Ep.5-10 金木犀の祝福を


「アーベル、ケイを探しに行こうか?」


 ずっと黙って後ろで立ったままだったアーベルを振り返る。みくるさんに遠慮したのかな? でもこわばった表情にリディアは首を傾げた。


「アーベル?」


 近寄って手を差し伸べたら、不意のことだった。彼がリディアの手を掴む。そして強い力で引き寄せていた。目の前に地面が迫る、えっと思う。


 左手を地面に突こうとしたら、倒されたまま右手を捻るように仰向けにされて、気がついたら上に乗ったアーベルに押さえつけられていた。


 自由だった左手もアーベルに押さえつけられて、右手と同時にくくられる。


「アーベル……なにをしているの?」


 少しだけ怒気をにじませて、彼を睨む。足はまだ自由だけど、アーベルの顔が真剣というか、切羽詰まった顔で、リディアは怒気を緩ませる。


「ねえ、離して」

「――リディア、変わったよね」


 なに?


「前のリディアだったら、あんなの受け取らなかったよ。それに……雰囲気も違う。あんなふうに……任せたりしなかった」


 あんなの? あんなふうに? リディアは内心首をかしげる。キーファやウィル相手のことだろうか。確かに彼らとの会話の時、アーベルの様子はおかしかった。


 というか、ずっとアーベルは彼らに対して戦闘モードだ。

 どこか苦しそうなアーベルをわかろうと、リディアは告げる。


「アーベル、どうしたの?」

「リディアはもっと気を許してなくて。もっと気を張っていたよ。あんなふうに気安く……笑ったりしてなかった」

「……ねえ、アーベル。とりあえず手を離して」 


 このままじゃ話もまともにできない。身動ぎするけれど、アーベルの押さえつける力は強かった。リディアを片手で押さえつけているのに、それが外れない。


「無駄だよ、リディア。僕のほうが、もうリディアより強い」


 妙に据わった目で、そして断言したアーベルはリディアを見たあとぐっと顔をしかめる。リディアはより力を込める。手も腹筋も。足で蹴ろうとしたけれどやめた。


 確かにもう、彼はリディアよりも強い。力も、それから魔法の腕も彼のほうが断然上だ。


 見上げるアーベルの顔は、まだ幼さを残している。でも背は、頭一つ分だけしか違わない。押さえつける腕は、まだ子どもなのに大人の男性と同じくらい強い。

 リディアに言い切った彼は、そのまま顔を近づける。


「待って、アーベル」

「こんなの……つけられて!」


 バーナビーに吸われた跡だ。だいぶ薄くなったけれどしっかり残っている。アーベルに文句を言われる筋合いはないけれど、その声が苦しげで、そして悲しみも混じっていてリディアは声をなくす。


 そうしていると、彼がリディアを押さえつけたまま唇を首に触れさせた。


 さすがにまずい。そして彼の意図はもうわかっていた。じゃれ合いじゃないし、子どもの癇癪でもない。


「アーベル!」

「無駄だよ、リディア。僕に敵わない」


 彼の片手がリディアの頬を撫でる。首筋に唇を触れたあと、その唇がリディアの顎先に、そして頬のラインにもキスをする。


「もう僕は、幼獣じゃないんだ」


 ――アーベルは、ワレリー団長の息子だ。

 彼は、神獣だ。神獣の子の成長速度はわからない。アーベルは同い年の子と比べてませているとは思うが、もともと敏い。


 団長の子、神獣の血を引いているせいかはわからない。


「ねえリディア。僕のこと――好きになってよ」


 淋しげで、苦しげ。それは叶わぬ願いを、思いを伝える目。


 リディアは目をギュッと閉じる。


 アーベルは生まれたときからずっと見てきた。弟のようで、リディアの家族だった。リディアに触れる手は、子どものそれじゃない。男の子のようで、触れ方は、男の手だ。


 そしてリディアは彼を見た。


「アーベル、それはできない」


 アーベルの思いはわかった。でも、リディアは彼を男性としては見ていない。家族として助けられた。でも、違うのだ。


「アーベル。これが最後よ――離して」


 リディアは焦らずに、はっきりと告げた。彼を見て、頑なな声で。

 押さえつけるアーベルの手が握りしめられる。傷ついた眼差しで、でもしっかりと受け止めるように。


「――わかってたんだ。僕だって感応系魔法師だ。リディアの気持ちは――ずっと」

「ごめん」

「……あやまらないでよ」


 アーベルはもう子どもじゃない。だからリディアも子ども扱いしないで、ちゃんと思いを返した。


 手を離して離れるアーベルは、立ち上がり顔をくしゃっと歪めた。


「それでも、僕はリディアが好きなんだ、ずっと、生まれたときから」


 リディアは座ったまま服のシワを伸ばす。リディアは、ことあるごとにワレリーの家に招かれていた。そして家族と言うものを教えてもらった。

 留守がちな両親に代わってシッターとしてアーベルといることで、思春期で荒れがちなリディアは随分と助けられた。


 アーベルは、胎児の頃からの記憶がある。だから彼もリディアと一緒に育ってきた。そして、彼は十六歳になり、ふさわしいと認められたら、ワレリーから聖獣の力を受け継ぐ。


 聖獣として、そして団長としてワレリーにふさわしいと認められる。


 ――人の身で、その力と記憶を全て受け継ぐ。


 それがどんなに重圧か、彼はけしてみせない。それに比べたら、魔法学校で首席でいることなど軽いものだろう。


「リディア、行こう」


 彼は今までの告白をこらえるような顔をして、座ったままのリディアに手を差し伸べる。

 

 リディアがその手を取ると、強い力が引き上げる。

 

 少し開いた距離、そして前へと歩き出したアーベルの背をリディアは抱きしめた。

 頭一つ分しか違わない。もうこんなに大きくなった。きっと次に会うときは、もう抜かされている。


「リディア……」

「うん」


 ぎゅうっと抱きしめて頭に頬をつける。幼獣ではない、でも十六歳で成獣になるのだろうか。それはあと少し。


「アーベル。今日は一緒に寝よう。……いっぱい話聞くから」


 布団を並べて、魔法学校のこととか、本音を聞かせて。

 そう言うとアーベルが前に回したリディアの手を掴む。


「それって、いつまで?」

「……え?」

「僕が成獣になるまでいいってことだよね」


 いつ成獣になるの? もしかして十六歳? それまでって、ちょっとあれじゃない?


 数年もすれば、立派な男の子だよね。あれ? 男の子なの? 十四歳ぐらいになると、もう背丈はリディアを抜くよね?


「ねえリディア、いいよね?」

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