Ep.5-6 金木犀の祝福を

「なあ、ウィル。お前反対しなかったのなんで?」

「……いや」

「お前もセンセのコスプレ見たかった、とか?」

「……」

「……マジかよ! みくるじゃなくて、センセだぜ。ネタにはいいけど!!」

「ウルセーよ」


 ネタと言い放つチャスにも微妙な思いだが、煮え切らない態度のウィルにも苦い思いを抱く。ウィルの葛藤がわかる気もする。


 以前の彼だったらチャスのように茶化して面白がって遊んでいただろう。けれど、相手が気になっている異性だったら、からかえないし遊べない。口に出せない。

 そんなウィルの内面を予測できてしまって、キーファもわずかに表情を曇らせていた。


 自分はなんなのだろう。

 彼女に対するトラブル回避をしたいが、それを阻止できない。表だって反対ができない、そうしてしまえば私情が入る。それがわかっているから黙っているのだ。


「はっきり言えば、シルビスのドレスのほうが胸元の露出が激しい」

「え、そうなん!?」


 チャスがマーレンの言葉に食いつく。

 キーファは過去の記憶を手繰り寄せ苦い顔をした。助け出した時、リディアはすでにドレスは着ていなかった。が、どういうものだったのだろうか。


「が、アイドルの衣装という品性のないものが――」

「お前の趣味だって、相当じゃん?」

「俺様のは――!」


 いつまでたっても「いいよ」という言葉をださないリディア。不毛な会話に見切りをつけてキーファは意を決してドアをノックする。


「――先生」

『……』

「リディア」


 名を呼ぶと、ウィルが僅かに後ろで息を飲んだ。チャスが口笛を吹いた。


「着替え終えたのであれば、入ってもいいですか? ステージの時間もありますし」


 サラサは他のメンバーのフォローに行ってしまい、ブランも彼女を探すために探索サーチを走らせに行ってしまった。

 後ろにいるハイディーは何を考えているのか不明だ。


『……笑わないでよ』

「笑いませんよ、入ります」


 ノブを回すと、すでに鍵を外していたのだろう、すんなりドアが開いた。

 そして、彼女の姿を見た途端、キーファは息を呑んだ。


 最初は気にしたように鏡を見て背を向けていたが、ゆっくりとドアを振り返る。隙間から覗き見たチャスが後ろで「マジか!」と叫んだ。


 とんがり帽子は、昔の魔法師の衣装で今は撤廃されている。イメージだけで効果もないからと。だがそれを頭に乗せているのはいい。

 細身の身体にピッタリとしたアンダーウェア、上衣は翠の腰を絞ったワンピース、左右の胸元は飾り紐で寄せるデザイン。裾はかなり短いフレアスカートで、リディアはその裾を恥ずかしそうに伸ばしたいのを堪えている表情だ。


 その表情を見た途端、勝手に体が動いた。

 キーファは思わず後ろ手でドアを締めて、そのまま鍵をかけた。


『は!?』


 ウィルが叫んで、そしてドアを激しく叩く。


「おい、貴様!? どういうつもりだ!」


 キーファはおそらく人生で初めてであろう、汚い罵りをうけることになったが、背後の喧騒は全く気にならなかった。


「え、キーファ?」


 リディアがうろたえる。突然のキーファの行動に動揺して、衣装を気にしていたのを忘れているみたいだ。


 近寄って、手を伸ばしたときもまだリディアの顔は困惑だった。


 そのまま彼女が警戒してしまう前に、気づいて拒否をしてしまう前に、抱きしめる。載せてあっただけの帽子が床に落ちるが、キーファは気にしなかった。


 柔らかく、華奢な身体。身体の線がくっきりとわかってしまうデサインだからだろうか、それを意識して、身体の力を抜く。


 壊れそうな砂糖菓子のような繊細な存在。


 自分のような男が強く抱きしめたら、きっと壊してしまう。そして、それ以上は歯止めがきかなくなる。


 柔らかい髪が顎に触れる。綿毛よりももっと柔らかい。絹よりももっとつややか。

 その金の輝きは控えめで、手を伸ばし撫でたくなる欲求をこらえる。

 鼻をかすめた花の香りは、香水のような人工的なものじゃなくて、ほんのりと香ってすぐにわからなくなる。


 けれど、金木犀のような刺激的でどこか胸に甘い疼きをもたらす。


(こんなにも細くて、華奢で、柔らかい)


