Ep. 9ー1 聖夜までのカウントダウン

――十二月二十五日。


 それは他国の信仰する神の子の生誕祭。

 グレイスランドを含むこの周辺諸国でも、その信仰を持つものは少なくはないが、どちらかといえば恋人や家族が過ごす日としてのイベント色が強い。

 

 とはいえ、聖なる日。

 

 ――その日は、一部からは魔王と呼ばれるディアン・マクウェルの誕生日でもあった。


***


 ――三日前。


 大量の食材が入った袋を台所で下ろして、リディアは息をついた。

 ブロック肉は、すじを切断、お酒に漬けこむ。野菜も刻んで、調味料に漬け込んでおく。ゆで卵も今日のうちに作っておけばいいかと。 


 明日、仕事後にすべての調理に取りかかれるように今日できることはやっておく。


(――夜にケーキを焼いて、デコレーションは明後日!)


 ピスタチオの粉末を入れた緑色の生地のシフォンケーキを作るつもりだ。生地にはクランベリーの赤い実を混ぜ込む。生クリームでデコレーションをして、上にたくさんのベリーを飾ろう。


 ちょっとは、聖夜をイメージしたケーキになればいいなと思う。

 イベント日でも、仕事が休みになるわけじゃない。


 合間を縫っての準備になる。


 リディアは段取りを考えながら、緩めた頬をペチペチ叩く。


 大変だけど。


 ――でも、うれしい。

 

 当日は恋人たちのイベントの日。彼は「どこか店をとるか?」と短く聞いた。


 長い付き合いだけど、恋人になって初めて一緒に過ごす日だ。

 レストランでのロマンティックなディナーも素敵。


 でも、リディアは首を振ってこたえた。


「――二人だけがいい。私が食事を作るからうちに来て」と。


 聖人の誕生日なんて関係ない。


 ――彼の誕生日を祝いたかった。


***


 第一師団の基地は鉄壁の守りを固めている。

 特定されないよう位置もランダムに変わるし、来訪者は生体情報と魔力波をスキャンされる。部外者は簡単には入れない、それは他団の幹部でも同じ。

 

 なのだが。


 その日は、大きな案件も抱えておらず、団長であるディアンも執務室から出てきて、中央のミーテイングルームに幹部連中が集まっていた。

 話題は、基地のシステムや他団と結ぶ協定の更新のこと。皆ラフに座ったり立ったりしているが、それなりにバンバンと話は決まっていく。


 差し迫った危機はないため緊迫感はないが、無駄を嫌う人たちだ、だらだらと集まりはしない。 

 リディアは幹部ではないが、ここ最近ますます上がる探知能力を認められ防御システムの話で呼ばれて、テーブルの端のほうに座っていた。


 そんな中、皆が顔を上げたのは同時だった。

第一師団ソードの仲間ではない魔力波に、誰もが警戒を見せたが、敵ならば即警報が鳴る。敵ではないとわかっているため、あくまでも顔を上げただけ。


 構えるものはいなかった。

 

 その注目を当然として、固い床を悠然とヒールで打ち鳴らし入ってきたのは予想以上の美女だった。


 肩先で切りそえられた髪は、ブルネット、きつそうな眼差しだが美人だからそれさえも魅力になる。

 襟なしのシャツは黒。胸元は大きく開いていて、男性の目元を引き付ける。柔らかそうな素材は安物じゃない絹の光沢だ。ハイウエストのタイトスカートを包むヒップは高く持ち上がり、抜群のプロポーション。


「情報管制局の局長だ」


 ひそっと誰かが呟いた。情報管制局は、師団全体に入ってきた情報を管理統制し、共有化または師団へと個別に仕事を振る役割をしている。

 

 彼らは時に各師団間の調整役も務める。

 これまた独立した組織で、師団の影響が及びにくい治外法権。その局長は団長まではいかないが、ほぼ横に並ぶ高い地位だ。

 その自信たっぷりな視線は奥のテーブルに座るディアンしか向いていない。


 リディアは、何となくではなく明らかに嫌な予感がした。


(――ディアン先輩の好み、だ)


