Ep.5-8 金木犀の祝福を

「アーベル……」

「遅くなったね、リディア」


 まだ十一歳なのに、魔法衣を翻し堂々とした貫禄で部屋に入ったアーベルは、折りたたみのパイプ椅子に座るりディアの前に膝をついた。


「リディアが困っている時に間に合わなくて、ごめん」

「……アーベル」


 穏やかで落ち着いた口調。しかも膝をついて下から見上げ、リディアの両手を包み込むように握りしめて、安心させるように笑う。


「ドームの中には僕も一緒に行くよ」

「……二人の世界をつくってるよーだけどさ、ステージどうすんの?」


 チャスにはちらりと視線を向けたけど、アーベルはその姿勢を崩さない。


「君が代役をすればいい」

「は? しかもその上からのセリフ、すんげーむかつくんだけど。このクソガキ」


 アーベルは動じずに、すっと立ち上がると、キーファが差し入れてくれた未開封のペットボトルの水を見る。そして何かを呟くと、それをチャスに差し出す。


「ハイディーの術式は解析できている。これで君も変身すればいい」

「無茶だって! しかもお断り!」

「そのなんとか、っていうのと同じステージに上がれるのに? 一番近いだろ」

「………………いやいや、俺が女装とかないから!」

「リディアが今の衣装をそのまま着ていれば、別の衣装を用意するだろ。魔法衣を着せてくれとかなんとか言えばいい」

「え!? 私このまま?」


 アーベルは困ったようにリディアを微笑んで見た。


「時間がないから。このまま行こう」


 手を差し伸べられても。せめて着替えさせて。だって、ドームに逃げる意味……もとい、探しに行く意味がない。


「……俺がぁ?」 

「メンバーと衣装の打ち合わせをしたいって交換条件ぐらいだせないのかな? 自分次第だろう?」


 チャスの微妙な表情に、アーベルは説得なのか脅しなのかわからない説明をする。


「二人に会える機会だろう? 一生に一度の」

「しっかたないなあ」


 なんか説得されてる! チャスもそれでいいの? 


 チャスはまじまじとペットボトルの中身を眺めている。無色透明で、ただの水にしか見えないけど。

 チャスが半信半疑でそれを飲むと、姿が代わり、リディアと同じようにピンクの髪が肩までの内巻きのみくるちゃんになっていた。


「まじ!? しかも胸がある!」


 胸元を引っ張って覗き込んでいるチャスに、リディアはこら、と声をかける。女の子は自分の胸を嬉しそうにみない。

 頭をはたきそうになるのを堪える。


 体型は変えられないってハイディーは言ってたけど、アーベルのはそれより高度な術式ってこと? だってチャスはみくるちゃんのことなんにも想像していない。リディアよりも詳しいとは思うけど。


「さ、リディア、時間がない」


 自分のパンツを覗き込もうとしているチャスに、今度こそリディアは頭を叩く。はしたない!


 一人残すのが心配!


 そんなチャスに見向きもしないで、アーベルが急かす。


 今度こそ、リディアは逃げるために――じゃなくて、ケイとみくるちゃんを探すために、ドームへと向かった。


 ***


 ドームはもう閉鎖。入口には鍵をかけ、終了の札をかけてある。リディアが解除魔法をかけていると、ついっとアーベルが顔を広場の方に向けた。


「アーベル?」

「……ううん。なんでもないよ、リディア」


 ステージまでは残り十分。もう間に合わないけど、この姿のままウロウロしていたら目立ってしまう。リディアは慌てて中に入った。


 ドームの中は明かりを落としてあり、天井の透明な強化シールドからは日没前の最後の強い輝きが、キラキラと差し込んでいた。

 自然光を取り入れるようにしてあったけれど、天窓の格子模様が木々の隙間から差し込んで、文様を芝生に落とす。


 それは綺麗すぎて、むしろリディアの胸に切なさを抱かせた。


「綺麗だね」

「うん……」


 夕暮れ前に閉めちゃうのは、もったいなかったかな。


「……先生!」


 森のすぐ入口に立っていると、見知った魔力波と姿が見えた。キーファとウィルだ、知らない男の子二人を連れている。


 ウィルが先に駆け寄ってくる。キーファが連れている子たちを見て、なんとなく予想をつけた。


「閉鎖間際に忍びこんでいたみたいです」

「……」

「入ったのは二人だけだってさ。施錠されて途方にくれてウロウロしてた」

「困ってない!」「泣いてない」


 ようやく声を発した二人は、やや声が上ずり、鼻をすすっている。

 ウィルは二人を見ずにリディアに奥を指し示す


「一応、森は見てみたけど、まだ奥のほうは見れてない。マーレンが探してる」

「そう。ありがとう――君たち、お名前は?」


 リディアは子どもたちの前で屈んで、二人に話しかける。


「…ユーベル」「ジョン」


 やっぱり鼻声だ。鍵がかかってたら怖かっただろう。けど、閉鎖のアナウンスはかなりしたし、誘導も徹底したのだ。


「そう、教えてくれてありがとう。怪我はない?」


 一人は不貞腐れて黙り込んでしまって、一人は気まずそうにそっちを見たあと、小さく頷いた。


「閉鎖するって知っていたよね。どうして入り込んだのかな?」

「……」

「まだ遊びたかった? 理由を聞かせて」

「だって……ジョンがまだ飛びたいって」

「ユーベル!」

「そうか。気に入ってくれた?」

「ちげーよ。別に、全然!!」

「ジョンがまだやりたいって、入り込んじゃえばいいって!」

「それで忍び込んだんだね。それで、飛べたのかな?」

「……」「……」

「ここの魔法はね、色んな人の力でできてるの。だから、自分だけじゃ飛べないんだ。誘導してくれる森の精もいたよね。終わりですって言われたよね。約束は守らないといけないよ」

