Ep.5-13 金木犀の祝福を

 連れて行かれたのは、広場の端。丁度、全体を見渡すことができて、でも人影がないスポットのようなところ。


 日が落ちて、あたり一面が青い光に包まれていた。ブルーモーメントと呼ばれる僅かな時間。


「アイツと約束したのか?」

「アーベル?」

「……」


 リディアは、約束がどこまでの範疇かわからないまま、うんって頷いた。


「私も、魔法学校では色々あったし。アーベルも大変だと思う。ディアン先輩だって大変だったでしょ?」


 彼はわずかに不機嫌そうで、思い出しているのか自分には覚えがないと思っているのか。その表情からはわかりにくい。


「先輩、もしかして……私たちがドームに入るの見てた?」


 あの時、アーベルがドームの入口で振り向いていた。何かを感じていたとしたらディアンの存在かもしれない、と思った。


「まあな……」


 じゃあずっと待っていてくれたのか、ってみくるちゃんの変身見られてたの!?


(声、かけてくれたらよかった……いや、かけられたら困る)


 うう、見られていたのか。

 悶々と悩むリディアをそのままにして、ディアンも何かいいたそうな顔だ。


「とにかく、アイツラが言うように気をつけろ」

「アイツラ?」

「自覚がないなら自覚しろ」

「してるよ」


 アーベルの気持ちをないがしろにしているつもりはない。

 それを思いながら答えると、彼は腰に手を当てたまま息を吐いた。


「ディアン先輩?」

「――おまえ、翠玉エメラルドのタリスマン貸せ」

「え」


 手を差し出したままだから、慌ててリディアは首からそれを外して彼に渡す。

 ディアンはそれを黙って手の中でいじってしばらくの後、リディアにまた返してくる。


 渡される前から少し違いに気がついていたけれど、改めて見下してリディアは言葉を失った。


 リディアの魔法石のペンダントは、タリスマンとして使っている。それは家にあったシンプルな金鎖で繋げてあったけれど、今は違う。


 鎖は以前よりも太めだが、素材はなんだろう。金にも銀にも見える、目の前にかざすと虹色にも煌めく。そして、ハート型の石を同じ素材の葉が土台のように支え、蔦が絡まるように囲んでいる。まるで石は花のよう。


 翠の煌めきを消さず、けれど守るようなデザイン。


「これって」

「お前はすぐ、誰かにやっちまうからな。それなら、失くさないだろ」

「……」


 なんて言っていいのだろう。どう返事をしたらいのだろう。 


「あり……がとう」


 リディアは、それ以上は言えないで鎖の留め金を外して、首の後ろに回す。けれどディアンが見ていて焦るからか、うまく留められない。


 ディアンが後ろに回って手を伸ばしてくる。


「やってやる」


 リディアが返事をする前に、鎖を持つ際に互いに掠めた指先に慌てて手を離す。

 

 僅かに沈黙が降りる。

 

 ディアンが後ろにいる、すごく近い距離だ。あともう少しで触れてしまう、けれどけして体は触れない。


 ネックレスが胸に落とされる。留め終わったはずなのに、まだディアンはそのままだ。


「リディア……」


 そのささやくような呼び声に、リディアも動けないでいた。


 静かで、何を考えているかわからない。彼の吐息も、聞こえてきそう。


 彼がまた指を伸ばした、そう思った。


 瞬間、冷たく強い風が吹き抜ける。ディアンはそのまま目を細めただけ。


 リディアは顔を抑えようとして、ひらめいたスカートに慌てて前の裾を押さえた。無理、後ろのスカートもめくれる!!


