Ep.8 背くことなく、重ねる想い-そのあと

 発表が終わった院生室は、開放感よりも燃え尽きた感が占めていた。教授にコテンパンにやられたもの、その様子を見て青くなってダメージが抜けきらないもの、または子どもの保育園のお迎えで、それに構わず慌てて帰る支度をするもの、参加者から回収した意見をまだ見られないもの、様々だった。


 発表に参加しなかったリディアが、袋をぶら下げて声を張り上げる。かなりの量が入っているのか、重みで弛んでいる。


「お疲れ様です、これ差し入れです」

 

 袋から透き通り見えるのは、ハーゲンダッツのアイスクリームだった。皆が疲れた様子ながらも、リディアに顔を向けて笑みを浮かべる。


「リディアも、このあと打ち上げ行こうぜ」


 男子学生が、リディアのもとに歩み寄り、肩に手をおいて声をかける。さりげない様子だが、妙に不自然な笑み。彼がリディアを意識して意図して誘っているのは明白だった。


「私は発表してないから」

「いいじゃん、そんなの関係ないよー」


 他の女子が声を張り上げる。

 全体的に、発表できなかったリディアに気を使っている雰囲気もあったが、リディアが吹っ切れた顔をしているので、もう遠慮はない。


「な、リディア」


 男子がここぞとばかりに推す。キーファが割り込む前に、リディアは静かに首を振った。


「うーんと、今日はいいや」

「なんで?」

「ちょっと疲れたから、早く帰るね」


 まだ粘る男子は何かをいいたげだったが、リディアはもう終わりとばかりにキーファを見て、手にした袋を振る。


「キーファはアイス何が好き? 食べていって」


 博士の学生と、発表を聞いていった修士の学生の分、おおよそ十五人分くらいをのアイスをリディアは差し入れしたようだ。


「俺はあまったもので」

「いいから」


 リディアが袋からテーブルに並べていくと、どんどん消えていくアイスクリーム。


「キーファは、バニラとか?」

「それも好きだけど……」


 キーファは言葉を切ってそこで黙り込む。リディアがその不自然さに顔を上げる。


「――当ててみてください」


 えっという様子で皆がこちらを見る。アイスをしっかり食べながら興味深く見ているものもいる。からかうように口を挟むものはいなかった。


 キーファがそのように人を試したことはない。意外に思われるのを感じながらも、キーファの意識は、目の前のリディアにしかなかった。

 

