Ep.6 はじめてのふたり
*本編の卒業式からすぐの話。
治癒対応をしていたメディカルルームから出て、第一師団の中心部へ向かうところで後ろから片腕を掴まれた。
僅かな警戒とともに起きた防御の反応はすぐに消えた。馴染みのある魔力、掴んでくる感触、すべてを知っている。
接近しても気配を気づかせないのは彼自身の能力の高さ。ただしリディアが気づいたのは彼自身がわざと明かしたからだろう。
そのまま引き寄せられて前を向かされたまま、上から覗き込むように背後から囁かれた。
「――今晩、いいか?」
どこか緊張を秘めた声音。
頷く前に外れた腕に、ようやく振り仰ぐとやっぱり硬く張り詰めた顔が見下ろしていた。
あ、行くのだ、と思った。
団長の彼が、平団員の自分に行動のすべてを明かすことはない。リディア自身が加わる作戦ならばともかく、トップシークレットで成功が難しい作戦ならばなおさら明かされることはなく、少数の精鋭で遂行される。
ただ、そういうときの様子と少し違う気がした。
帰還が難しいなど本当に遂行が難しい案件は、ディアンはすでに覚悟を決めているから割合穏やかな顔つきをしていることが多い。
リディアに最後に会いに来るときも、静かな気配をまとっている。でも、今回は緊張が強い。よほどの内容なのかもしれない。
(明日は、内勤だ)
朝からの勤務だが、彼と一晩過ごすことに対してためらいはない。
――こういう時、毎回最後かもしれないと思う。互いに別れの言葉を出さないで、でもその最後の時間を共有して、お互いの胸のうちに、その思いをそっと落とし込む。
付き合うことになってまだほんのわずか。
距離も変わっていないし、肉体関係も持てていない。
常に覚悟はしてきた。ただの後輩であった自分が彼女になった。その関係になっても、いつも気持ちに変わりはない。
リディアは内心の思いを隠して、彼を見上げて「うん」と声に出して頷いた。
最後の時間かもしれないという胸が張り裂けそうな緊張を出さず、彼の顔をしっかり見つめ返した。
***
時間の指定はされていなかったけれど、仕事を終えて事務処理を終えた夜七時頃、彼の部屋のドアの前に立つ。防弾・防魔処理が施されたレアメタルのドアは分厚くて、中の様子を伺うことも、いるかどうか魔力を感じることもできない。
ドアの前に立てば、顔認証と魔力波スキャンがされて、内部の彼に知らせが行き、ドアが開くはず。でも、全く反応がない。
(……まだ帰ってきてないのかな?)
そう思った時、同時に口が塞がれて強く拘束される。また緊張に身体が強ばるが、その覚えのある感触にまた緊張が緩む。
「――静かに。声を出すな」
なんで、こんな。いつもヤバい人のようなことをするのか。
ディアンが自室の前に立つと静かにドアは開き、彼はリディアを抱えたまま部屋に入る。同時に音を立てずにドアは閉まる。
ようやく口が開放されてリディアは眉を寄せる。
「なんで……」
「見つかったらうるせーし。今しかないんだよ」
仕事から抜けてきたのだろうか。この後、すぐ出なくては行けないのだろうか?
リディアの胸が締め付けられる。
僅かな時間で、これが最後かもしれない。でも、その胸によぎる不安や痛みを彼に表すことはできない。そんなことをしていたら、彼の側にいられない。
ディアンは前に周り、リディアをドアに押し付けたまま両手で身体を挟み込んで、リディアの出口をなくす。
その押し迫るような緊張に、リディアも真剣な眼差しで彼を見返す。
「鍵はかけてない。お前には選択肢がある。――まだ無理なら、お前はドアを開けて出ていくことができる」
(……鍵?)
そのセリフに、リディアはちょっとだけ疑問符を浮かべたが。すぐに打ち消した。首を縦にも横にも振らずに、ただ決意を秘めた眼差しで見上げた。
「覚悟はできてる。いつだって、もうずっと前から」
ディアンはぐっと奥歯を噛んだような音を喉の奥で漏らし、顔を僅かに歪ませた。
リディアを閉じ込める手を拳にして握りしめる。まるで何かを自制するかのように。
「この先から一歩進んだら、もう俺は自制しない。お前を逃さない。それでもいいか?」
リディアはディアンが塞ぐ部屋のその先を見た。団長である彼の部屋は、ホテルのスィートルームと言っても通用するぐらい広い。
廊下、その先のリビング、その先はおそらく寝室。
どうもいつもと切羽詰まった感じが違う気がするが、リディアは頷いた。
「いいよ」
彼はリディアを抱きしめた。まるで逃さないとでも言うように、これまでになく強い力だった。
そして顔を寄せて、リディアの耳朶を両唇で挟んで柔らかく喰む。
「……んっ」
甘く漏れた声は自分のもの。それ以上に下腹部でじんわりと熱が広がり、うずくような感覚が広がる。
「お前は、耳が弱いな」
「……そんな、ことな……ぁ」
熱を持った唇が耳の下から首筋に降ろされて、否定する言葉は消えていく。
「リディア。俺はお前に痛い思いをさせたくない。だが、少し辛いかもしれない」
(……ちょっと待って)
「大事にする。……よくするから、耐えられるか?」
そ、ういう、話?