「……」

「おにいさんたちが来なかったらずっとこのまま閉じ込められたんだよ。お母さんやお父さんは、ここにいるって知ってるのかな?」

「……」


 黙りこくったあと、首をふる二人。

 それから小さく口を開いた。


「ごめんなさい」「悪かったよ」


 リディアは小さく笑った。


「じゃあ保護者のところに、キーファ連れて行って、そして事情を話してくれるかな。外に団員がいるはずだから、同行してもらって」

「わかりました」


 どこか不服そうな男の子たちの顔をリディアは覗き込む。忍び込んで、飛べなかったら、それはまた嫌な記憶かもしれない。これから怒られるだろうし。


「そのあと、もし連れてきてくれた人の了解が得られたら、いいことさせてあげようか?」

「いいこと?」「なんだよ、それ……」

「このあとね、ここの明かりを消すの。夜の探検をさせてあげる」

「ほんと!?」「え、怖くない?」

「怖かったらいいよ、それに許可がでたらね」


 一人は喜んで、一人はちょっと興味半分の様子。リディアは立ち上がり、キーファにお願いしてもいいかな、とすまなそうに告げた。


「それはいいですけど、ケイ達を探すのはどうしますか?」

「マーレンが追ってるよね。あとはウィルとアーベルとで手分けするわ。面倒な事を頼んじゃってごめんなさい」


 自分が連れて行くべきかもしれないと迷ったが、ケイもうちの生徒だし。変なことをされても困る。謝罪は団員でもできるし、キーファならば安心して任せられる。

 キーファは自分の役目よりも、リディアの方を案じるように見て、それから頷いた。


「その前に、リディア」


 キーファは自分のライトブラウンのジャケットを脱いで、リディアの背側に周り、肩にかけた。


「これから冷えます」

「ありがとう、でもキーファが寒くない?」

「……ボタンも留めてください。留められますよね!?」


 至近距離でじっと見つめられて、リディアは妙な迫力に思わず頷いた。そしてキーファは動こうとしない。どうやらそれをしないと行ってはくれないみたいだ。


 慌てて上のボタンをとめると、キーファは近寄り下の方まできっちり留めてくれた。


「じゃあ、くれぐれも気をつけてください。俺もすぐに戻ってきます」

「――大丈夫ですよ。僕がいますから」


 アーベルが硬い声で割り込むように声を発する。キーファは彼を見ずにリディアだけを見つめた。


 そして出ていく背中を見て、リディアはウィルを見た。


「ウィルには探すの、お願いしてもいい?」

「最初からそのつもり。それでどこを探す?」

「――二手に分かれましょう。一人は、見取り図の、“見晴らしの丘”あたりにいますね。そちらをお願いします、もう一人は、女性ですね。リディアと僕で向かいますか?」


 アーベルの探査サーチは、団員よりも優れている。リディアよりももちろん上だ。


 彼が言うならばその場所は間違いないはず、なのだが。

 リディアはほんの僅かに、自分から背が低いアーベルを見下ろして逡巡して、それからウィルを見た。


「お願いしてもいいかな」

「――わかったよ。ケイの方はこっちが受け持つ」

「ありがとう」

「――その前にさ」


 ウィルは自分の上着を脱いで「腰に巻いたら」と差し出してきた。


「それ、カワイイけどパンツが見えて気になる」

「え!?」


 やっぱり!? 衣装の裾を押さえてリディアは顔を赤くした。


「時折、手で押さえられると余計に気になる。とりあえず腰に巻いとけよ」

「う……ありがとう」


 リディアは腰にそれを巻きつけて、悪いと思いつつも両袖を結んだ。

 変な格好だけど、見えるよりはまし。ウィルはなぜかわからない嘆息をして、背を向けた。


「ウィル!!」


 振り向く彼にリディアは言う。


「――よろしく」

「了解」


 後ろ向きで手を振るウィルを見て思う、彼なら大丈夫、任せられる。


「アーベル、行こうか」


 黙ってそのやり取りを見ていた横のアーベルを見ると、彼はこわばった顔をしていた。


「アーベル?」

「その前に――」


 アーベルがパンっと両手を打ち鳴らすと、全身から破片が零れ落ちて、リディアの姿に変わる。


「あ」

「せっかくリディアとの時間、もったいないからね」

「ありがとう」


 確かに変身している理由はないしね。みくるちゃんもびっくりするだろうし。


 様子がおかしかったけれど、今のアーベルは普通だ。彼の先導に任せてリディアはその背を見つめながら歩いた。

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