 当のリディアは少し考えた後、口を開いた。


「抹茶、かな?」


 キーファは面白そうに目を細めてリディアを見た。自分に対してリディアがどういう思考をしたのか、知りたい。それは少しリディアの気持ちを知ることになるから。


「どうして?」


 そんなキーファを見たことがないのだろう、先程の男子が驚いてこちらをみている。


 女子はリディアに向けて拳を握って合図をしているが、リディアは応援をされているのに気がついていない。


 リディアは、髪の毛と化粧を直したようだった。一眠りしたせいか顔色がだいぶよくなっていた。いつもは困らせてしまうが、リディアは楽しんで応えるように、頬を緩ませた。


「イメージ? というか……」


 朗らかに笑みを浮かべ、珍しく鈴を鳴らすように楽しげに声をあげた。


「私が好きだから!」


 その笑顔に、キーファは思わず目を奪われて、声を失う。

 光り輝くようなものではないが、柔らかく和ませるものがあった。

 親しみと可愛らしさを見せる顔に、さきほどの男子学生が顔を赤くしていたのも、キーファは気づいていた。


 だがリディアは、自分のセリフが失言だと思ったようで、わずかに動揺していた。


「ごめん!! 勝手にイメージとか。えーと、他にもあるから……」


 キーファは残りの少なくなったアイスのビニール袋を覗き込むリディアの横に立つ。


 下ろした髪の毛が顔の横に垂れる。耳の上で留めたピンは、四角く透明で、ゼリーのような飾り。

 リディアは師団では髪を結んでいるか、ただ下ろしていて飾りをつけていることがない。

 幼いというには語弊があるが、学生らしく歳相応のおしゃれをしているリディアに、ふと愛しいような甘い思いを抱く。


 昨日からずっと、可愛らしい。


「じゃあ、それで」

「いいの、好きなの選んで」


 キーファはリディアの袋を同じように覗き込みながら、高い背を屈ませ、そっと彼女の耳元でささやく。


「好きですよ――あなたが」


 そのセリフにリディアが固まる。手を止めて、顔も動かさない。けど顔だけが赤い。しっかりと彼女の耳に届いたことに、キーファは満足そうにわずかに口元をほころばせた。


 恋人でもない相手、普通であれば、嫌がられても仕方がない。けれど、拒絶されないくらい心を許してもらえている自信はあった。


 事実、リディアの顔は赤いままで、でもまだ顔を上げてこない。意識されたことだけで満足を覚え、それ以上の発言は避ける。


「抹茶、もらいます」

「あ、え、あと。……うん」


 リディアが掴んだままのアイスクリームを袋の中に手を入れて取ろうとすると、手が触れる。


 握るような真似はしない、力が抜けたリディアの手からさり気なく引き取ると、ようやくリディアも顔を上げて、少し困ったようにキーファに笑みを返してくる。


 これは――。


 今までとは違う反応にキーファも驚く。

 淡い期待を抱くつもりはないが。


 更に詰めて反応を確かめようと口を開く前に、リディアがふいっと首をそらす。そしてキーファもその気配に気がつく。


 今や部屋の皆がそちらを見ていた。


「――え」


 誰かが声を上げ、慌てたように口を押さえる。まるで声を出したことで、ヤバいと思っているかのよう。


 その相手は、声も出さず音も発さず、ただ開け放たれた後ろのドアに寄りかかっていた。

 黒いジャケットに、黒いパンツ。普通であれば、その黒ずくめの恰好に奇妙な相手と思うが、その印象を相手に持たせない。


 それは、彼の放つ魔力の迫力と、相手に畏怖ともたせる存在感からか。目を反らしてしまうのに、つい見てしまうのは、ある種の魅力があるからなのか。 


「……ディアン・マクウェル……団長?」


 誰かが呟いたその名に、「うそ!」と女子叫ぶ。師団にいなくても、魔法師ならば、誰でも知っている存在。

 その声は、嬌声だった。「カッコいい!」と女子が叫んだ声が空間に響き、女子たちが小さく小突き合う。

 

 疑問をもつよりも、驚きで呆然とする学生が殆ど。


 ディアンは、それらの興味津々の雰囲気を全くものともせず、淡々と「――リディア」とはっきりと呼ぶ。


 顎をかすかに上げて、来いと呼ぶ仕草までしてのける。


「――え?」


 生徒たちが、そろってリディアを振り返る。それはリディアの反応を見たがっていた。


 一体どんな関係なのか。すべての答えをリディアに求めるように、リディアを見つめる視線。


 ディアンは助けをだすつもりはないようだった。後はリディアに任せられている。


 リディアは、先ほどとは違う表情で顔を赤く染め、無言ですぐにバッグを取りに向かう。


 有名人に呼ばれたと優越に浸らないのがリディアだった。そんな人であればキーファも、ディアンも好きにはならなかっただろう。


 ――だがディアンはかすかに不満のようだった。


 寄ってきたリディアの背中に手をおいて、教室から押し出すようにして「帰るぞ」と更に、はっきりと宣言する。


「もしかして、まさか――」


 最後までは、かの悪名高い団長の前では言えなかったようだった。ただその妙に高い声が中途半端に消えて、その声を発した女子はおさまりが悪い顔で、黙り込む。 


 リディアはディアンに押されるがままに一度は背を向けたが、不意に足を止めてディアンを見上げ、「待ってて」とはっきりいう。


 そして、みんなを振り返り「先に、帰るね」とだけいって手を振った。

 そのはにかんだ笑顔。


 今度はためらいも、気まずさもない。堂々とした様子で告げると、ディアンに向き直り「来てくれて、ありがとう」と言っていた。


 ディアンのその返事はリディアの頭に軽く手を置くこと。その近い関係は、一目瞭然。


 が、不意にリディアは、再度こちらを向く。


「キーファも、一緒にご飯食べにいかない?」


 は? という顔をしたのは、学生だけじゃない。確かにリディアの後ろでディアンも僅かに眉をあげたようだった。


 声には出さないが、リディアの提案に面くらい、なんでだ、と思ったようだった。


 リディアにしてみれば、礼のつもりだったのか。


 キーファにしても驚いたし、ディアンの来るなよという無言の威圧は感じ取っていた。

 まさか恋人同士の間に入るのも面白くはない。


 が。


「――じゃあ、お言葉に甘えて」


 ――その間に入るのもたまには悪くない。


 そう思って返事をすると、確かにディアンの顔がしかめられたのが見えた。反してリディアは嬉しそうに笑った。


「お礼したくて。ありがとね」

「いいえ」


 そうして、二人の方に歩いていく。


「――どんな関係なの?」


 誰と誰が、付き合ってんの? とそれに疑問を浮かべる生徒たちを背後に、キーファは教室を後にして、笑いかけてくるリディアの横に並んだ。




*キーファ初告白?覚えてないのですけど、もしそうだったら、ちゃんとした告白をさせなくては不憫ですね! どうだっただろう…。

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