 軽く息を吸って吐き、更にもっと抱きしめたくなる衝動を押さえつけ、ようやくその体を離す。それだけで、耐え難くまた手を伸ばしそうになる。


 大人しくされるがままだったリディアは、むしろ心配げな顔だった。


 その表情をみて、ようやく頭が働くようになったキーファは苦笑する。

 男に抱きしめられて突き放すどころか、相手を心配するなんて、どれだけ彼女は無防備なのか。


 それとも自分が警戒される存在ではなく、まだ心配される側なのか。


「……キーファ?」

「すみません、抑制がきかなくて」


 まだ困惑顔のリディアに、キーファはわざと本音を漏らす。


「あなたが煽るからですよ」

「……煽ってなんか」

「そうですね。あなたは何もしていない。でもそれがあなたを思う男を煽るってことを覚えておいてください」

「……」


 ああ、やっぱり意識されていない。そして危機意識もない。確かに、愛らしく多少危なげだが、アイドルのステージ衣装としては問題ないレベルなのだろう。


 でも、ここまで自分の理性を吹き飛ばして、今も落ち着かなくさせるのは、きっと彼女の表情のせいかもしれない。

 それとも好きな相手だからか。


「すみません。俺の勝手な思いも入ってますが……やっぱりその衣装は少し」

「――やっぱまずいよね。私もやっぱ無理だと思う!!」


 顔を赤くして強調するリディア。だが、よく見ると実は似合っている。

 だが、そうとは言いたくない。


 何度も自問自答する。

 確かに似合っているし、アイドルとしては露出は少ないくらいだ。

 だが正直――誰にも見せたくない。自分のものだ、と言えないし反対できない立場が苦々しい。


 反対してもいいのではないか、これはいけないと。でも彼女の魅力を否定することは言いたくない。


 ――激しいドアの音が更に激しくなる。


『キーファ、おい、キーファ!!!!』


 ウィルががなり立てている。


『貴様、このドア蹴破るぞ!』


 マーレンはおそらくやるだろう。


『キーファくん。十分時間もあげたので、そろそろ開けてくれませんか。借り物の部屋なので壊したくはありません』


 理性が崩壊したままだ。解決策もなく他の男性に見せたくないが、どうしようもない。


 閉じ込めていたい。

 でも、このままじゃ総動員させた理性がまた壊れそうだ。

 キーファはため息をついて、ドアに向かう。


「あ、ちょっと待って!」


 リディアを振り返る。


「やっぱり、見られたくない。脱ぐ!!」

「待ってください!!」


 なぜか今度はキーファが止める側に回る。確かにこの衣装は反対したい、が、ここで脱がれても困る。


 上のワンピースを脱がれそうになって、キーファはものすごく焦った。

 どうしたらいいのだ。

 再度抱きしめて止めてもいいのか。


「やっぱ見せたくない!!」

「おかしくないです。可愛いです、似合ってます、見せたくありませんけど!」


 キーファが珍しく大声で説得すると、リディアが驚いて目を見開いてそれから顔を赤くする。


 やっぱりかわいい、そうとしか言いようがない。

 いつもスーツ姿で、教師としての威厳を保とうとしながらも、親しみやすい笑顔を見せる彼女にはアンバランスな魅力を感じていたが。


 今は、ただ可愛らしさしかない。

 衣装でこうも違うのか。それとも、素の彼女はこうなのか。


(そういえば、年下、だった……)


 危なげで、守ってあげたい存在。それを実感する。


(だめだ。理性が……)


『リディアさん、まず見せてください。それから解決策を考えましょう。キーファくん、君の本気はわかりましたから、開けなさい』


 ハイディーの低くなった声に、キーファは我に返る。咳払いをして、リディアに脱がないように制止して、ドアに向き直る。


「開けますよ」

「……うん」


 キーファも複雑な思いを全部投げ捨て、ようやくドアを開けた。

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