五時間もたっている。


「わたし、やっちゃった…………」


 シリルに自分の送信履歴を見せる。

 そこには一言だけ。


 “――やってあげれば”


 元カノの頼みを聞いて“彼のふり”をしてあげればって。嫌みな一言だ。


 ずーっっと彼からの反応を待っていた。任務だから仕方がないって思って。でも待ちきれなくて、耐えきれなくて、頭の中がグルグルして、考えれば考えるほどに冷たい怒りのようなものが衝動的に沸き起こって。


 もうほんと、ばかだ。


 冷静で物わかりのいい彼女を演じたつもりだった。でも根底はいやみだ。


 いまはもう泣きたいほどの後悔。こんなものをもらったら相手は怒るだろう。嫌な思いしかしないだろう。


「いいんだよ。リディはもっと嫌な思いをしたんだから」


 シリルが頭を引き寄せて、撫でてくれるけど心はここに戻ってこない。バカな行動をしたことを何度も頭でリフレインする。


それ端末預かる。じゃねーと、リディはまた送るだろ」

「……………………もう遅いよ」

 

 そしてまたバカだ。そのあとも返事がないから。


「――『ごめん』って。また…………送っちゃった」


 一時間前。


 泣きながらトイレで送ってしまった。でもそれにも返事がない。


 うざい、うざい女だ。


 二人が顔を見合わせて、それからシリルがまた頭をなでる。


「――っんで、リディが謝るんだよ!! アイツの頭を掴んで地面にめり込ませて足で踏んづけてやる」


 ディックが切れた。


「俺が五分ごとに『くたばれ』って送り続けてやる。基地から通信システムで設定してやる」


 シリルが、んー、とケーキの箱に結ばれていたサテンの赤いリボンを手に持つ。

 先ほどから酒を飲みながら戯れに、指に巻いては離し、指に巻いては離し、を繰り返していたものだ。


 それを両手でつかんで、不意にリディアの頭の上で結びだす。どうやら頭のてっぺんで、リボン結びをされているみたいだけど。


「シリル、何してんの?」


 若干目が据わってるよ、酔ってる?