 ううん、過去に付き合っていたような女性と似ている。彼は自分からはアプローチしないが、寄ってくる女性たちはたいてい同じタイプ。


 自分とは決定的に全部が違う。

 

 そしてその女性は、ディアンの前に立つと腰に両手を当てて顎を上げ、座る彼を見据えた。

 身長も百七十センチ以上あるだろう。


「――ディアン。お願いがあるんだけど」


 やはり彼女の用はディアンだった。相手の職場に乗り込んで、周囲の反応おかまいなし。しかもファーストネーム呼び。


「――ディアナ」


 ディアンがため息のような声を漏らした。


 異国の月の女神ダイアナと同じ名の女性は、自分の言いたいことだけを場に投げつける。


 周囲も何となく嫌な予感を察知していたが、この来訪者には声をかけられない威圧感があった。似ているのだ、ディアンに。俺様なところが。


 さすが狩人ハンターと呼ばれる女神様だけのことはある。


「前の男とうまく別れられなくて。ストーカーっぽくなったから、あなた、彼のふりをして断って」


 ディアン先輩は、わずかに目を険しく細めただけだった。


「――なんで俺が」

「元カレだから」


 周囲がわずかに身じろぎした気がした。固まったのは、あまりディアンと話す機会がない中堅の人間。


 大きな舌打ちはディックだ。誰に対してだかは、わかるようなわからないような。


 リディアの頭の中は真っ白になる。


 けれど同時にやっぱりね、とつぶやいていた。

 強気なブルネットのスタイル抜群な女性。

 わかりやすすぎるよ、先輩。


「アンタじゃないと納得してくれないのよ」


 ディアンが口を開く前に、彼女は続ける。


「ただとは言わないわ。全部終わったら、またお互いに楽しみましょ?」


 彼女が前にかがんでテーブルに手をつくと、胸の谷間がはっきり見えた。そののぞき込む目はディアンを挑戦的に誘っていた。

 

 リディアの思考は完全に止まっていた。


 動悸がうるさい。最初は血の気が引いていたのに、今は顔も胸も熱い。


 ナニコレ。ナニコレ。


「――断る」


 ようやくディアンが断るけれど、遅くない?

 ていうか、これなに。


「そんなこと言っていいの? 私達、身体の相性はよかったじゃない」


 リディアは端っこで立ち上がる。椅子が倒れるガタンという音が大きく響いたような気がした。


 ディアンの顔が見られない。彼が見ているかどうかもわからなかった。


「おいアンタ。そーいう話なら、二人でやってくれ。放りだすぞ」


 シリルが冷たく言い放つと、彼女は肩をすくめて背を向ける。

 長い脚に視線が集まっているのを当然として、モデルウォーキングで戸口に向かう。


「あ、ところでもう一つお願い」


 灰色がかった深紅なマッドな口紅。その口角を上げて笑う顔は、団員の放つ視線をものともしていなかった。 


「グレッシャーランドの最北端のアイスマウンテンで古竜エンシェントドラゴンが目を覚ましたそうよ。退治するなり下僕にするなり好きにしちゃって」

「うちの担当じゃねーだろ」

「だから、お ね が い、って言ったの」


 エンシェントドラゴン。千年以上も昔、魔法の黄金期時代から生きている伝説に近い竜だ。その力は強大。そこんじょそこらの竜が雑魚に見えてしまうほど。


 それを退治しろという依頼を、痴話げんかの仲裁のついでに頼んでくるのは、明らかにディアンへの挑発だろう。


 いや、本当にお誘い、なのかもしれない。


 その女性は、悠々と出ていった。ディアンの返事も待たなかった。


 パンプスの裏は真っ赤。ルブタンという高級靴をはくのにふさわしいその堂々とした歩き方。


 ――自分とは、大違いだ。


「おい、リディア!」

 

 ディアンが呼ぶ声が聞こえたが、リディアは無言でその部屋を出た。



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