 それは湿気を含んだもので、顔に吹き付けた雫に驚く。


「雨?」


 あんなにいい天気だったのに。


 ざああああと風が梢を揺らし、葉が掠れ合う。


 その強い風に、金木犀の花が下から一面に舞い上がる。強い芳香が立ち込める。

 まるで全ての花びらを持っていくかのような風だ。


 そして地面が揺れる、ディアンが身構えるがすぐに緊張を解く、それはリディアも同じだった。


 広がる光景に目が奪われる。


 緑の芝生上に波が広がるようにリディア達を中心に一面に白い花を咲かす。シロツメクサの花は揺れて、風に巻き上げられて、その下からは桜色の花が顔を出す。


 揺れる芝桜の花びらもまた風に巻き上げられて、空へと吸い込まれていく。

 色とりどりの花々が入れ替わり咲いて四季を廻らせる。


 ワレリー団長の魔法だ。


 季節の花々を召喚し、咲かせることができるのは大地の王だけだ。


「上……!」


 誰かの声が響き、広場に歓声が満ちる。


 冷たい水を含んだ風が止む、代わりにブルーの空には一条の帯状のものが王宮から広場を横切っていった。

 銀色の優美な姿は、人間たちを見下ろし咆哮をあげた。


「……あの親父、アウダクスを呼びやがった」


 ――アウダクスは空の王。大地の王の盟友。


 彼を――四獣をどう扱っているかは団長クラスの秘密だ。リディアも封印がどうなっているか知らされていない。それは最高機密だ。


 一匹は封印下へ、また一匹は協力者へ、一匹は行方がしれず、そして。


 けれど、まさか、その神獣を呼び出すなんて。 

 天には満月が昇っていた。それを囲むのは光輪。


「月光環……!」


 彼が優美に身体をくねらせて、月を周る。

 通った跡には黒みを少しずつ増す青い空に浮かぶ真白の月、そして白、青、水色、黄色、赤の層を描く淡い虹――。


「――全部、もってきやがって」


 ディアンが忌々しそうに呟いて、息を落とした。


「リディ」


 彼の声に視線を戻す。


「――ハッピィ……バースディ」 


 ディアンの声は穏やかで、優しげな顔。なにより直ぐ側でリディアを見下ろしていた。


「ありがとう、ディアン……先輩」


 リディアは彼の顔をじっと見上げて、それから笑った。ついこの間にも祝ってもらったのに。


「それより、お前。その格好っ……」

「……!」


 そういえば、胸が見えるって言われてた。ディアンの位置からは見えるかもしれない。


 いや、スカートもめくれていたし。

 見られた? 見られた?


 リディアは胸を押さえて、彼から後ずさるように離れて、それから立ち止まった。


「お前は……!」

「先輩に見せるつもりはなかったの!!」


 彼がすっと目を細めて、片眉をあげる。

 彼に叱られるのを覚悟したとき、声が蘇る。


 ――カワイイのに。もったいないよ。


(――全然、意識されてなくても……)


 ――ドキドキさせちゃいなよ。


「――先輩には、見せないよ」


 腕を広げて、くるりと回るとスカートの裾が舞い上がる。空を見上げると群青の空からは、花びらが一枚ふわりと落ちてきた。


 一回転して背中に腕を汲んで、距離を詰める。そして言葉を失くしたディアンの顔を覗き込む。


「……似合うでしょ?」


 もしかしたら、上も下も、見えていたかもしれない。


 でも、それぐらい、いいよね。

 彼に笑いかけて、リディアは怒られる前に、駆け出した。


 スカートが翻る。それがとても軽かった。


(ドキドキしてくれたらいい)


 ――意識、してくれたらいいのに。



 ***

 

 逃げ出すように駆け出したリディアは、かけられた声に足をとめた。


「リディア!」


 目の前に駆け寄ってきたキーファは、焦っているようだった。


「キーファ、ごめんなさい。大変だった?」

「いいえ。それはすぐに済んで――」


 そう言って彼は気まずそうに黙り込んだ。どこか言葉を飲み込んでいる様子にリディアは心配になる。


 と、同時に思う。いい香りがする。どこからだろう。


「誕生日、おめでとうございます」


 そして、彼はリディアを真っ直ぐに見下ろし、告げる。それは今日何度目かの言葉。

 でも、何度聞いても嬉しい、何度でも同じものは一つとしてない。

 全部、それぞれの気持ちが入ったものだ。


「ありがとう」


「すみません、何も用意できなくて」

「ううん、さっき皆からフィブラをもらったから」

「そうですが、そうじゃなくて……」


 キーファが言い募り、そして用意しようと思ったのですが、と未練のように広場にちらりと視線を向けるから気がついた。


 昼間の会話、そして今の視線。

 花屋はすでにテントがたたまれて、周りは飲食で盛り上がる客達で詰めていた。


 もしかして――。


「気持ちだけで、嬉しいから」


 これ以上は貰えない、そう言っても、キーファは気まずそうなまま、ハンカチに包まれた何かをポケットから出して、そして開いた。


 芳香がふわり、と立ち込めた。そこには、橙色の小さな小さな花が沢山集められていた。


「金木犀……」


 広場に植えられたのは、今日一日だけ。

 そして先程の風で全部花は空に舞い上がってしまった。もう、花びらはないはずなのに。


「風魔法で……空に舞い上がるのを集めたんです。それしか、できなくて」


 キーファはいつの間にそんなことができるようになったのだろう。


 リディアが彼の顔を見返すと、彼はまだ苦笑していた。

 けれど、諦めたようなサッパリした顔で、掌にそれを落とすと、リディアの頭上に舞い上げるように解き放った。


 金の星が降る。


 それは雪のようにふわりとゆっくりと落ちてきて、いつまでもリディアとキーファの上に降り注いでいた。

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