「いやボスへのプレゼントだけどな――」


 そう言いかけて、シリルがリディアをじっと見つめてくる。ディックも悪態を止めてリディアを見て、黙り込む。


「どー思うよ」

「…………かわいーじゃん、か…………よ」

「私も、ちょっとびっくりした。似合ってて」

「なんかに出てきそうだ」

「地でいく『不思議の国のアリス』だな」


 二人の称賛だか何かに恥ずかしくなるが、遊ばれているんだよね。


 そしてシリルが端末を構えて写真を撮りだす。いつものことだけど、なんで私の写真をそんなに撮りたがるの。


「送るなよ、誰にも」


 ディックがくぎを刺すと、シリルがあっさりという。


「待ち受けにすんだよ」

「それならいーけどな」


 よくない気もします。


「ディック、ボスにこの写真送っとけ。食っちまうぞって」

「っ! ばっ…………か」


 ディックが立ち上がり、それから腕で口を押える。その真っ赤になった顔に唖然とする。


「……………………ちょ」


 一瞬何のことかわからなかったけど、ディックの反応に遅れて理解した。


「んなことしねえし!! つーかリディ、お前にんなことは、しねえから、な」 

「う、うん、うん。もちろん」


 必死なディックに頷く。


「リディがボスへのプレゼントに悩んでんなら、『私を食べて』って言わせようと思ったけどな」

「な、なんだよ、それ」

「男は好きだろ」

「ば…………好きかどうかは…………」


 人によるだろ、と小さくディックはつぶやいた。リディアを見て、それからそっと顔をらした。またお酒をあおる。


「もったいねーからやめた」

「だろ、だろ!」

「見せてやるもんかよ、今日はうちらで観賞だ!」


 そろそろ帰ろうかな。


「ま、ボスはほっとけ。返事なんか、あいつはドラゴンを足蹴にしながら打てる」


 それをしねーのはバカだからだ。ディックが吐き捨てる。


「返事してこないのは…………うざいって」


 ――思ってるからだよね。

 しょぼくれていると、シリルが「どうしていいかわかんねーんじゃねぇの」と呟いた。


「本命のリディには自信がねーんだよ。で、困り果ててるに一票」

「しょーもねえけど、どうしようもねえ!」


 ディックがケッと吐き捨てた。


「お前ならどうする?」

「花もって謝りに行く」


 ディックは即座に答える。

 その前に元カノと誠意をもって別れねぇから、んなことになんだよ、と。


 ディックはフェミニストだ。どちらかといえば、彼とトラブルになった女性を助けてあげることのほうが多い、それで好きになられても上手に傷つけないように断っている。


「できなきゃ、せめて花送るだろ。花屋に電話一本で済むんだから。仕事のせいにしてそれが出来ねーならアホだ」


 そういわれてもリディアの耳には入ってこない。ここで話をしていると気がまぎれるけれど、また一人になるとバカなことしちゃう。


「リディ、それ端末もう触るな。私が預かる。じゃねーとまた送るだろ」

「う」


 またメッセージを送りそうになっていた。『ごめんね』と。


「でも、大丈夫。やっぱり、持ってる」


 二人がなんとも言えない顔をして、それからシリルが頭をなでてくる。


「せっかくの先輩の誕生日だったのに…………」


 ちゃんとお祝いしたかったのに。なんで泣きたいのか、自分でもわからない。

 無事に帰ってきてほしい。ちゃんと謝りたい。笑顔で祝いたい。 


「リディ、大丈夫だって。精鋭連れてってるから。んで帰ってきたら私がしばいてやるよ」

「――うん」



***


 

 二人と別れて部屋までの階段をあがる。


 シリルが建物の前まで送ってくれたけどやっぱり、一人になると考えてしまう。こんな気持ちでケーキを焼くのはつらいなあと思う。


 ディアンが当日までに帰ってくるかわからないけど、やっぱり誕生日の準備しよう、と思う。


 そのそばから女性のことを思い出してまた悲しくなる。


 個人端末を取り出して、何も連絡がないことに落ち込んで、いっそブロックしてしまえと思う。


(そうだ! ブロックしちゃえばいいんだ)


 そうすれば、気にしなくていい。


 そう思いながら、端末をいじり、ため息をつく。


 できるわけがない。

 

 自室の入っている古びたビルの階段を上がりきり、見えてきたドアの前に見慣れぬものがあって足がフリーズした。


 ドアの前に立てかけられていたのは花束。


 ピンクのオーガンジーと青いレースに包まれているのは、ホワイトローズとピンクのカーネーションと黄色のガーベラ。カスミソウと赤い実でかこまれていて、清楚でかわいらしいものだった。


 送り状もないし箱にも入ってないから宅配じゃない。


 彼が手渡しに来たのだ。


『――二十五日までには戻る』


 一言のメモが、ドアに貼ってある。


 リディアはそのメモをじっと見つめて、それから花束に指で触れた。ディアンの魔力が少しだけ残っている。

 

 言葉にならない。


 どうしてか、泣きそうになった。安堵と、申し訳ない気持ちと、嬉しいという思いと。


 ただ大きく息をつく。


 勝手に落ち込んで、勝手に嫉妬して。


 ちゃんと話したい、声が聞きたい。


 そう強く思う。


 そのためだろうか、個人端末が振動している気がした、じゃなくて本当に着信だ。慌てて相手を確かめずに応答すると、シリルだった。


『――リディ、落ち着いて聞けよ』



 その前置きは嫌な予感がした。



『グレッシャーランドのメンバーからSOSがあった。雪嵐の中ドラゴンと遭遇、戦闘中に雪崩が起きてボスが消息をたった』


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