吐息が熱い。リディアは声を漏らす。強く吸われたうなじを宥めるように優しくキスを落とされると、身じろぎしてしまう。
「お前、ここも弱いな」
その意味と嬉しげな声に、顔を赤らめて言葉を失った。
そういう話、なのだ。ようやく理解した。
急な展開すぎて、頭がついていかない。
……まさか今日とは思わなかった。
でも。
いいよ、と頷いていた。
「先輩と、したい」
ディアンが目を細めてリディアを見下ろす。その瞳は確かに優しくて、愛しいと言っていた。
閉じ込めていた腕を外して、リディアの手をとり、部屋に先導する。
「あの、先輩。これから出るんじゃ」
「明日は休みだ」
「あ、そうなんだ」
「――お前もそうだ」
「え!? 私は勤務だよ」
「休みにした」
「は?」
「じゃなきゃ、合う日がない」
――確かに。
来週からは、ダーリング教授と共に砂漠を越えて図書館都市に赴く。砂嵐で一週間ほど出発が遅れたのだ。
手を取られて、ソファに座らせられる。抱きしめられて、彼の匂いを胸に吸い込む。
「……シャワー浴びるか?」
頭上から響く声に焦りを覚えた。そ、そうだよね。
「そ、そうだよね、うん」
***
備え付けのシャワーブースは、平団員のものとは違って立派だった。洗面所兼脱衣所のなかでリディアは立ちすくんでいた。
(いま。なんだよね、今!?)
服を脱いでいきなり焦る。下着は普段用。黒のレースだけど、刺繍もないし、何回も着ているやつだし、こういう時用じゃないのに!
『――リディア』
ドアの向こうからノックされて焦る。
「は、はい!」
『タオル、棚にあるから』
「わかった! あ、ありがとう」
覚悟を決めるしかない。いつかはこうなると望んでいたし、いきなりだったけれど。
それに……たぶん。
好きな人と結ばれる。それは、すごく幸せなことで。
ディアンとならば怖くない。
(たぶん、嬉しい)
すごく、嬉しい。
――そう思った。
***
リディアは、困っていた。
シャワー中は、あまり先のことを考えないでいた。まだ意識していなかったからだろう。
途中からは、もうなるようにしかならない、そう思っていた
そして、今度は新たな問題が発生して、脱衣所で固まっていた。
(……服、どうすればいいの?)
下着も。
着て出るの? 全部着て出るの?
(いや、裸はおかしいよね!! 裸は!!)
タオルで胸元だけを隠して、顔だけをドアから覗かせてみる。
彼は、ベッドに腰をかけて何か考え事だろうか、宙を見つめていた。
(めずらしい……)
大抵、隙間時間は報告書を眺めたり、モニターを出して指示を出すとかしているのに。仕事をしていなくても、常に気を張り詰めて威圧的な魔力を出しているのに。
ぼんやりしているわけでもない、リラックスでもない、でも何かいつもと違う、落ち着いているようで、落ち着いていないような。
リディアを部屋に呼んだときもそうだったけど、いつも尊大で迷いがない彼とは違う。リディアにもわからない雰囲気だ。
「あの……」
リディアが、ためらいがちに声を出すと、ハッと気づいて。驚くほど足早に、こちらに歩んでくる。
(呼んだわけじゃないのに!!)
こっちに来られても。ただ、聞こうと思っただけだ。
「どうした? なにか、あったか?」
「あ、、の、その」
まだ心も体も準備が……!!
リディアは前をタオルで隠したままうろたえる。ドアだけが防護壁だ。
「……服、どうすればいい?」
彼は軽く息を吐く。それからフッと力の抜けた表情でわずかに笑って、少し湿っているリディアの髪の毛を梳くように掻き上げる。
壊れ物を扱うかのように、丁寧に触れるその指先は優しい。
そしてまだドアの向こうに隠れていた、リディアの頭を胸に引き寄せた。
「いい。……どっちみち、俺が脱がす」
リディアの頭に鼻先を押し付けて、囁かれた言葉が頭のなかでジンと響く。
(ど、っち、なの……)
その言葉なのか感触なのか、リディアは思考も身体も止めて動けなくなった。
*読者さまから頂いた感想でつい書いてしまった話です。リディアも混乱していますが、ディアンも混乱(緊張)しています。
案外、砂嵐で出発を遅らせたのはディアンの仕業かもしれないです。とりあえず出発前に自分の女にしておかないと、みたいな。じゃないと、機会がないもんねー。
続きは……どこ、かな?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます